第15話:幸恵の医師研修の日々と幸一に彼女ができた?!

文字数 1,503文字

「美味しい料理とを食べながら紹興酒で乾杯」
「その席で、父が、これで幸恵の長年にわたる努力が日の目を見て、おめでとうと言った」
「これに対して、両親のサポートで、ここまで来られたと、謝辞を述べた」
「最後に、母が、我が家の3人目の幸『さち』が、世の中に認められた」

「これから社会に貢献できるという幸福を得たと述べた」
「彼女が、大空へ飛び立ったと言うと幸恵と母が抱き付いて涙を流し喜んだ」
 1982年4月1日から橫浜市大附属病院で内科の指導医の元での研修が開始。毎週、早朝からのカンファレンスでは、患者さんの詳細な情報を頭に入れておかないと駄目なので忙しい日々が続いた。

「これが半年続き終了し続いて救急部門での研修が始まる」
「救急当直の補助をして救急医の心得、患者さんへの対処方法を学ぶ」
「しかし救急患者さんが来て問診し体調不良の原因は何か、病名は、何かを突き止める」
「そして適切な処置と言っても簡単には出来ない」

 最初、当直医の補助員として当直医について医師の行動、問診、病名を決定する方法を学んだ」
「大学病院の救急では、重症患者さんが多く、常に、先輩についての救急診療となった」
「気がついた事は全て自分の手帳に書き込んで救急診療の方法を会得していかなければならない」
「今回の幸恵の救急の研修時には、大きな事故はなかった」

「しかし、数年前、ガス爆発で多数の火傷患者が、来院し救急医師が、処置に当たった」
「その後1年が終了し、2年目に入ると地域医療として橫浜市立病院の内科で研修を続けた」
「半年が達ち、もっと規模の小さい外科系の病院で交通外傷の患者を診る研修も続けた」
「2年間の研修を1984年3月末日に終了」

 2年の研修の結果、菅原幸恵は循環器内科を選んで後期研修を始めた。そして橫浜市立大学循環器内科教室に入局して派遣病院を1年交替で移動した。
「6月2日に長男の幸一が、NECビットインの同僚、黒岩京子さんから結婚を申し込まれた」
「幸一も30歳を過ぎて結婚しようかと考えてると両親に伝えた」

「彼女の実家は、北海道、帯広郊外で大きな農場を10人でやっている大農家だそうだ」
「この話を聞いて、母が、そろそろ孫の顔が、みたいものだと喜んだ」
「一度、近いうちに連れてくればよいと父が言うと話してみると答えた」
「幸一が、黒岩京子さんが、6月10日、実家に行きたいと言ってると連絡した」

「もちろん、良いよと、両親が、答えた」
「6月10日、昼食後、両親が、幸一の彼女は、どんな娘さんかなと想像を膨らませた」
「14時、玄関の呼び鈴が鳴り、幸一が出ると黒岩京子さんが、菓子折を持って立っていた」
「玄関で、両親に黒岩京子です、宜しくお願いしますと挨拶した」

「大きな体で逞しそうだが童顔の娘さんだった」
「父が、どうぞ上がって下さいと言うと失礼しますと言い家に上がった」
「つまらないものですが、どうぞ、母にお土産を渡した」
「申し訳ないねと、母が答え、お茶を入れて持ってきた」

「すると、幸一が、黒岩京子さんに自己紹介をしてと言うと話し始めた」
「生まれは、北海道帯広で1960年6月生まれ、北海道の高校を卒業」
「単身で東京へ出て働きながら電通大学情報学部の短期大学の夜間部を卒業」
「1人で働きながら短大を出たのと聞き、父が、偉いとほめた」

「実家が大きな農家と牛を数頭、飼っていて体力には自信がありますと笑いながら言った」
「理数系が好きで秋葉原に通い始め電気の勉強したいと思い一生懸命勉強したと話した」
「母が、努力家のなのですねと言うと、いや、コンピューターやオーディオが好きでと答えた」
「その後、秋葉原を頻繁に訪れるようになったと語った」
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