第21話:2組の双子の里帰り訪問

文字数 1,596文字

 その後、母のタエさんは、頻繁に長女の幸子、長男の幸一の家に電話をして近況報告を聞いた。やがて3月になり一足早い、熱海の桜を見に出かけた。週の半ば、火、水、木曜と泊まった。レンタカーを借りて、箱根、御殿場、湯河原、伊東をドライブして、美しい景色を眺め、美味しい海の幸を食べて過ごした。温泉にゆっくりつかり、旦那さんと、子供達が生まれてからの思い出を語って眠る夜を過ごした。

 3月21日から23日は、長女の幸子一家が海老名の実家に泊まりに来た。そして可愛い孫達を楽しい一時を過ごし、つかの間の幸せを楽しんだ。その後、5月3,4,5日は、長男の幸一が一家で泊まりに来た。静かな実家に、可愛くにぎやかな、子供達が、愛くるしい笑顔を振りまいてくれた。孫達が帰ると実家は、まるで昼間のような明るさから夜寝るときの豆電球の明るさまで明るさが落ちる。

 、普段の静かな生活が始まる。8月も13日から15日まで幸一の一家が、15日から17日まで交代に幸子の一家が海老名の実家に来た。その時、庭の北側にビニール製の子供用プールに水を張り子供達を遊ばせたが、大はしゃぎで騒いだが、それが終わると、すやすやと可愛い顔で眠った。大きなスイカを買って、冷蔵庫で冷やし、みんなで食べた。そして、子供達の多くの写真を撮ったのは言うまでもない。

 しかし、赤ちゃんは、すごいエネルギーを持っているのか、ただ、見たり、ダッコしたりしただけにもかかわらず、どっと疲れて、夜は、爆睡状態になった。そして、8月17日、送り出すと、翌日は、呆然自失という感じで、クーラーの効いた部屋で、1日中、ぼーっとして、食事は、冷蔵庫の残り物で、すごし、調子が戻ったのは、8月19日だった。その後、しのぎやすくなると、橫浜へ出かけた。

 海の見える丘公園から外人墓地、元町、または、中華街から山下公園を散歩した。そして11月なり紅葉を見ようと車で富士高原をドライブし標高の高いところで紅葉を楽しんだ。1泊目は河口湖の湖畔の宿に泊まり、翌日、箱根にむかい、芦ノ湖の遊覧船に乗り、その後、仙石原すすき草原を散策して、箱根湯本駅近くの温泉ホテルに宿泊して、天然の温泉と、美味しい夕食を堪能した。

 夕方は、箱根湯本の駅前の商店を回って、お土産に工芸品や小田原名物のかまぼこを買って帰った。やがて、1987年を迎えた。今年も年末から1月2日に幸子家族が、1月2日から4日まで、幸一家族が、海老名の実家に泊まり込みでやってきた。そのために賑やか年末年始となり、2回、初詣でに行くことになった。願いは、ファミリーの安全と孫達の健全な発育を祈願して来た。

 そして、千円ずつのし袋に入れて、孫達に、お年玉をプレゼントした。この頃になると、孫達にも、個性が出始めて、実に、面白かった。孫達が帰ると、疲れで、何となくストーブの前でテレビを見ると眠くなり時間に関係なく寝る生活を続け1月7日となった。この年は、暖冬で、意外に、体が楽だった。そして、2月7日、早朝、5時に家を出て、南房総のお花畑を見に出かけた。

 この厳寒期というのに、畑は、きれいな花が、咲き乱れていて、まるで夢の中のようだった。その後、名所の月の沙漠・記念館と、砂漠に似た砂浜を散策した。次に訪れたのは。御宿の海岸近く天然温泉の露天風呂から見える外房の海は、やはり波が高かった。今晩は、勝浦のホテルに宿泊した。夕食の刺身は絶品だった。その晩、22時に就寝した。翌朝7時に起きて、朝食後、8時半にホテルを出発。

 その後、房総半島の山間部に入り、北上し、9時半過ぎに大多喜町に入った。そこで大多喜城を見学して、10時前に出発して、昼には、千葉の近代的な街に入り、レストランで昼食をたべた。次に高速道路に入り、湾岸道路を西に向かい14時過ぎに橫浜に入り、カフェで一休みしてから海老名に向かい、16時には自宅に到着。
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