第40話

文字数 3,124文字

 気がつくと俺は、無音の暗闇の中を、クラゲのように漂っていた。

 足が地面につかないので、真っ暗な穴の中をゆったりした速度で落下しているようにも感じられる。

 大小無数の光の粒が星のように流れて行くのが見えた。動きが不規則で、左に行ったと思えば右に戻って来る。突然、竜巻のように渦を形成する集団もあった。

 身体のありとあらゆる部分——眼球さえも動かせない金縛りのような状態で、俺は四方八方から発せられる引力に似たエネルギーに吸い寄せられ、あちこちに飛ばされた。

 パチパチと、目の前で火花に似た光が弾け——いきなり、景色が変化した。

 縦線の模様だ。数秒の間を開けて、俺の頭が、木で作られたドアの木目だと認識する。

 周囲を見渡す。前にはドア。左右は壁。後ろにも壁がある。天井は、ジャンプしたら手が届きそうなほど低かった。
 
 木製のタンスとテーブルがあり、それらは長い間使われていないのか、綿毛のような埃で覆われていた。

 床には、ガラスの破片が散らばっている。誰かがここで、大量の空き瓶を叩き壊したのだろうか。

 木目の隙間から差し込む光は、肌に当たると暖かかった。

 太陽の光。外は晴れている。

 俺は〈ラディア〉に戻って来た。それは良いことだが、さっき見た光の粒が流れる謎の空間はなんだったのか。

 一度目(パン爆発)、二度目(転移アイテムを使って〈ラディア〉から日本へ)、三度目(日本から〈ラディア〉へ)と、何度も異世界転移を経験しているが、あの謎の空間を見たのは、今回(四度目)が初めてだった。

 俺は砂藤から、転移時に謎の空間が見えるなどとは一度も言われていない。

 砂藤は知っていて言わなかったのか。或いは、

。こればかりは、本人に聞かないとわからない問題だ。

 とりあえず今は、先に進もう。

 俺はゆっくりとドアに近づき、押し開けた。

 太い幹の木が乱立する森に出た。

 振り返ると、低い屋根の小屋があった。さっきまで、俺が入っていた小屋だ。

 砂藤は異世界転売ヤーとして、この世界と別の世界を行き来していた。俺が転売ヤーだったら、戻って来る場所は人目のつかない隠れ家にする。砂藤も俺と同じ考えを持っていたとしたら、さっきまで俺が入っていた小屋は、砂藤が使っていた隠れ家ということになる。

 ……と推理すると、今度は、隠れ家が〈ラディア〉のどの土地に位置しているのか、という問題が生まれた。

 なんだか、式の無い問題を解こうとしているみたいで、胸のモヤモヤが膨れ上がる一方だった。

「まいったなぁ……」

 俺は頭を掻いた。

 今更だが、砂藤からアイテムを貰う時、転移する場所も聞いておけばよかったと思った。

 適当に歩く……しかなさそうだが、モンスターと出くわしたらどうしようか。早くシーナに会いたいが、会う前に死んだら元も子もない。

 こんな時、ヒュドラが都合よく現れてくれたら大助かりなのだが、彼は今、どこで何をしているのだろう。さすがに死んではいないと思うが、連絡を取り合う手段がないので、しばらくは自分一人の力でなんとかするしかなさそうだ。

 俺は周囲にモンスターがいないか、念入りに確認した。

 三十メートル先にある木と木の間を

が横切った瞬間、俺は素早く、傍の草陰に身を隠した。

 落ち葉を踏む音がする。さっき見た

が、こっちに向かって来ているみたいだ。

 まさか、俺の姿が向こうからも見えていたのか。だとしたら、かなりマズい。

 俺は息を殺して、

が通り過ぎて行くことを祈った。

 少しでも動いたら命を失うような気がして、俺は相手の姿を確認することができなかった。

 足音はすぐ傍まで来ている。俺はぎゅっと目をつむった。

 トコトコ、と。足音が隠れている草陰から離れていく。

 俺はふぅと息を吐き、そっと顔を出して、傍を通過した

を見た。


 ……あれ? 思っていたのと違うぞ。


 小型のモンスターだと思い警戒したが、あれはどう見ても人間の子供だ。

 歳は、四か五か。幼稚園児くらいの女の子だ。

 話しかけて道を尋ねるのもアリだが、もしもあれが、女の子の姿に化けたモンスターだったらどうしようか。

 迷う俺の視線の先で、女の子が地面から伸びた木の根に引っかかり、ドテッと転んだ。

 その場で蹲る女の子。なんだか泣き出しそうな雰囲気だ。

 女の子の仕草が人間的というか、可愛らしいというか——見ていると少しずつ、俺の中にあった警戒心が弱まっていく。

 あれは人間だ。モンスターではない。

 だが、本当にモンスターだったら、その時はその時だ。どの道、誰かに道を聞かねば目的地も決められない。

 俺は小走りで女の子に近づき、声をかけた。

「こんにちは」

 女の子はビクッとして振り返った。涙で潤んだ瞳に、俺の姿が映る。

「おじちゃんは、誰?」

「おじちゃんは佐藤匠汰。君の名前は?」

「……アイラ」

 アイラは立ち上がって、両手でゴシゴシと顔を拭った。

「アイラッ!」

 どこかから聞こえた男の声に、アイラは「はぁい」と返事する。

 今の声は、アイラの父親か。

 だとしたら好都合だ。ここがどこなのか、大人ならその質問に答えてくれるはず。

 俺は声の主の姿を捜した。

 何度も「アイラ」と叫んでいるので、場所を特定するのは簡単だった。

「アイラ! 勝手にいなくなるなって、何度も言っているだろう!?」

 ほどなくして、アイラの父親とおぼしき中年の男が姿を見せた。

 茶色いシャツを羽織ったその男の顔は傷だらけで、髪は一本も生えていなかった。

 過去にモンスターにでも襲われたのだろうか。男の右腕は肩から消えており、右足も膝のあたりで切れていた。

 左脇に挟んだ松葉杖で地面をつきながら、男は俺とアイラの傍に来た。

「あんた、誰だ?」

 俺に不審者を見るような目を向ける男。その、鷹のような鋭い目に、俺は見覚えがあった。

 だが、俺の知っている

とは別人だろう。まず、見た目の若さが違い過ぎる。

「誰だ、と訊いている」

 今にも松葉杖で殴りかかってきそうな男の睨みにビビッた俺は、引き気味に名乗った。

「さ、佐藤匠汰です……」

「佐藤、匠汰……? 佐藤……」

 男は難しい顔で唸り、突然、カッと目を見開いた。

「佐藤って……。もしかして、

の〈流れ者〉か!?」

「……え?」

「お前、生きていたのか!?」

 一体、どの佐藤と勘違いしているのか。

 日本で一番多い苗字ではあるけれども、〈ラディア〉では最下位から数えた方が早い、珍しい名のはずだ。

「えっと……。私たちは初対面ですよね?」

「俺はバイルだ!」

 バイル。いや、そんなはずはない。

 俺が知っているバイルは、〈ライ村〉でシーナに土下座をさせ、〈バスルーン湿原〉でヒュドラを蹴り飛ばした青年だ。それしか知らない。

「いや。しかし、この見た目だ。わからないのも無理はないか……」

 バイルは松葉杖を握り直して溜息を吐いた。

「お前が今の今まで何をしていたのか知らないが……。俺の言っていることは本当だ。俺の名は、バイル・スラーク・ハルドゥイン。前は国王の城で衛兵として働いていた」

「……は?」

 そんなわけがない。あるはずがない。

 俺と最後に会ったバイルは、二十代の若者だった。

 昨日今日の短時間で、俺と同じくらいの年齢にまで老けて、しかも子持ちになるなんて、あり得ないだろ。

 バイルは俺に背を向け、松葉杖を振った。

「ついて来い。俺の家で話をしよう」

 できれば一秒でも早くシーナを捜しに行きたいが、何か、妙な胸騒ぎがする。

 ここは俺の知っている〈ラディア〉ではないような気がするのだ。

 バイルも俺から話を聞きたいようなので、情報交換をして、この世界について知るべきことを先に知っておくことにした。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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