第39話:コンサートの3人の観客が倒れる

文字数 1,533文字

 横浜での2003年8月17日、日曜の16時からの17時の「夢のひと時、青春は輝いていた」のコンサートで、3人が倒れたと菅原幸一に電話が入った。
「日曜日で大病院が休みで横浜市内の桜井循環器内科に運ばれたとわかった」
「桜井循環器内科と言うと幸恵の開業先じゃないかと思いだした」

「その後、電車とタクシーで桜井循環器内科へ行くと既に治療は終了していた」
「父、菅原幸一の突然の来訪に幸恵が、どうしたの急にと驚いたように言った」
「理由をして説明すると、へー、お父さん実業家になったのだ言った」
 18時に、診療が終了するから、ゆっくりしていってと言われた。

 それにしても久しぶりねと幸恵が言った。父が、開業先は、ずいぶん大きくなったねと言うと大学病院や市立病院と連携で循環器の急患の初期治療をするようになり、このところの高齢化で救急患者さんが多いと話した。まー、その分、神奈川県内の大学病院の内科・研修医を土日祭日は、3人雇って対応してるのよと語った。お陰様で利益が増えて、もう少しで父から借りた、お金も全額返せそうよと言った。

 今日は、熱いから冷ソーメンを作るから食べていってと言った。大きな圧力なべに数束の乾麺を入れて蒸気が上がると過ぎ火を止めて圧力鍋に水をかけると音がした。ずいぶん荒っぽいなーと言う、手早くできるのと笑った。ふたを開けて水で冷ソーメンを洗い、大きなざるに2つに分けた。それを終えたころ旦那さんの桜井君が入ってきて研修医3人も続けて入ってきた。

 電子レンジで、野菜と肉炒めが温まり大皿に出した。めんつゆを自由にお椀に入れ、冷たい水で薄めてから6人で、2つのざるに入った大盛のソーメンの食べた。今日の暑さで、冷ソーメンの冷たさが、たまらないほど旨い。10分で若い3人は、ごちそうさまでしたと言い部屋を出ていった。土日は、3人の若い研修医に救急をお願いしてると言い、救急のほとんどが高齢者で夏は熱中症、冬は脱水症状が多いと述べた。

人工呼吸器3台と点滴セットも常時スタンバイしているのよと、幸恵が説明した。感染症の疑いのある患者さんは怖いので、処置の仕方は決まっているので、若い医者でも大丈夫と言った。もし、熱中症、脱水症状、以外であれば、桜井院長か、私が、診察することになっていると語った。大都市では、救急と開業医、大学病院、市民病院の連携大切であり、この地区では、うまき機能しているのよと誇らしげに言った。

今まで住んでいた家は、どうしたのと聞くと全部診察室と救急治療室、回復室にしたと話した。そして、自分たちは、近くの3LDKの賃貸マンションに住んでいると告げた。父、家賃高いのだろと聞くので眺めが良くて、新しいから月に20万円。でも、経費で落ちるから、心配いらないのと笑った。ただ、忙しい毎日で、子供を作るだけの時間的な余裕がないのが、ちょっとねと言うと、寂しそうな顔になった。

 それを聞き、人は、みな平等に24時間しかないからなと言うと、あたり前でしょと明るい顔に戻った。ところで、さっき運ばれた患者3人の容体はと聞くと保冷材で体を冷やして点滴注射で水分や体液を補給してるから、1,2時間したら自宅に戻れるはずよと教えてくれた。だから心配しないで帰って大丈夫よと言い、詳細は、後で、お父さんの所へ電話してあげるから、自宅に帰ったらと言った。

 何から何まで、すまないねと言うと人を助けるのが医者の仕事だからと話した。それより私たちは、実家に行く時間ないから、お母さんと一緒に、たまには、美味しいお土産もって、訪ねてきてくださいねと語った。おかあさんにもくれぐれもよろしく言っておいてと優しく言ってくれた。じゃーこれでと言い、父は、幸恵と別れ、自宅に戻った。
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