第35話:パソコンショップとソフト教室の開始

文字数 1,593文字

 その後、一番、反響があったのが、パソコンの修理と電話相談だった。そこで、菅原は、自宅のある海老名、大和、厚木に多くの貸倉庫があるので、実際に、見に行った。その中から大和市で駅から車で5分以内の26坪で25万円を探し、菅原幸一と父で見に行った。ここが良いと言う話になり、契約を結んだ。その後、インターネットで事務所の場所と電話番号を書いたパソコン修理の広告を出した。

 すると電話が入りだし、東京、神奈川を中心に依頼が入り始めた。その事務所には修理に強いスタッフ4人を張り付けて、24時間体制で修理依頼を受け付けた。また、使わなくなった、据え置き型パソコンの下取りと買取も始めると、大勢のお客さんが来るようになった。そのうち、事務所が東名高速の厚木インターから近いこともあり、静岡のお客さんも来るようになった。

 また、運送業者に依頼して送る人も増えていき、アルバイトさんも募集するほど事業が拡大。その中の2人が引き取ったパソコンに、新しいボードを入れて、発売しましょうと言う話をするので、その事業の責任者として、豊島輝夫君、27歳、以前、パソコンショップで修理をしていた男を責任者にした。一方、秋葉原のパソコンのソフト使い方教室は、土日の参加者が多く、若い人中心。

 中高年は、ほとんどいない状況で、水曜日のクラスを辞めて土、日、祭日だけにした。それでも2000年12月には、収支がプラスになってきたので、ひと安心した。その後、幸一が、オーディオもやらないかと、父に言うと、それは、お前に任せるから、やってみろと言った。すると、インターネットを通じで、オーディオの中古品の持ち込み買取開始の広告を載せると、東京神奈川から大勢の連絡が入った。

 中には、取りに来てくれれば、格安で譲るという人まで現れた。それを見て、幸一が、昔のつてで、オーディオの専門家を募集すると5人から応募があった。彼らを貸倉庫に連れてくると倉庫の中を見て、ここに視聴室を作れると話した。良いオーディオ機器が集まれば、音楽鑑賞会も開けると夢を膨らませた。そこで、菅原肇が、5人全員採用して、その企画を進めてくれと言われた。

 最近、事務所に多くの荷物が届くようになり、専門家が1,2人欲しいと幸一が言うので、募集と採用を任せた。そんな、話をしているうちに2000年が終わり2001年となった。その後、多くの中古パソコンとオーディオ機器が集まり倉庫が埋まりだしインターネットでオークションを始めた。すると1週間ほどで8割の商品が売れ、その時点で終了した。

 2001年9月2日、早朝、証券会社の朝井さんから電話でヤフー株を買いませんかと電話があり、以前、急上昇したのでリスク覚悟で下値を買ったら良いのではと言われ了解した。9月4日、朝井さんから電話でヤフー182万円成り行き買いと言われ20株成り行き買いを指示。3600万で買え菅原幸一の残金が46400万円なった。中古CD、DVD、レコード、部品のインターネット・オークションも開始。

 さらに「音楽の夕べ」と言う名前で、毎月、第一、第三、土、日、定員10名で飲み物付きで1時間1500円で毎回、テーマを決め夜19時から20時の1時間行った。最初は、「最近の流行歌」「欧州の映画音楽の夕べ」、「クラシックの夕べ」「ポールモーリアなど有名オーケストラ」こえが毎回、満席になった。そこで、「懐かしのモータウンサウンド」「ABBAの歌声」「ビートルズの歌声」「1970年代。

 懐かしのメロディー」など懐かしのメロディーは、平日の夜19時から20時の1時間、やり始めると、満席になった。その他、中古パソコンの再生の責任者の代表の豊島輝夫君が、中古パソコン販売ではなく、リフレッシュパソコンと銘打って、CPUも交換して売った方が高く売れると言い出し、その案を採用して、販売することにした。
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