第19話:双子の面倒で京子さんが活躍

文字数 1,497文字

「その後、母が泣くと呼応するかの様に二人の子供達が同時に泣き始めた」
「親子って不思議ね、気持ちが乗りうつるって、こう言う事なのかもと冷静に語った」
「すると何でも良いから早く痛みが治まって欲しいと幸子が、辛そうに言った」
「そんな話をしていると、那の加藤君が慌てて病室に入ってきた」

「少し落ち着いた幸子に大丈夫だったかと聞いた」
「これに対し大丈夫じゃない、痛かったわよと悪態をついた」
 その話を聞いて、菅原夫妻は、加藤君に、後は宜しくと言って病室を出て行った。家に帰ると、当たりは白々明るくなってきた。家に戻って、もう一度風呂に入って、床について寝た。

 翌朝10時過ぎに起きて、幸子に男女の双子が誕生したというニュースを長男の幸一、次女の幸恵に知らせた。その後12月24日に幸子は退院し、加藤君が運転するワゴン車に幸子と双子と両親が乗って自宅に帰ってきた。そして加藤君が、長女を美子と名付け、長男を賢一と命名。幸子のために両親が大人用のベッドと子供用のベッド2つを買って幸子の部屋に入れておいた。

 それを見て幸子が、さすが、お母さん気が利きますねと言うと、これは、お父さんのアイディアよと言った。それを見て、かかった費用は、お支払いしますと言って下さいと加藤君が言うので、これ位は、私が出すと言った。
「この病院は豪華だが入院費と手術代が高そうよと言うと幸子が生命保険に入ってると話した」

「でも事故や病気ではないから保証されないかも知れないねと言うと、そうかしらと言った」
「それを聞いていた加藤君が、これは、金に換えられることじゃない」
「だから何とかするから、君は心配しなくて良いと断言した」
 やがて1985年。

「新年の挨拶に来た幸一と京子さんが、男女の双子を見て可愛いと言った」
「京子さんが、母のタエさんに大変なら正月休みの5日まで泊まり込みで手伝いますと言った」
「この話を聞いて、もしできれば、お願いできるかしらと言うと、もちろんですと答えた」
「だった、私のお姉さんですからと言う話を聞いて両親とも感心した」

「その後、お湯を沸かしたり帝王切開の傷口の消毒をし、大活躍」
「料理、炊事、洗濯を母と分担し、母が、思わず、何て良い娘さんなんだと言った」
「うちの娘に欲しかったと、思わず、本音をはいた」
「これを聞いた父が、息を殺して大笑いし、その気持ちわかると母に言った」

「その分、風呂掃除やお風呂など簡単な事は、京子さんが幸一に命令し、やらせていた」
「それを見て、幸一が京子さんの尻にしかれてると母に言い大笑いした」
 あっという間に1月5日を迎えて幸一と京子さんが仕事に戻ると言い秋葉原へ帰っていった。それから、毎週、加藤さんが来るだけで大忙しの毎日が続いた。

 それでも季節は確実に進み、3月中旬を過ぎた。すると幸子も回復し女2人で家事、育児をして手が足らないと父に指示して炊事、皿洗い、掃除を手伝わせた。父の唯一の楽しみは、毎週来る加藤君の買ってくる差入だった。その差入を肴に酒を酌み交わすのが一番お楽しみになった。先々週は、橫浜崎陽軒のシューマイを5人分買ってきた。先週は、横浜中華街の豚まんの差入れ、今週は、何かと楽しみにした。

 すると今週は、中華街の豚肉蒸し小籠包を5人分買ってきてくれた。これも実に旨く、最高の酒のつまみとなった。楽しみにしていたのは、父だけでなく、母も同じだった。それが、ずっと続き、5月の連休となる頃には、幸一夫妻が来るとわかると5月3日、午後、加藤君が、大きな箱に入ったチャーシューを買ってきた。そして、幸一夫妻も入って、父が、旨い酒を用意して5月3日は、大宴会となった。
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