第8話 三 言葉 背景歴史

文字数 775文字

□同じことであるけれども、聞いた感じの異なるもの 法師の言葉。男の言葉。女の言葉。下衆の言葉にはかならず文字余りたり。
※法師は仏教用語をつかうので、同じことでも異なる。女と男は言葉使いが違う。下衆というと今は人間平等が徹底してい居るので違和感がある。下衆は学問もないし、話ことばも違っていたのでしょう。
※背景歴史
清少納言は、康保3年頃〈966年生〉 - 万寿2年頃〈1025年没〉)、平安時代中期の作家、歌人。
984年 永観2年 花山天皇
986年 寛和2年 一条天皇
1001年 長保3年 清少納言の『枕草子』完成
花山天皇(かざん)、968年生- 1008年没、第65代天皇(在位:984年- 986年。17歳で即位。19歳で出家し退位。令泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。
一条天皇、980年生- 1011年没、第66代天皇(在位:986年- 1011年。6歳で即位。25年間在位。
円融天皇の第1皇子。母は藤原詮子(藤原兼家娘)。兄弟姉妹はおらず、従兄弟に前帝花山天皇と次帝三条天皇がいる。
摂政に藤原兼家が就任した(のちに関白)。
兼家の死後は長男の道隆が引き続き外戚として関白を務め、一条天皇の皇后に娘の定子を入れ、中宮を号させる。その後、道長が、姉で天皇の生母・詮子の推挙を受け、内覧となって実権を掌握。道長は中宮を号していた定子を皇后宮と号し、娘の彰子も皇后に立てて中宮を号させる事で、一帝二后の先例を開いた。
一条天皇の時代は道隆・道長兄弟のもと藤原氏の権勢が最盛。皇后定子に仕える清少納言、中宮彰子に仕える紫式部・和泉式部らによって平安女流文学が花開いた。天皇自身、文芸に深い関心を示し、『本朝文粋』などに詩文を残している。音楽にも堪能で、笛を能くしたという。また、人柄は温和で好学だったといい、多くの人に慕われた。

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