第31話:最悪の金融機関倒産ラッシュ

文字数 1,622文字

 5月になると海老名から相鉄線急行で約1時間で中華街、元町を毎月1,2回、出かけた。そして、お揃いのティーカップや奥さん葉、素敵なレースの洋服を買ったりして楽しみ、父は、気に入った中華料理点店をいくつか決めて昼食を楽しんだ。また、普通のスーパーでは、お目にかからない珍しい輸入食品、高級食材、母の大好きな虎谷の羊羹、大箱2万円を購入して、お茶の時に欠かさず食べるのを楽しみにした。

 夏は、以前一度、見に行ったニセコが気に入り7月末から4週間、高級ホテルのマンスリーパックという割引料金60万円で宿泊。北海道の涼しい高原を散策し天然温泉に入った。湯から上がると、持参した美味しい、お茶と虎屋の羊羹を毎回食べるのを楽しみにしていた。ホテルの人に聞き、電車で1時間半かけニッカウイスキー余市工場に行って工場見学と楽しみのウイスキーの試飲して気持ち良い時間を過ごした。

 工場見学時、この工場でしか売っていない樽に入った混ぜてない純粋なウイスキーだけを瓶詰めした「カスク」と呼ばれる高級ウイスキー3本購入しホテルに帰り飲んだ。これが実に旨い。たまにレンタカーを借りて、ニセコアンヌプリや羊蹄山、洞爺湖、支笏湖、小樽をドライブして観光してきた。また、ホテルには、図書室があり、気に入った本を涼しいベランダの椅子に座って、読んで、素晴らしい夏を過ごした。

 その後、海老名に帰り、秋、冬が過ぎた。そして1993年を迎えた。しかし、の中は、大型不況と呼ばれてゼネコンの汚職や企業のリストラ「人員解雇」に拍車がかかり政治の世界では、田中金権政治の象徴的な金丸前自民党副総裁の雑税事件が明らかにされた。世界に目を向けてもロシアで反大統領派を武力鎮圧したりボスニア紛争の和平交渉が決裂したり北朝鮮の核疑惑が深まったりと世の中は暗い話ばかりだった。

 また、円高が進み、それでなくても不況の日本経済に、冷水を浴びせた。経済低迷、政治混乱で、ついに長期間の自民党政権がついに倒れて、野党連立内閣、細川連立政権が誕生。自民党が下野して、野党に成り下がった。北海道南西沖地震も日本人のこの不安心理に一層拍車をかけた。その中でも救いとなったのが日本サッカー会に、海外と同じ様に、プロサッカーリーグが誕生し、Jリーグとして活動を始めた事。

 それに、皇太子様と雅子様の結婚だけが明るい話題だった。しかし、1994年も円が100円を切ったり、記録的な円高で輸出大国にとっては、死活問題となった。更に、消費税が5%に増税と、あまり良い年とは言えず、野党連合も各党の思惑があり、なかなか決められない内閣で、期待していた政府と違うという国民の声が聞こえだした。そして1995年を迎えた。

 1995年も1月17日に、阪神淡路大震災が起こり国民も意気消沈。更に政府は当初、大手金融機関は破綻させないという方針を取った。しかし1995年頃より「市場から退場すべき企業は退場させる」という方針に転じ不良債権の査定を厳しくし経営状態の悪い金融機関も破綻・再生する処理に着手。この流れで1995年8月に兵庫銀行が銀行としては、戦後初の経営破綻となり、以降、金融機関の破綻が相次いだ。

 とりわけ、アジア通貨危機とも重なった1997年から1998年にかけ、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券、三洋証券など大手金融機関が、不良債権の増加や株価低迷のあおりを受けて倒産し事態は金融危機の様相を呈した。これらは、不良債権の増加や株価低迷のあおりを受けて倒産したものであり、この事態は金融危機の様相を呈した。

 拓銀は地価上昇を見越して土地評価額に対して過大な融資を行い、また、バブル期の融資に出遅れて、劣後順位での担保設定を行わざるをえなかったことから回収が思うに任せず、不良債権が膨らみ、1997年11月、営業継続を断念。長銀はバブル期に不動産・リース等、新興企業に積極的な融資を行った。
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