第10話:ハワイから帰国と幸子の結婚の決意

文字数 1,400文字

 その晩は、長いドライブで疲れ、残った冷蔵庫の食料を食べ風呂に入り22時前、床についた。翌朝5時過ぎ起きて、両親が、帰りの荷造りをした、子供達も6時には起き、それぞれのバッグに荷物をまとめて、直ぐ出られる様にした。6時半コンドミニアム・ホテルのフロントに5人のバッグを置いた。7時頃、ポリネシアンハワイアンセンターへの大型ワゴンがやってきて出発。

 出発し20分程でハナウマベイに到着。その後、まず、きれいなビーチを30分程、散歩し達写真を撮ったりした。その後、ツアーで借りたシュノケリング用具を使い、水着に着替えて、美しいハナウマベイの海中散歩を始めた。カラフルな魚たちが目の前に見えたり、子供達は、大きな海亀を見たと話していた。そうして10時過ぎに、買ってきたジュース、コーラを飲んで一休みした

 水着から洋服に着替えて、ハナウマベイの丘を登り、高台からハナウマベイの全景を眺め、多くの写真を撮った。そのうち11時となり帰り支度をして11時半にハナウマベイからアラモアナのコンドミニアムに送ってもらった。昼前に到着し精算を終えタクシーを呼んでもらいホノルル空港へ向かった。13時に到着して、遅い昼食を取って、帰りの航空会社窓口で登場手続きを取った。

 飛行場の搭乗口へ移動。15時半に搭乗開始し、16時に出発、飛び立った。すると心地よい疲れで、眠りについた。その後、食事の時に起きる位で、静かにしていた。やがて夕暮れ時になり目覚め、あと1時間で羽田空港に到着しますとアナウンスが流れた。少しすると陸地が見え、多分、あれが千葉の房総半島だろうと幸一が言い、眺めていると、しばらくすると東京の明かりが見えてきた。

 その後、これから着陸態勢になるのでシートベルトを確認して下さいとのアナウンスが流れた。いよいよ日本に帰ってきたのだという、感動というか、うれしさと懐かしさが入り交じった妙な感情に襲われた。羽田空港の明かりが、見えると帰って来たという実感が湧いた。やがて着陸して、日本への入国手続きを終えて、高速バスで橫浜駅へ。徒歩で西口へ行き、相鉄線に乗った。

 そこから相鉄の急行で海老名まで約30分で到着し、自宅に着いたのは21時前。直ぐにシャワーを浴びたり、風呂に入ったりして、お土産を整理した。その晩は、ビールを飲んで寝た。翌朝、今おきると、今日1978年8月25日から仕事だと菅原夫妻は気を引き締め、会社に出かけた。その後、1978年10月になると長女の幸子は、M物産、関内の橫浜営業所に転勤し輸出入の管理業務の部署に配属された。

 そこで、英文を読んで返事を出したり、M物産の要求することを英文にして送る仕事を始めた。かなり疲れる仕事のようで家に帰ってくると風呂に入って、早く寝るようになった。一方、長男の幸一もパソコンの販売の実質的な責任者に抜擢され、苦労の連続で、風呂に入りビールを飲むと直ぐ寝た。そして1978年12月となり1979年を迎えた。

 その事、長女の幸子が、月に1、2回、遅くなると電話がかかり22時頃、帰る様になった。その話が気になり、肇が奥さんに、娘の幸子の事を聞くと、入社の時に世話になった加藤課長さんのグループと飲んでいるようだと知らされた。気になった母が、幸子に、加藤課長さんとの付き合いを聞くと、良い先輩で、30歳になったばかりで独身でできたら結婚を考えてると打ち明けた。
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