第7話:幸一への転職の誘いと幸子のアルバイト

文字数 1,596文字

「NEC株を買いたいが、どう思うとN証券の朝井さんに意見を求めた」
「すると社内で調査しますので少し時間を下さいと言った」
「翌週、朝井さんからNECは、最近、TK80を発売した」
「その次にキットでなくマイコンを発売すれば期待出来ると連絡してきた」

「しかし、これは日本だけの話で世界的には、通用しないと言った」
「IBMやマッキントッシュなど強敵が多く世界で通用する訳にはいかないと話した」
 長女、幸子は、その頃、英語の家庭教師をして小遣いを稼いだ。そして1976年10月を迎えると半年後の就職を考えて幸子は、どこに就職するか考えていた。

 やはり英語を行かしたいと考え、商社には入りたいと考えるようになった、今年の冬休み、M商事かM物産のどちらへアルバイトに行きたいと思った。そして、考えた末に、第一希望がM商事、第二希望がM物産と決めた。一方、株の方では1976年12月中旬、ソニー株が上昇し売りだと証券会社の担当者から連絡が入り、1370円で全株売りを指示。

 その晩、売れたと連絡が入った。その結果、菅原肇の税引き後利益が3900万円、幸一が、780万円となった。
「幸一が秋葉原のNECビットインに行った時、顔見知りの日本電気の峰岸課長に呼ばれた」
「その席で、ここNECビットインで働かないと誘いをかけられた」
「幸一の現在の年収を聞き20%アップで雇うと言うので、その気になった」

「1977年1月末で本厚木の電気店を退職し2月から日本電気社員として採用された」
「この話を両親が聞いて、母が、幸一のひたむきな努力が実を結んだねと褒めた」
「幸一の幸の字が、幸福を呼んだよと、母は、大喜びした」
1977年2月、長女の幸子がM商事にアルバイトをしたいと希望。

 面接を受け、入社志望のためのアルバイトと伝えると受け入れてくれた。そこで2月5日から3月5日までの4週間、M商事本社の総務部でアルバイトをする事になった。会社は、東京丸の内にあり海老名から横浜経由で約1時間かけて通勤する事になる。出勤時ラッシュアワーで混雑、幸子は、それを避け朝6時半に家を出て8時前に東京へ着き喫茶店でゆっくりし9時前に出勤する事に決めた。

 その時間で通勤すると混雑はなく美味しい珈琲も飲めるので快適らしい。会社では電話の取り方、話し方、会議でのメモの取り方、お茶の出し方、お辞儀の仕方など基本的なマナーを教えてくれた。そして英語の能力を試されて十分使えると言われ喜んだ。そのうち1977年3月5日でアルバイトは終了。その後、夏休みにM物産でアルバイトをしたいと連絡した。

 すると一度面接に来てと言われて上智大学で終了が早い日の昼過ぎ東京駅近くのM物産の総務部へ行き、面接を受けた。そして大学卒業後、御社を受験を希望してるので研修のためアルバイトしたいと言うと了解してもらった。期間は8月1日から末日迄となった。やがて8月になり、春と同じルートで、朝7時前に自宅を出て、横浜経由で東京駅へ通勤した。M物産総務部でも基本的なマナーを教えてくれた。

 ただM商事よりも、ゆっくりというか、ゆったりした感じがした。その後、8月15から17日のお盆休みを越えて8月31日までアルバイトを続けた。最終日、是非、君が、我が社に入社して欲しいねと加藤総務課長が笑って話してくれた。これを聞いて、俄然、M物産に入りたいと考えた。10月、幸子がM物産の就職試験を受け合格し内定をもらった。

 11月、両親は、熱海温泉に2人で旅行し、ゆっくり体を休め熱海の海岸を散歩したり、名物の金目鯛の煮付けを食べ、英気を養った。やがて12月、この頃、子供達は、自分の予定で行動した。そこで両親は、12月20日に中華街に2人だけで出かけた。そして、美味しい温かくした紹興酒中華料理を飲みながら、うまい中華料理をつまんで忘年会を楽した。その後、1978年があけた。
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