第27話:桜井医院の新規開業と幸一ファミリーの川遊び

文字数 1,590文字

 一方、桜井秀二と幸恵は橫浜の市民病院に3月31日付けで、退職願を提出。この年4月1日から9月30日まで 国際花と緑の博覧会が、大阪市で開催された。しかし、日本株の凋落ぶりに業を煮やした橋本龍太郎蔵相の株価対策発表と前日の2万円割れの反動で、10月2日、日経平均株価が前日より2676円55銭高い2万2898円41銭で取引を終了。これは1日の上昇幅では歴代1位、上昇率「+13.24%」も歴代2位の記録である。

 その後、4月20日に橫浜の片倉町駅から徒歩5分の地に建設してい桜井循環器内科医院が完成した。その後、電化製品、医療機器などの搬入を終えて、1990年5月7日、桜井循環器内科医院が新規開業となった。もちろん、市内の新聞のチラシに、その案内を載せた。5月6日の落成式には、菅原夫妻も招かれた。そこには、橫浜医師会、橫浜市立大学医学部の重鎮や循環器内科教授をはじめ、多くの先生方が来ていた。

 そして5月7日には採用した女子事務員3名と事務長の男性1名、看護婦2名が薬剤師2名がそろった。開業早々、長蛇の列とはいかないが、待合室の椅子は、かなり埋まり、患者さんも途切れることなくやってきた。予想通り高齢者の患者さんが多かった。そのため、薬剤師さんは、優しく丁寧に薬の服用方法と回数を説明していた。開業初日、新規患者総数126名で夜19時に診療を終えた。

 その後も若いお医者さんで、近くの橫浜の市立病院出身とあって、以前、市立病院でかかっていた患者さんが、ほぼ全て、新規患者としてきてくれた。また、その患者さんの口コミで、更に増えてきた。住まいは2,3階を6LDKにして1室を6畳の洋間にして住み始めた。そして、もし将来、患者さんが増えて、大学の医師の応援を頼むことになれば、2階も診察室に使える様に設計してあった。休診日を水曜日にして、当初は、土日も診療することにした。

 土日診療が、地元の人達に受けたのか、着実に患者さんを増やして行き、7月の梅雨明けには、150人を超えてきたので、橫浜市大循環器内科教室の池内教授にお願いして、若手2人の先生の応援を依頼した。そして、臨床検査の資格のある女性を1人雇い、血圧、脈拍、心拍数、注射を取ってもらえるようにした。秋には、初めて200人を越えた。そこで、もう1人若手医師の応援を依頼し、5診にして、2階も全て診察室にした。

 一方、海老名の菅原家に幸一ファミリーの孫、健一と健二が両親と一緒に電車に乗って、海老名の実家にやってきた。そして5月4日土曜夜にやってきての8日に帰る予定で泊まりに来た。そこで、ハイエースに乗って、出かける事にした。土日はさけて、8月6日、早朝、5時に起きて朝食をとって、おにぎりのお弁当を持って6時半に家を出て、厚木に入り、七沢をぬけて、清川村をひた走り、宮ヶ瀬のやまびこ大橋を渡り、左折して南下した。

 途中、2回、トイレ休憩して9時前に唐沢キャンプ場に到着して、子供達がお腹が空いたと言うので、おにぎりを食べさせて、9時半過ぎに水着に着替えて準備体操をして、10時前に川の入り口から近い所で菅原肇と幸一が健一と健二の手を握って川に入ると、冷たくて気持ちが良い。そして、浅瀬を散策して、体が熱くなると、川に入って、涼んで、流れの緩い所で水泳を楽しんだ。女性達もハイエースの窓のカーテンを閉めて水着に着替え川に入って涼んだ。

 そして、川遊びを楽しんで、12時頃になって、少し疲れると、水を拭いて、シートを倒して、防水シートを敷きその上にバスタタオルを置いて、30分くらい休もうと言うと、子供達が、疲れて、すやすやと寝てしまい、幸一と京子さんが横で添い寝した。その頃、菅原肇と奥さんが、その冷たい川に入って、涼んでいた。約1時間くらいして子供達が起きて、お腹が空いたと言うので残っている、おにぎりを食べさせた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み