第23話:幸恵の結婚と開業資金の融資の話

文字数 1,737文字

 それでは、開業するまでは、最大3年の期間があるわけだなと確認すると、その通りですと話した。それでは、まず結婚式を決めて1年後に1億円を貸すかどうかの話をしようと言うと桜井秀二さんが了解しましたと答えた。父が、話は、これで全てだなと確認し、一緒に夕飯を食べようと言い、すき焼きを出した。

 温かいすき焼きを食べながら、桜井君が、サッカーとスキーが上手だという話や長男が実家の金属加工の工場を継いで、社長をやってる話などを聞いた。そして、桜井秀二君が、大学の医学部に入って、内外研修期間もあり、自分の両親にも、かなり経済的負担をかけたので開業して数年して黒字になったら、少しずつ借金を返していきたいと話した。それは偉いと父の菅原肇が桜井君に言った。

 それは、当たり前です、借りたものは返さないと駄目ですからと笑いながら言った。幸恵が、父に、私は、教育費を返すのは、無理だからねと笑いながら言った。やがて21時近くなり、それでは、これで失礼しますと桜井君と幸恵が家を出て、車、帰って行った。その後、母が、これで、幸恵が嫁に行くと、子供達全員が巣立っていくのねと寂しそうに言った。それだけ、私達も年を取ったと言う事だよと父が言った。

 帰った後、風呂に入って、ビールを飲みながら、母が、桜井君は、誠実そうで、体格も良く、賢そうで、幸恵も見る眼あるわと含み笑いをした。やがて1988年があけた。今年も近くの神社に菅原夫妻が初詣で行き、菅原ファミリーの家内安全と幸恵が幸せを掴むようにと祈願して来た。その後、寒い日は、家の中で温かくして過ごし、快晴の日には、昼過ぎに家の周辺を散歩して、過ごした。

 少しずつ、暖かくなり、3月初旬、伊東温泉と熱海温泉、箱根に3泊で旅行に出かけた。最初、伊東温泉に行き、1泊して、翌朝、早く、車で下田へ出かけた。爪木崎灯台へ行き、散歩して相模湾と海の向こうに見える大島をながめた。その後、水族館を見学して、ペリー来航で有名な、ペリーロードを歩いた。観光案内所のパンフレットには、ペリーロードのことが詳しく書いてあった。

 幕末、黒船により来航したペリー提督一行が了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのが、この道。かつて出船入船三千隻とうたわれた港町下田の花柳界の面影を残しており、平滑川沿いを石畳の道が続いていた。伊豆石や、なまこ壁の家並み、柳並木が独特の風情を醸し出している。了仙寺のほか、日露和親条約締結場所である長楽寺、あじさい祭で有名な下田公園もこの近くにある。

 特徴的なお店も多く、たくさんの観光客の皆さんが集まる下田の代表的な観光地と書いてあった。そのためか、まだ朝だと言うのに大勢の観光客が訪れていた。その川沿いの道を散歩して少し疲れたので、既に、開店しているカフェを探してモーニングセットを食べ美味しい珈琲を飲んできた。次に、下田開国博物館も見学し、下田から北上し城之崎海岸を散歩した。

 次に、伊豆高原近くの伊豆シャボテン動物公園を見学して回った。その後、近くのレストランで昼食をたべた。伊東への帰り道、川奈港の近くの駐車場に車を置いて、案内板の通りに右手の海岸沿いの道を歩いて行くと川奈崎灯台が見えた。そして灯台を見学すると、海は、もちろん、あの有名な川奈ゴルフ場の富士コースが一望でき、その美しさに感動した。

 もちろん、多くのゴルフ客が、ゴルフを楽しんでいた。そこから、車で程なくして、伊東のホテルに15時過ぎに到着した。そして温泉に入って、少し部屋で休み19時過ぎに夕食会場へ行き、夕食を食べて、再度、温泉に入った。部屋に戻り、ビールを飲んで、今日の観光の話をして、22時過ぎに床についた。翌朝9時に起きて、10時過ぎにホテルをチェックアウト。

 その後、錦ヶ浦に立ち寄り美しい景色を眺めたら直ぐ車で移動。次に、あの有名な豪華旅館、起雲閣を見学。大正時代に建てられた外観は和風邸宅と和風庭園。内装はステンドグラスやタイル張りの素敵なモダンな洋風応接間がいくつかあった。また、ローマ風呂や日本的な風呂があり文明開化の時代の影響を残した素晴らしい建築物だった。その中の喫茶室では、ネルドリップで淹れた珈琲を提供し最高の味だった。
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