第33話:就職氷河期へ対策の悪法

文字数 1,580文字

 専門家は「日本の銀行貸出残高の対GDP比は、1980年代初頭までは約70%で一定していた。その後、1980年代半ば以降から急上昇し、バブルピーク時には107%まで上場。銀行が安易に貸し出しを行い企業も安易に借り入れたと指摘もある。もちろん、銀行の貸し出し態度と借り手側の事情の変化の両方に問題があるが、金利を見る限り銀行が貸し渋りをしたというより借りる側が減った。

 資金需要が減ったと解釈すべきであると考える経済専門家もいた。日本の金融システムに対する信用が落ち、邦銀が海外で資金を調達する際に、通常に較べて高い利率を要求された。相手が邦銀であることを理由に積み増す利率は、ジャパン・プレミアムと呼ばれ、1997年秋や1998年秋に上昇し最大で約1%に達したが、1999年には低下していき、2000年になると、この積み増しはほぼゼロとなった。

 かつて日本国外の不動産や資産、企業を購入して進出していた企業が、本業の業績悪化に伴い撤退をした。三菱地所は、ロックフェラー・センターの主要部分を買収時価額を大幅に下回る価額で手放さざるを得ず大きな損失を出して撤退。この様な日本の経済衰退により雇用は抑制された。資料によれば大学卒業者に対する求人数はバブル景気崩壊の1991年、約84万人をピークに1997年、約39万人まで減少。

 やがて就職氷河期と呼ばれるようになる。この時期は一転して公務員の人気が非常に高くなった。民間企業の倒産やリストラが相次ぎ新規採用が絞られるなか、「景気の動向に左右されにくい」という公務員の特徴がバブル期とは全く逆の捉えられ方をされ、その堅実性から公務員を希望する学生が増加した。他方で長引く不況下でも失業の心配がほとんどなかった。

 地方公務員に限っては収入減少の憂き目にも遭わず年金や社会保険など福利厚生も充実した公務員が、民間と比べて優遇されていると批判する世論も高まった。こんな中、規制緩和の一環として不況下の経費削減、殊に固定費削減のため企業の業務を担う人員や業務を企業本体から切り離し外部から調達する方法も取られた。つまり人材派遣業会社から人員を調達し企業の業務に当たらせる事で雇用を流動化させた。

 これに対して自民党の最大支持母体の一つ経団連は、大賛成し協力を約束したのである。その理由は、企業にとって派遣は、健康保険や年金や雇用保険の社会保障を省略できる事、また定年までの雇用の義務がないことから厚生年金に対する負担がない事、景気に応じて雇用の調整弁として有用な事、そして、能力に応じた賃金を支払えば良く、年功序列に応じた高賃金の支払いを免れる利点がある。

 また、材料・部材、あるいは製品そのものの製造を外部委託「アウトソーシング」し、設備投資や固定費用の削減を図る。更に、サーバ管理業務、ダイレクトメール発送業務を委託する事例も増えた。一方で、これらの供給を行う業務請負会社、人材派遣会社も成立し、業績を伸ばしてきた。これは企業にとって理想的なシステムだった。そして、この派遣で、数字上、就職率は上がった。

 政府と経団連に良い事ばかりであった。しかし、立場を変えて、雇用される若者にとっては、給料は、少ないは、ボーナスがない場合もあり、収入が少ない。また、将来的にも健康保険や年金や雇用保険の社会保障はないし、会社事情で、何歳になっても、また何年勤めていても、いつ解雇されるか判らないため、子供を作るどころか、結婚さえするわけにいかない非正規雇用の若者「特に男性」が増加し少子化が加速した。

 名前は、明かせないが、この悪法を考えた大臣経験者が日本の最大規模の外部委託「アウトソーシング」会社の社長まで務めるという落ちまでついている。まさに、悪代官と越後屋の構図と同じ。そして20世紀が終わり21世紀、2000年があけた。
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