第11話:幸子の結婚話

文字数 1,505文字

 次女の幸恵の方は、橫浜市大医学部の授業についていくのが精一杯で、とてもアルバイトという余裕はなかった。そうしているうちに1978年が終わり1979年となった。次女が冬休み、自宅に帰ってきても教科書を片手に勉強を続けた。覚える事が多く分野も広いので、まるで受験生の様に夜遅くまで勉強をしていた。今年の冬は、寒く、ストーブが離せない日々の連続。

 1979年1月、長男の幸一がNECが日本初の日本語が使えるパーソナルコンピューターを発売するという大型電気販売店向けのセミナーに行ってきた話をした。そして今年の夏に、そのパーソナルコンピューターを発売すると教えてくれた。NEC・日本電気の技術者の話では、もう既に1976年8月にマイクロコンピューター・システム開発のためのトレーニングキットとしてTK80を発売していた。

 高価な端末装置を必要としないという点が、当時のアマチュアの目に留まり、TK80は、本来の意図とは異なり相当数がコンピュータマニアに購入されるのではないかと幸一は、事前に予想していた。そのトレーニングキットを一般用に発売するという事らしいと父に話した。この話しを聞き、翌朝、証券会社の担当者に電話すると早速調べると言った。

 幸一は、NECのインストラクター用のセミナーでも知識の高さを評価された。その後、毎週水曜日に、NEC・ビットインを訪問するので、NECの峰岸課長が、君の仕事は、と聞かれ本厚木の電機屋で働いてると答えた。その翌週、峰岸課長が、君、なかなか売り上げも良く説明も上手らしいねと話しかけた。そして、良かったら、NECで、働かないと誘いをかけてきた。

 現在の給料と年収を聞き20%アップで雇うと言われ、その気になり1979年3月末で本厚木の電気店を退職。そして4月からNECの社員として正式採用された。
「この話を両親が聞いて、母が、幸一のひたむきな努力が実を結んだねと言った」
「幸一の幸の字が、きっと幸福を呼んできたんだよと喜んだ」

 その後、自宅から1時間かけ秋葉原のNEC・ビットインに通い、オタク系、マイコン・マニアと対面して相談にのったりBASIC言語のプログラムの話をし徐々に名前を知られた。1979年4月、長女の幸子が、突然、両親に大事な話があると言いM物産入社時に世話になった加藤課長さんと結婚したいと言った。彼の実家が東京下町の佃煮の店だと言い、現在1人で、橫浜のアパートに住んでいると伝えた。

 そこで5月3日、両親に会いたいと言っていると話すと、父が聞くしかないだろうと小さな声でつぶやいた。それでは、宜しくねと言って会社に出かけて行った。5月3日、朝10時、加藤さんが菅原家を訪れて、最初、緊張しながら、自己紹介して、お土産を母に渡した。その後、お茶を飲みながら結婚したいと言った。

 すると脇に座っている幸子が、6月25日、日曜、ホテルニューグランドを予約したと告白。これを聞き、父が、なんだ、もう決まってるのかと驚いた。この計画を承認して下さいと加藤さんと幸子が頭を下げるのを見て仕方ないなと言った。結婚式の事は、全部やるというのだねと聞くと幸子がハイと言ったので親戚の名簿を貸して下さいと言い呼ぶべき人を教えてと言い名前をメモした。

 その後、話が終わると、めでたい席だからと言い、近くの寿司屋から、結婚祝いに豪華な寿司を頼んだ。そして、加藤さんと父が盃を交わした。その時、幸子を幸せにしてやってくれと言うと両親の目に涙が浮かんでいた。その後、1979年6月25日、日曜、ホテルニューグランドで11時から結婚式で12時から披露宴のスケジュールで結婚式が始まった。
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