第14話:北海道から帰宅後、幸恵の医師国家試験準備へ

文字数 1,560文字

 翌日、バスと地下鉄で札幌に戻り、千歳空港近くのレンタカー屋で車を借りて帯広郊外の十勝川温泉に向かった。十勝川温泉に3泊し車で襟裳岬「えりもみさき」、帯広、池田町のワインの城など観光名所を回り、釧路に向かった。

 釧路でも3泊し、根室、知床半島、阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖を巡ったが、摩周湖の第一、第三展望台からの景色が素晴らしく多くの写真を撮って来た。最終日は早朝5時にホテルを出て帯広経由で、途中、富良野のラベンダー畑を見学。その北の美瑛町の美しいラベンダーの風景を楽しんだ。その後、18時前に、旭川に到着。旭川で3泊して名寄、稚内、留萌、紋別、大雪山を観光。

 大雪山は、ロープウェイを利用したが、それでも山登りは、きつかった。その後、旭川から千歳空港へ車で行き、レンタカーを返却した。千歳空港から13時半の羽田行きの飛行機に乗り、15時過ぎに羽田に到着して、17時に海老名の自宅に到着した。長旅で疲れたが、朝、晩少しずつ涼しくなり、数日、自宅でゆっくりた長旅の疲れを癒やした。

 1981年も秋となり10月と横浜中華街に出かけ、美味しい店を探し歩いた。中華料理と言っても各種あった。菅原夫妻にとっては、広東料理、北京料理、上海料理、台湾料理が気に入って、特に台湾料理の小籠包が一番気に入っていた。その後、月に、最低1,2回は、中華街と橋の向こうの元町のポンパドールのフランスパンとプランスあんパンが好きになり、必ず、買ってくるようになった。

 10月中に医師国家試験の資料を取り寄せ、願書類を作成、11月初旬に郵送した。その頃、次女の幸恵は、来年4月の医師国家試験、受験のラストスパートに入り、夜遅くまで、彼女の部屋の電気が夜遅くまで消えることはなかった。やがて1981年12月24日の晩、実家で、ささやかにクリスマスパーティを開いて、ケーキと鶏の丸焼きを食べて、体を壊さないように風邪を引かないようにと優しく言った。

 1982年を迎えて、2月初旬に受験票が自宅に到着し受験会場が金沢区の橫浜市大と知らされた。医師国家試験の日程は1982年2月15日、16日とわかり、合格発表日が1982年3月16日、14時と判明した。受験当日は、受験手数料1万円分「収入印紙」と所定の台紙に自分の写真を貼り付けて用意。幸恵さんに、両親がついていった。受験会場に入る前、幸恵は、深呼吸してリラックスした表情で入室。

 受験会場が、海老名から遠いので受験会場の近くに宿を取った。その後、2日間の医師国家試験を終え自宅に戻った。試験を終え医師登録準備書類を揃える事になった。医師免許申請書、健康診断書、登録済証明書用はがき、戸籍抄本か戸籍謄本と収入印紙4万円分を用意。その1ケ月後、1982年3月16日、合格発表を両親と幸恵で見に行くと合格を確認できた。国家試験に合格したら「医籍登録」を開始。

 医籍登録とは,医師免許を得た者の氏名・本籍などを登録する厚生労働省の帳簿の事。医籍登録を行うのは、合格発表後ですが,合格発表は3月16日で研修は4月1日から始まる病院が多いので発表後、すぐに手続きをしなければならない。登録確認がされていないと医療行為を行えないという事態になる。そこで国家試験終了から合格発表までに 準備をし,合格発表当日に登録手続きを済ませた。

 大学から配られた医師免許申請書、1ヵ月以内の医療期間での健康診断書、免許証が手元に届くまで2、3ヵ月かかる。そのため.それまでの仮の証明書となる。「はがき」戸籍抄本か戸籍謄本、本登録免許税として4万円分の収入印紙、面倒な手続きの連続。しかし両親が退職していたので、ほとんど全て両親にお願いした。合格発表の帰り道、横浜中華街の有名店に入り、次女、幸恵の医師国家試験合格の祝賀会を開いた。
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