第22話:株の成功で幸一が引っ越し

文字数 1,540文字

 この年も1987年5月の連休の前半、5月1日の午前中に来てから3日の夕方帰る予定で、幸子夫妻と2歳半になる子供達が訪ねて来た。海老名の公園や七沢の日向薬師へ連れて行った。もう既に、しっかり歩き、追っかけ回すのが大変なくらい元気だった。後半は5月3日の昼前に幸一夫妻と孫の1歳半の孫達が来て、実家の庭をゆっくりと歩いていた。そして5月5日の夕方帰っていった。

 夏休みは8月12日昼に、幸子ファミリーがやってきて、もっぱら、家の北側に、今年買った大きめのプールを置いて、水を掛け合ったり、持ってきた水鉄砲で、打ち合っていた、その余波を受けておばあちゃんとおじいちゃんはびしょ濡れになった。そして8月14日昼に、帰って言った。その日の11時に、幸一ファミリーが来て、総勢8人で、冷や麦の昼食を食べた。その後、幸子のファミリーが帰った。

 幸一ファミリーが、交代で大きめのプールで水の掛け合いをして遊んでいた。1987年10月14日、早朝、証券会社の朝井さんから、8時半、日本電気株が2600円の気配値が出てるから成行売りと指示が出て、菅原肇も一郎も納得し、全株、成行売りを指示した。父が税引き後利益37000万円、となり資産総額4億円、幸一が税引き後利益1030万円で、資産総額3700万円となった。

 そのため、幸一は、広い3DKのマンションを月額12万円で借り引っ越した。その頃、次女の幸恵は、橫浜の市民病院で中堅の循環器医師になった。その病院の同期の男性医師、桜井秀二と結婚して、できたら一緒に内科医院を開きたいと考えた。しかし開業するには、医療関連の機材だけ最低5千万円は、必要だと考えていた。土地と建物を含めて1億2千万円から1億5千万円が必要だと考えた。

 しかし、幸恵は、2千万円、秀二は、3千万円の預金しかない。そこで幸恵が、菅原肇に2億円を借りられないかと考えた。だめもとで父に電話し2億円貸して欲しいと言うと、その理由を具体的に聞いてからでないと決められないと言った、それを聞いて納得してくれたら貸してもらえるのかと再度、確認。

 父が、資金的には大丈夫と言った。それでは、12月26日に一緒に開業を考えている同僚医師と伺った時に詳細を話しますので宜しくと言い電話を切った。やがて12月26日、幸恵が桜井秀二と一緒に海老名の実家を訪れた。そして両親の前で、こちらが同じ病院の同じ循環器内科で働いている桜井秀二さんですと紹介。将来、結婚したいと考えていると話した。

 そして、早速、開業の話をしますと言い、医師になって6年目になり、最近、橫浜でも高齢化が問題になり始めている。老人のかかる病気の多くが循環器系の高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、痴呆、パーキンソン病などだと話した。それを考えると近い将来、循環器専門の開業医の必要性が高まるはずであり、今のうちに、人口の多くて、大病院に知り合いの先生が多い、今の病院の近くで開業するのがベストだと言った。

 それには、1億円、資金が足りないので貸して欲しいと言った。ところで結婚はいつするのか、また、開業の時期はと父が聞いた。結婚は、来年中には結婚する予定と言い開業は、3年以内と話した。次に、桜井秀二君の紹介を詳しく聞かせて欲しいと父が言った。それを聞き自己紹介させていただきますと言った。川崎の海に近い所の町工場の次男坊として1957年4月10日に生まれました。

 その後、川崎高校を出て、橫浜市大医学部に入り医者になり循環器内科の研修医になった。その時、偶然、幸恵さんと知り合い、4年間、つき合っていますと言った。さっき幸恵が話した理由で循環器内科・開業医の必要性が高いと感じ開業を目指してると答えた。それを父が聞いてなる程と言った。
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