第37話:新たに利益を出せる事業への努力

文字数 1,598文字

 菅原幸一と佐島芳子さんが参加すると、パーティードレス、昔はやったスーツ、ヒッピースタイルの連中が、嬉しそうに、友人数人と連れ立って来る姿が、素晴らしく、感動的だった。それにつられるようにして、若者も増えてきたのには、驚かされた。
「佐島芳子さんが菅原幸一に音楽って、時を超えるって本当なのですねと耳打ちした」

「菅原幸一が、両親の菅原肇と多恵さんを招待した」
「すると、素晴らしい、涙が出る程、良い音楽ねと言い母が目を潤ませた」
「その後、スタッフが12人で、土、日、首都圏を中心に、パーティーを継続した」
すると新聞社が取材に来るようになった。

 その2週間後テレビ局が参加者たちの顔を見せないという条件で放映を許可すると、その人気にに火が付き、毎回、東京、横浜、千葉、埼玉で満席となった。そして1つのブームになった。この年2002年は、この事業の成功で1年が終わったが蓄積した利益が増えていくのは心強いものである。2003年も中高年を中心に、何かできないかと嶋村圭吾さんと北山和子さんなど、12人のスタッフで検討してもらった。

 実際に中古運の人達に、意見を聞こうとを菅原幸一と佐島芳子が食事会を企画し招待した。すると料理教室なんか良いと思いますと言う意見が出た。中高年になると料理の嗜好も変わり出来合いの料理ではなく、自分たちに会った料理を作りたくなる。しかし、料理上手の人は、少ないので、料理上手なアマチュアを呼び、簡単に作れるおいしい料理なんて、受ける思うと言った。

 その話をしてくれた富士繁子さんに人選もすべて任せ、かかる費用も会社で支払うからメンバーを探して料理の先生を探しと企画を考えて欲しいと伝えた。これに対し面白そうと言い、やりますと言った。その話の会社のメンバー全員に情報を提供するとコック経験者、アルバイト経験者、調理師さんも見つかった。新しいメンバー3人と社内の希望者5人の8人で試験的に料理教室と試食会の夕べの企画が動き出した。

 2003年4月、パソコンのグループの手塚一郎さんからスカイプと言う電話の機能を持ったソフトのテスト版が面白いという話が菅原幸一の所に入った。そこで、ノートパソコンにマイク付きのヘッドフォンを使い、テストをしてみると、まさに、無料電話と同じじゃないかと菅原幸一が驚いた。この料金はと聞くと、手塚一郎が無料ですというので思わず、無料かよと、叫んだ。

 これ、面白いよ、継続して仕事に応用できるように考えてくれと、菅原が手塚に依頼した。この話を中高年のパソコンの使用者たちに伝えると、完全に使えるなら、中高年にとっては、離れて住む、子や孫と無料でいつでもの連絡を取れるニーズは、大きいと話した。そのうちに2003年にベータ版「テスト版」が公開されたので、さっそく使用してみると、遠くに離れている者同士で音声会話が完璧にできる。

 その後、スカイプは、使えますと菅原の所に連絡が入った。その頃、料理教室グループでは、試験的に横浜市内、東京都内の公共施設の料理室を借りて、中高年対象の料理教室が始まった。そこで料理を作りたい人達と、手作りの料理を食べて、おしゃべりをしたいという人がいるようで、どうやって運営するか思案中だと言った。

 そこで料理時間をあらかじめ想定しておいて、その時間だけ参加のする人とメンバーと分けて会費も料理をするグループの費用を無料にしたらどうかと菅原が提案した。了解しましたと担当者が言い、その食事会の企画ができたら、菅原幸一と佐島芳子さんにも参加していただき、ご意見を伺いたいというので、決まり次第連絡する様に話しておいた。

 その後、2003年6月14日15時から17時、横浜駅から徒歩15分の公民館の調理室で第1回をを開催すると連絡が入った。料理スタッフが富士繁子さんと3人で、当日、料理参加希望者5人で調理のメンバーが8人で決まった。
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