第29話:膿を出して、バブル崩壊開始1

文字数 1,466文字

 1991年、国内はバブル景気の終了。ここから、いわゆる失われた20年と言われ始めた。戦後最長の好況を続けた日本経済は、証券・金融不祥事が続出し後退。ついに「バブル経済」が崩壊。国際社会では「湾岸戦争」と「ソ連崩壊」の2つの大きな事件が起来た。湾岸戦争は米国を中心の多国籍軍のイラク空爆開始により戦争へ。多国籍軍はハイテク兵器や空爆でイラク軍を攻撃し2月24日には地上戦に突入。

 多国籍軍は地上戦開始から4日後にクウェートを解放し、3月3日に停戦となった。そして、この年1991年12月にはゴルバチョフ大統領が退陣し、アメリカとともに20世紀の世界秩序を築いた超大国・ソビエト連邦が69年の歴史に幕を降ろした。 次に、証券会社で投資商品に個人が投資して損失が出た場合、もちろん個人がその損失を分を証券会社に支払う、これは、当たり前のこと。

 しかし相手が大口顧客の場合はそうではなかった。証券会社が大口の法人顧客との間でその資産運用につき営業特金契約を事実上締結し、その結果顧客の口座に損失が生じた場合にその損失を会社の財産から補填したこと、及び当該口座に一定の利益が生じなかった場合にその差額を補填したことが明るみとなり、1991年「平成3年」以後大きな波紋を呼んだ。

 1980年代の株価の長期に渡る上昇傾向の下で企業は証券市場で大量の資金調達を行い、調達した資金を再度市場で運用して収益を上げていた「財テク」。その運用方法として営業特金と呼ばれる特定金銭信託「特金」が行われた。営業特金とは、証券会社に運用を一任した特定金銭信託をいう「取引一任勘定取引」。通常の特定金銭信託は、委託者が受託者である信託銀行に対して注文内容などを全て指図。

 それに従い信託銀行が証券会社に注文を出す仕組みだが、営業特金においては、例えば指図書を白紙のままで証券会社へ渡し証券会社が後から書き込んで、あたかも委託者の指図通りに発注したかの様な形式を作り出す。特定金銭信託の仕組み上は、顧客と証券会社の間に直接の契約関係は存在しないはずであるが「両者間に信託銀行が介在する」、営業特金においては両者の間に実質的に売買の一任契約が存在した。

 顧客が自ら売買をせずに特定金銭信託を利用するのは、簿価分離により税法上メリットがあるから。つまり特定金銭信託は、そこでの損益を企業本体の株式と合算せずに計上できるため過去に買い入れた株式の含み益を実現させずに株式売買を行える。この様な営業特金は、1980年代の余剰資金の増加、それによる金融・証券の自由化を原因とした銀行と証券会社の顧客獲得競争の中で活発となったと考えられる。

 株価の高騰を受け企業はエクイティ・ファイナンス「株式による資金調達」を行い易い。証券会社は多数の引受けで引受手数料の恩恵を受けた「引受手数料は発行金額の1.8から2.25%といわれる」。さらに、顧客から売買委託を受け売買手数料も入ってくることもあり証券会社にとって顧客との取引関係維持は重要。そのため手数料で儲けさせてもらっている分、顧客へ利益還元をする。

 証券会社間での競争に勝利。そのため利回り保証を付けた営業特金が行われたという。この様に資金の運用方法として顧客に利点がある営業特金と一任された証券会社の判断での売買で仮に損が生じても「もしくは一定の収益に満たなくても」それを補填する事を約束する顧客へのサービスとしての損失保証「利回り保証」が、2164億円「1991年9月時点」にも上る巨額の損失補填の元になったと考えられる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み