第172話 116

文字数 1,535文字

 正月に長谷寺に籠ったのであるが、とても寒く、雪が氷着くように降っているのも趣があっていいものだ。雨がふるというけしきは、あまり興趣ががない。初瀬などに詣でて、局ができる間に、階段が付いている長い廊下の近くに車を引き寄せて立てていると、僧服に帯だけしめた若い法師たちが下駄を履いて、なんら怖がりもせず階段を上り下りするのだが、なんとなくお経の一部を暗唱しながら、俱舎論などを唱えながら行き来するのも、寺らしい光景で趣がある。私が上るようになると極めて危険に思え、片側に寄って高欄を掴みながら行くのに、法師たちはさっさと板敷を歩くような様子はおもしろい。
 (法師)「御局が出来上がりました。どうぞ」と言うので、沓などを持ってきておりていった。衣裳を上の方に引き返したりしている者もいた。裳、唐衣など、事々しい装束をした人もいた。深沓、半靴などを履いて、回廊を沓を擦りながら入っていくときは、宮中の内裏に入る時の様でおもしろい。内外の立ち入りを許された若い男たちも、家の子など、大勢が付き従って、「そこもとは低い所があります。高い所もあります」など、教えながら先導する。何者だろうか、主人の近くに歩きながら、先を歩く者などを「しばし待たれよ。高貴な方がいらっしゃいますのに、無作法なことはしないものだ」などと言うのを、もっともだと、少し心得る者もいる。また、聞き入れず。まづ我こそはと、仏の御前に行こうとする者もいる。局に入るときも、他の局が居並んだ前を通りながら行くのだは、大変いやであるのだが、犬防ぎという内陣と外陣の境にある低い格子の中を見ることができた心地は、とても尊く、なぜここ何ヵ月も詣でないで過ごしてしまったのだろうかと、まずは信仰する心になってくる。
 御灯かりが、常夜灯ではなく、内陣にまた、他のひとがお供えしたのが、恐ろしいほど燃え上がり、仏様がきらきらと光って見え、いよいよ尊く思える。僧が手に願本などを捧げ持ち、礼盤の座で揺れ動きながら誓願するのも、皆でお経を口々に唱えるので、聞き分けることもできない。絞り出すような声が、まぎれて聞こえる。千燈の御志は、なにがしのため」などは、かすかに聞こえる。帯を掛けて、拝みたてまつっていると、(法師)「ここに、お使いいただくたく」と言って、シキミの枝を折って持って来たのは、香りも非常によく尊い雰囲気もすばらしい。
 犬防の方より、法師が寄ってきて「気をいれて仏様にお経を申し上げてまいりました。幾日ほどお籠りなさいますか。これこれの人がお籠りなさっております」など言い聞かせ去っていった。」すぐに、火桶や果物などを持ってきて、湯水をそそぐあんざうというのものに水を入れ、それを受ける手洗なども持ってくる。(法師)「御供の人は、あちらの宿坊に」など言い呼びたてて行くので、代わりがわりに行った。
誦経の鐘の音などがすると、わが名であろうと、きこえるのも心強く思われる。近くに、高貴な男性が、まことに忍びやかに額づくなどの立ち居振る舞い、物事の道理をわきまえているように見える。とても悩んでいるようなふうで、寝るのも寝ないでお勤めしているのは哀れに思える。
休んでいるときは、経を大きなこえでは唱えることはないが、小さな声で読んでいるのも尊い気がする。鼻などを、大きくかんで聞きにくいほどもなく、忍びやかに鼻をかむなど、何ごとを思ってこんなに忍びやかにお勤めをしているのだろうか、かれの思いをとげさせてやりたと思うほどだ。
何日もの間、籠り続けていると、昼間は少しのどかな感じが以前はあった。法師の坊に、男どもや、女、童などみんなで行って、所在なくしていると、午の刻にほら貝を突然吹きはじめたのには、ひどく驚いたものだ。
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