第5話

文字数 4,274文字

 シーナが手に入れてくれた〈スズリン〉の尻尾(シーナが部分的に石化させたのちに砕いて粉末状にしたもの)を小麦粉代わりに、俺は早速、パン製造に取りかかった。

 場所は川辺にした。広くて、周囲が良く見渡せるから、モンスターの襲撃に対応しやすいと考えたからだ。シーナに魔法で石の窯を作ってもらい、作業台も魔法で作って設置してもらった。

 パン生地をこねるのも、焼くのも、シーナの魔法に助けられた。俺が直接手を出したことと言えば、生地の成型くらいかもしれない。

 本音を言えば、正規の材料と、パン製造専用の器具や機械を使ってパンを作りたかった。パンに近いものを作ることができたか、イマイチ自信が持てなくて不安だった。

 ちなみに、パンが出来上がるまでの間、俺は三回も死にかけた。水を汲みに行った際に、水中から突然、ピラニアみたいな見た目のモンスターが飛びかかってきたり、傍の森から人とカブトムシを足して二で割ったみたいな見た目の変な奴が現れたり、「それ、あきらかに人骨だろ!?」って見た目の骨を銜えたエビみたいな化け物が歩いてきたりとか、そんなことがあって、そのたびにシーナに守ってもらった。

 俺はビビりっぱなしで、何か起こるたびに思考停止を繰り返したが、シーナは慣れているのかずっと冷静で、ずっと何か喋っていた。

 思考停止するたびになんの話をしていたのか忘れてしまい、話してくれた内容は少ししか頭に入っていない。

 でも、一つだけ、はっきりと覚えている話がある。それは、シーナの夢の話だ。シーナはモンスターが好きで、もしも自分が〈ラディア〉の王になったら、人とモンスターが今以上に仲良くできる世界にしたいと語っていた。

 さっきも言ったが、俺はパン製造中、三回もモンスターに襲われた。どいつもこいつも、殺す気満々だったのをはっきりと覚えている。殺されるくらいなら、逆に殺してやればよかった、と後になって思ったこともあった(多分、無理だけれど)。

 でも、殺意に対して殺意を抱いた俺と違って、シーナの対応は優しかった。現れたモンスターたちにシーナは臆することなく接近し、興奮した獣を優しくたしなめるように追い払った。シーナの魔法を受けて、死んだモンスターは一匹もいなかった。

 シーナには、モンスターと仲良くなれる才能があると思った。

 そして俺も……自分には、パン作りの才能があると信じている。傲慢かもしれないが、そう思わなければパン屋を一人でやっていくのは難しいのだ。

 とにかく俺は、この世界で意地でもパン屋をやってやると決めた。モンスターと仲良く暮らせる未来と、それを実現させることができる才能を持つシーナを見て、心に火が点いたのだ。

「そろそろいいでしょう」

 俺はシーナに火属性の魔法の使用を止めるように言った。

 シーナは頷き、火炎放射器みたいに掌から放っていた炎をピタリと止め、俺を見上げた。

「できたの? 完成?」

「はい」

「じゃあ食べよう」

 シーナは卵サイズのパンを手に持って口に運んだ。

 俺は別の世界でパン屋を経営していた時、新作のパンは全て試食し、味に問題がないか念入りにチェックしていた。だから、そのパンを誰かが買っていく時、自信満々な態度でいられた。

 でも、今は違う。今回は試食無しのイートインだ。何を材料に使ったのかわからない食べ物を客に売るようなものである。

 本当は止めるべきなのだろうが、シーナが嬉しそうにパンを口に運ぶのを見て、俺は躊躇ってしまった。

 カリッ、と少しだけ齧って、シーナは咀嚼する。そして、カクッと首を傾げた。

「……なんだろう。これ、肉だね。見た目と食感は木の皮みたいだけれど、味は肉だ」

 そりゃあ、蛇の尻尾の肉使ったからそうなるよな。

 俺は苦笑し、二つ焼いたうちの、もう一個のパンを手に取ってリンゴみたいに齧った。

 シーナの感想の通りだった。細かく言うと、味は鶏肉の燻製に近い。で、食感は乾いた木の皮だ。

「パンってこういう食べ物だったんだ。へぇ……」

 蛇の尻尾パンをカリカリ食べながら呟くシーナの声に、落胆の気持ちが込められているように俺には感じられた。

 せっかくシーナが協力してくれたのに、手足の如く働いてくれたのに、満足のいくパンを作ることができなかった自分自身に、俺は腹が立った。

 俺はシーナの手から蛇の尻尾パンを取って、持っていたもう一個のパンと一緒に自分の口に放り込んで、乱暴に嚙み砕いて飲み込んだ。

「……? どうしたの?」

「これはパンではありません。せっかく協力して頂いたのに、

を製造してしまい、申し訳ありませんでした」

「失敗作? 普通に食べられるけれど、失敗作なの?」

「はい。特に味が、私の理想と大きくかけ離れてしまっています」

「じゃあ、これは何?」

「えーっと、蛇の……〈蛇の尻尾ビスケット〉。酒のつまみです」

「そっかそっか。パンじゃないものが出来上がっちゃったんだね」

「はい。本当に、申し訳ありません……」

「それは、わからない」

「はい?」

 シーナは子供の目で俺をじっと見つめた。

「ビスケットを作っている時のお兄さんの目はキラキラしていて、星みたいで綺麗だった。なのに今は、死んだ魚みたいなダサい目になっている。それが、私にはわからない」

 子供は正直だ。そして俺は、自分の職人としての部分に関してだけ、正直にできているのだろう。

「私は、出来の悪いパンを人に食べさせることが嫌いなのです。そう思ってしまうのは、私が食べ物を人に売る仕事をしていたからでしょう。人に食べてもらうために、味や見た目を重視する癖が私の身体にしみついており、自分が決めた一定の基準(ライン)を超えなかった食べ物は、全てゴミとして廃棄していました。
 世界が変わっても、私は変わりません。私にとってシーナさんはお客様で、そのお客様を満足させられなかったことを申し訳なく感じているのです」

「こだわりが強いね。お兄さんは」

「プロとしてのプライドがあるのです。次は必ず、本物のパンを製造し、シーナさんに食べてもらいます」

 シーナは真顔になり、俺の言葉を吟味するように数回頷いた後、顔を上げた。

「うん。お兄さん強いよ。私もお兄さんみたいに強くなるね」

「……強い? 私が、ですか?」

「うん」

「は、はぁ……。どうも……」

 よくわからないけれど、シーナの顔がビスケットを食べた時よりも明るくなっているので、良しとする。

「パンの製造には、モンスターの肉より穀粉を使った方がいいのかもしれません。ここから一番近い場所に、穀粉が手に入る町や村などはありませんか?」

「ここから北にある〈ライ村〉なら、手に入るかも」

「そこまでの道案内をお願いできますか?」

「王都〈フレア〉へ向かう道から大きく外れちゃうけれど、いいの? お兄さん、仕事探したいんでしょう?」

「シーナさんにパンを食べさせることが最優先です」

 それに、パン一つまともに焼けない奴が、仕事なんて勤まるはずがない。仕事を探すのは、まともなパンを焼けるようになってからの方がいいだろう。

「そっか」

 シーナはニコッと微笑み、パチンと指を鳴らした。すると、先ほどまでそこにあった石の窯や作業台が光の粒となって消え、焼けた肉の匂いだけがそこに残った。

「それじゃあ、早速出発——」

 突然、隣からバタンという音が聞こえ、俺は言葉を切った。

 何事かと横を向いて、俺はびっくりした。さっきまで元気だったシーナが、地面に敷かれた石ころの絨毯の上でうつ伏せに倒れていたのだ。

「シーナさん!?」

「ごめん……。ちょっと休憩……」

「だ、大丈夫ですか? ど、どどど、どうしたのですか……?」

 シーナの突然の異変に、俺は困惑して舌が回らなくなっていた。

「大丈夫だよ……。

だから……」

「えっ?」

「ビスケットを作っている時に、お兄さんを襲おうとした〈ヴィエビ〉は、対象の魔力を奪う能力を持っている……。だから、何も知らない魔法使いがそいつと戦うと、魔法が使えなくなって無力と化し、物理攻撃でやられてしまう……」

「!?」

 〈ヴィエビ〉って、人骨みたいなものを銜えていたエビみたいな〈ロブース族〉のモンスターか。撃退した後、シーナが名前と種族だけ教えてくれたが、まさか、奴には魔力を奪う力があったなんて……。

 もしかしたら、奴が齧っていた骨は、奴に襲われた魔法使いの……いや、それ以上考えるのはよそう。

「魔力を奪われると、今のシーナさんのように、魔法使いは疲労してしまうのですか?」

「うん……」

 そこまで喋って、シーナは動かなくなった。小さな寝息が聞こえるので、眠ってしまったのだろう。

 俺は、その小さな身体をそっと抱き上げて、傍の岩場の陰に寝かせた。

 周囲を見回し、モンスターの姿がいないか確認しつつ、俺はシーナが目覚めるのを待つことにした。

「俺にできることは見張りくらいだ……。この子が目を覚ますまではここで大人しくしていよう」

「……おい。そこで何をしているんだ?」

「ファァアアアッ!?」

 背後から聞こえた声に俺は発狂して飛び上がった。

 あっちも俺の反応に驚いたみたいで、猫みたいに目を丸くしていた。

「だ、だだ、誰ですか!?」

「いや、お前が誰だよ! いきなりデカい声だしやがって!」

 モンスターではなさそうだ。俺に声をかけてきたのは二十代前半くらいの女性だった。なめした革の防具を全身にまとっており、左腰には鋭く尖ったレイピアを差している。身長は俺より頭一つほど低く、髪は黒のショートカットだった。

「お前は冒険者か? ここは子連れで歩けるほど安全な場所じゃあねーぞ」

 見た目は〈ザ・冒険者〉みたいな格好なのに、口調は山賊のように荒かった。

「いや、あの……。ちょっと歩き疲れてしまったので、ここで休憩していただけです……」

「休憩? 余裕だな。まぁ、

もんな。腕には自信があるってことか。アタシと同じ第一級の冒険者資格を持っている奴なら、休憩の後、ちょっと手を貸してもらえないか?」

「えっ?」

「最近、この川で〈ヴィエビ〉が大量発生したそうでな。そいつらを五十匹ほど狩って数を減らしてくれって、この川で装飾品の材料を調達している商人から依頼されたんだ。手伝ってくれたら報酬を半分やるが、どうだ?」

「どうって……」

 いや、無理なんだが。

 俺は冒険者でもなければ、モンスター狩りの経験者でもない。

 むしろ、手を貸してほしいのはこっちの方だ。

 うまいこと説得して、この女性にシーナを安全地帯まで運ぶのを手伝ってもらえないだろうか……。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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