第12話:幸子の結婚と幸恵の医学部卒業

文字数 1,500文字

 幸子は笑顔で、両親は緊張した顔で、式にのぞんだ。披露宴では、加藤さんと幸子が、各テーブルを回り、キャンドルに火をともして回り、結婚の挨拶をして回った。14時に予定通り結婚式が終わり、若い人達は、繁華街に向かった。両親は、親戚など、世話になった人達に、お礼の挨拶をして回った。結婚式が終わり、その日の晩、中華街の美味しい中華料理店の個室で両親がうまい料理を食べた。

 その席で紹興酒で乾杯して幸子の生まれて今迄の昔話を始めた。
「母が、子供達の名前の由来について、昔を思い出し、話しだした」
「子供達全員が幸せになって欲しいと、みんなに幸という字をつけたわねと、ぽつりと言った」
「言い終えた、母の目には、涙を浮かんでいた」
「最初の幸『さち』が、うちを去るのねと言うと大粒の涙がこぼれ落ちた」

「父が、子供達が、我が家を去って、新しい家族を作る」
「また、新しい幸を何人もつくれば、日本中が幸福になるはずと言いながら涙をふいた」
「その時、料理を運んできた仲居さんが、良い話ねと言い、涙を流してくれた」
「料理を終えて、このまま、家に帰るのは、惜しいからと言い父が、近くの素敵なバーに母と入った」
 
 そこでは、ドラム、ギターリスト、歌手が、生演奏してくれるバー。その晩も懐かしの1970年代のアメリカンポップス、マイルス・デイビスなどジャズも演奏して2人の青春時代に戻った気がして、いろんな思い出話が飛び出した。その後、時を忘れ語り続けて22時になり帰りましょうと言われた。今日は、めでたい日だと言い、タクシーを捕まえで、自宅に帰った。

 その後、着替えて、直ぐに床に入り寝てしまった。その後、足早に季節は過ぎて、年末になり1980年を迎えた。この年、長男の幸一が、父に日本でもパーソナルコンピュータ時代が来たと説明しNEC8001の話をした。1980年1月、30万円もするNEC8001を買ってきた。この話を聞き、菅原幸一は、確かに時代は進んでいるし自分の会社でも電算化の話題が出るようになったと言った。

それを考えて、NECの資料を集め出した。3月になると、菅原肇は、長男の幸一の部屋に行き、NEC8001の使い方を教えてもらった。更に、コンピューターの簡易言語BASICで作ったゲームを見せてもらったりBASICのプログラムの説明を聞き、これはすごいと感動した。やがて、こう言う機械を個人が持つ時代になればNECは、急成長すると確信。

 長女の幸子は、1980年4月からM物産に採用され総務部総務課に配属され加藤総務課長の下で、社外からの電話受付の仕事をする様になった。菅原肇は、その後も長男、幸一にBASICのプログラムやマルチプランと言う表集計計算ソフトや松とか太郎という名の日本語で文章を書けるソフトウェアの使い方も教えもらった。それを見て、ますますコンピューターの個人使用「パーソナル化」に注目した。

 そして長男の幸一は、パソコンを使いこなす能力を買われて東京秋葉原の店でNECパソコンの販売の課長に任命された。そしてパソコンをお客さんに指導できるインストラクター養成の仕事を始め、同じ頃、1980年5月から秋葉原の店でパソコン教室を始めた。1980年3月に次女の幸恵は、橫浜市大医学部を卒業し1982年の医師国家試験を受ける事になる。

 大学のサークルの先輩から参考書や問題集をもらい袋に入れ自宅に持ち帰った。そして今度は医師国家試験のため受験勉強を始めた。
「これを見た、母が、まだ受験があるのかと言い、医者になるって本当に大変ねと伝えた」
「暗記しなければならない言葉と意味を暗記するためラジカセを利用した」
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