第34話:パソコンショップとソフト教室を開設

文字数 1,722文字

 2000年を迎えコンピューターが誤動作するとか、いろんな噂があったが、大きな問題も起きずに済んだ。今年は、2人だけで初詣でに行き、菅原ファミリーの健康と孫達の健やかな成長と繁栄を祈願して帰って来た。その後、2000年2月22日、証券会社の朝井さんから8時半、ソニー株、33150円で気配値出てるから売りと言われ、成り行き売り4千株を指示し、その日の昼休みに証券会社に電話すると売れたと言われた。

 そして父と幸一税引き後利益26500万円となり父の投資残金5億円、幸一の投資残金が約3億円となった。この話を聞いて、菅原幸一は、声を上げずに、あまりのうれしさにガッツポーズを取ってしまい、資産が3億円を超えたと思うと身震いがした。その後、幸一は、父に電話してきて、NEC秋葉原での仕事を辞めて、パソコンの教室や販売、修理、アフターケアをしようと考えていると話した。

 そして2月8日、幸一が、孫の、健一と健二を連れて、家族4人で海老名の実家にやってきた。その後、幸一が父に、東京、横浜で、中高年や初心者を中心にパソコン教室を開いて、自分が買うべき機種の選択であるとか、主要ソフトの使い方を教えて、ウインドウズ・パソコンの本体やソフトウェア販売、修理、部品交換をする会社を立ち上げたいというと、やるなら、若いうちが良いと言ってくれた。

 そこで、秋葉原で知り合った、パソコンに詳しい若い工業高校生や就職口が決まっていないオタク系のパソコンマニアに声をかけ始めた。すると7人が面白そうだと言い参加表明した。その後も声をかけ続けて、スタッフ10人でパソコンショップを始めようと考えた。その後も、その話を顔見知りの男達に声をかけて18人から好反応を得たが10人が、既に電気店に就職していたりしていた。

 しかし、現状の仕事が、電化製品全般の販売なので辞めたいと感じてる人も多く夏のボーナスもらってからとか今年中という人もいた。そこで直ぐ、参加できるスタッフ8人で開始してみようと考えた。そして、「未来商会」と名付けた有限会社を代表取締役会長、菅原肇、社長、菅原幸一で、5千万円ずつ出し合って1億円の資本金で作り法務局に登記した。

 秋葉原から徒歩数分のところに公共施設の会議室があり、1室30人で3時間3千円で借りられた。そこで、まず、パソコン教室を初めて顧客捜しのためのチラシを作り始め、その文章をワープロで書き始めた。まず、インターネット、メールの使い方、ユーチューブの使いから、日本語ワードプロセッサ、エクセルのような表集計計算ソフトの使い方、教室を企画した。

 幸一のパソコン教室は、順調に、生徒さんが集まりだし中高年のソフトウェアの教室は生徒さんが増えて30人を超えた。一方、ノートパソコン、据え置き型パソコンの修理を増えてきて、忙しく活動し始めた。菅原肇、74歳になって元気で毎日散歩して、地元老人クラブで世話役をしていた。以前、会社時代の上司の里村さん81歳が会いたいと連絡が入り、2000年3月4日土曜日に海老名の喫茶店で面会した。

 里村さんは、昔の面影はあるもののすっかり白髪になり老けた気がした。久しぶりですと菅原が挨拶すると、相変わらず元気そうだねと、笑いながら言った。ところで、今日、お呼びしたのは、ちょっと相談事があってと話し始めた。里村が、菅原君、この数年、投資で、だいぶ儲けたそうだねと言った。誰から聞いたの質問すると、それは内緒と答えた。

 実は相談というのは、7年前、東京都庁に勤めるの自分の学生時代の友人、池辺さんから老人施設経営をしないと持ちかけられた。そこで、里村さんが、菅原君のことを思い出したと言うのだ。この申し出に対して、息子と大きな商売を始めよと思っているところなので、現状では、難しいと答えた。すると、まー仕方ないかと言い、わかった、また、他を当ってみるよと言って去っていった。

 2000年5月6日までに自分たちを含めスタッフ10人でパソコンの修理、部品、中古品販売と使い方教室、ソフトウェア教室を企画した。そして10人のスタッフの得意な分野別に、担当者を決めて、最初は、土曜、日曜、水曜の週3回で始めることにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み