第3話

文字数 1,427文字

 「コーヒーもう一杯どうですか?」

 流海が香月の空になったマグカップを指でさして呟いた。

「すみません。頂きます」

 持っていた手帳とペンを、テーブルに置くと空になったカップを流海の方へ差し出し注いでもらう。時計の針は御前十二時を少し過ぎていた。香月のカップに注いだ後、流海は自分のカップにもコーヒーを注ぎメンソレータムの煙草を口に咥えるとオイルライターで火を付け大きく肺まで吸い込み天井に向かい煙りを吐き出した。

「最初会ったときは、流石に止めました」天井に視線を向けたまま流海が言葉を紡いだ。

「それは、ヒアリングの時ですね」香月が相づちを打ちながら聞き返した。

「香穂さんから最初予約を頂いたときは、てっきりワンポイントもんの小さな絵柄と思いました。せやけど話を聞いてるうち、背中に一面やなんて、今の世の中失うものが多すぎる言うてね。お金もろてる、私が言うのも可笑しいんですけどね」

 言いながら流海は天井から香月の方へ視線を戻した。

「綺麗でしたよ。あの人スタイルも良かったしそりゃあこんな綺麗な人の躰に墨入れさしてもらえるなら刺青師としては力も入るけどね。まるっきしの堅気の人やと思ってましたし」

「その図柄が、鬼子母神だったんですね。珍しい絵なんですか」香月が聞き返す。

「かなりね、同じ女の鬼の絵なら夜叉の方が多いし、でも、鬼子母神も母性の象徴やしそれを強調するなら、いくらでも綺麗に書けるけど、香穂さんは鬼の部分も半分は残して欲しい言うてね。それと、変わったリクエストは、鬼子母神に赤ん坊を二人抱かせて欲しいと言いはってね。そんなんは始めてのことでしたね。普通は一人です」

言葉の節々から、流海が香穂のことを気に入っていたことが聞き取れた。

「東京の豊島区に、鬼子母神堂がありますよね。確か、安産と子宝の神様の筈。しかし、大江香穂に子供がいたなんてことは無いはずですけど、どうして彼女はそんなことに拘ったんでしょうね」

 香月が東京の豊島区雑司が谷の鬼子母神堂と大江香穂の話題に触れた。

「香穂さんは、ここに通い始めてから最初の三ヶ月は、殆ど自分から話しをすることなんてなかったです」流海が当時を思い出しながら言葉を選んで話した。

「と、言うことはそれ以降は自分のことについて話し始めたと言うことですか?どんな話しを彼女としたんですか?」流海の言葉に香月が食いついた。

「彼女に施した刺青は、五十時間は優に掛かります。彼女の要望は週に一時間、期間は約一年間で仕上げて欲しいとのことでした」

「一年という期間は、彼女にとって何か意味があるんでしょうか?」香月が質問攻めにした。

「香穂さんがここに来た訳や、自分のことについて少しずつ話してくれるようになったんは、彫りが四分の一程進んだ頃やったと思います。切っ掛けは、鬼子母神と言う鬼について二人で色々と話すようになったてからでした。話していくうちに彼女に対して一つの疑念が沸いてきました。」流海の言葉のトーンが目に見えて落ちた。

「彼女がここに来たのは、彫りを入れるのも、そうやけどもう一つ大きな目的を持っておられました。勿論自分の口から話す事は無かったけど、話の内容でわかります。」

「それは、五嶋聖治とのことですね」香月は前触れなしで確信を聞いた。

「そうです。でも、その時は、分かりませんでしたけど」分かったのは、随分と後になってからです。テレビのニュースで知りました」流海は新しい煙草に火を付け、煙を天井に向け吐き出した。
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