第12話

文字数 1,851文字

「肉親と言うのがな・・・・・」窓の外に目をやりながら立花が呟いた。時計の針は、後五分程で午前七時になろうとしていた。この時間になると、今日一日の日雇いの仕事にあぶれたドヤ街の住人達が、大挙して店に入って来る。「潮時や出よか」立花が言った。
 香月は勘定のレシートを手に取ると立花の後を追って入り口手前の勘定場に向かった。喫茶店の入り口のドアを外側に押して屋外へ出ると、太陽はすでに真上に陣取り今日の猛暑を予見しているかのようだった。不愉快な陽炎が天と地の間に揺れて、香月にも容赦なく纏わり付いた。右手で日差しを遮ると目の前の立花が、小銭入れの小銭を一生懸命漁っている老人の方へ近づいて行った。
「ロクさん、どないしてん。モーニングの銭が足りへんのかい」立花は老人に話しかけると、着ている作業用ベストのポケットから千円札三枚を取り出して、老人の胸ポケットへと忍ばせてやった。「ビリケンさん、こんなんしてもろうたら、あきませんって」立花にロクさんと呼ばれた老人が手を振りながら三千円を立花の方へ返そうとした。「ええねん、ええねん」立花がその手を制しながら言った。「ロクさん今日仕事にあぶれたんやろ、これで、朝昼食べて、福祉センターの休息室で一日ゆっくり過ごして、そんで夜になったら簡易宿舎に入って、死ぬほどエアコンかけて寝たらええんねん。今日みたいに、あっつい、あっつい、日にエアコンなしで寝たら熱中症になって死ぬで、ほんまに」畏まる老人に立花が言った。「おおきに、ほんまに、おおきに」老人は立花に深々と腰を折って礼を言うと、立花と香月が今しがたまで居た喫茶店へと入って行った。「ガス抜きや!」少し右の足を引きずりながら、喜々として喫茶店に入っていく老人の背中に向けて、立花は浮かない表情で言った。「えっ!」不意に立花の口から出た言葉の意味を香月は測りかねた。
「どう言う事です?」香月は驚き立花に聞き返した。「言ったとおりの意味や、直に分かる」その言葉には先程の温もりが感じられずに、香月の胸に突き刺さった。「今の人な、何才に見える」立花が香月に尋ねた。「六十五才、いや、もっと!、七十才ぐらいですか?」見たままの印象を立花に伝えた。「まだ、六十一や」立花が言った。「本当ですか?」香月が驚き聞き返した。言葉のトーンから、半信半疑に陥っている香月の心中が透けて見えた。「老けて見えるやろう、あん人年齢と足の障害を理由に務めているところ一方的に切られてん、ちゃんとした、所なら定年延長もあるんやけど、そんな話し一切無かったそうや、何十年も働いて本来なら、そこそこの所で正規の社員に登用も有ろうというのにな、全くの使い捨てや、元々ロクな給料なんて貰ってなかったから貯金なんかあらへん。直に底をついて此処へ流れてきたちゅうこっちゃ、俺は、仕事の手配師として、あの人を担当してんねけど、中々な!、せやけど、この話全部本当とは限らへんねん、まっ、話半分で聞いてんねん」立花が言った。
「生活保護の申請は出されたのですか?そう言うことなら、生活保護で行けるはずですけど、申請は出してないのですか」立花の話しに香月が疑問を呈した。
「だから、話半分や、あん人住民登録がないねん。もっと、込み入った事情があるかもしれへんし、やけどな、それは、聞かへんねん。此処の人間は言いたくないことの方が多いやろうからな、ここには、三種類の人間が居る、一つは外で仕事をする能力もそれに見合う経歴も持ちながら、何らかの理由で、それも、自らの意志で進んで此処に沈みに来る奴、自分で言うのも何やけど、俺もその口やな、そう言う人間はどんなに劣悪な場所でも自分の才覚と創造力で生きていける。それは、放っておいたらええねん、どうにでもなるからな。そしてもう一つは、娑婆で犯罪を犯してここに、逃げ込んだ奴や。世の中の指名手配犯の何人かは確実に居てるで、顔の形なんか変えたらええし、偽名かて簡単には見破れんやろうし、そう言う奴にとっては此処はこの世で一番の楽園やな、そして、最後は、さっきのロクさんのように、この世で己の存在そのものを失い。最後の最後に流れてくる奴、こう言う人間は、ある意味死に場所を求めて此処へ来るのかもしれへんな。それでも、可哀想とは思わへんし同情もせえへんけどな、そうなった理由があるはずやからな、あっと、それからもう一種類おる、警察の公安セクションの人間や潜入捜査員やな」歩きながら立花が、福祉センター入り口に陣取る二人組を目で示した。
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