第20話

文字数 3,573文字

 しばらく西の森を進んだ俺たちは、シーナの「ここだ」という呟きに合わせて、足を止めた。

 目の前には、人ひとり通れるのがやっとの穴がある。壁に開けられたその穴の奥は真っ暗で、先がどうなっているのか入ってみないと確認できない。

 罠かもしれないが、ここまで来て引き返すわけにもいかないので、俺たちはシーナを先頭に、穴の中へと足を踏み入れた。

 三人と一匹が一列になって、シーナが魔法で作り出した光の球体に照らされたでこぼこ道を進んだ。

 二十メートルほど先の角を曲がった瞬間、シーナが手を上げた。

「あのお婆さんがいるよ。ここから先は広間になっている。そこで、お婆さんが何かしているのが見える」

 俺とアッシュとヒュドラは、シーナの背後から広間を覗き込んだ。老婆は広間の奥で、湯気を立ち昇らせる大きな釜の前に立ち、モンスターの素材とおぼしき物体を次々とぶち込んでいた。

 ゆっくりと、俺たちは広間へ入り、老婆の背中に声をかけた。

「こんばんは」

 老婆は猫のように跳び上がって、こちらを向き、身構えた。

「ヒッヒッヒッ! 心臓が止まるかと思ったわ、このバカタレがッ!」

「ようババア。ちょっと聞きたいことがある」

 アッシュが喧嘩腰で質問する。

「アタシたちに渡した金は、本当にあんたのか?」

「ヒッヒッヒ! あんたたちは村で取引した連中だね!」

「覚えているなら話が早い。さっさと質問に答えろ」

 やはり盗賊。脅しに慣れているのか、アッシュの言動には人が恐怖する凄みがあった。

 尋問役はアッシュが適任と判断した俺とシーナ、ヒュドラは、黙って見守っていた。

「ヒッヒッヒ! あんたたちに渡した金は、盗んだ金だよ!」

「いや、認めんの早っ!?」

 老婆の返答に、アッシュは驚愕する。

 俺とシーナは、「この状況でそれを言う?」と困惑した。

 ヒュドラはニタニタ笑いながら見物している。完全に我関せずといった様子だ。

「ヒッヒッヒ! アタシはね、

のために、どうしても必要だったのさ」

 そう言って、老婆は傍にある大釜に顎をしゃくった。

「こいつは風呂だ。特定のモンスターの素材を使って作られた入浴剤をぶち込んだ、特別な風呂……」

「ショウから買い取った〈スズリンの尻尾〉もその中に入っているのか? モンスターの素材が溶けた、汚ねえ風呂だな」

「ヒッヒッヒ! アタシが入るんじゃあないよ。

のための風呂だ」

って誰だよ? テキトーなこと言ってアタシたちを撒こうってんなら、止めときな。こっちには、あんたを地の果てまで追いかけられる魔法使いがいるんだからな」

「ヒッヒッヒ! そいつぁ、奇遇だね。

も、あんたたちを地の果てまで追いかけられる力を持つ、魔法使いだよ」

 老婆がそう言った、次の瞬間。アッシュと老婆の間に謎の光の塊が出現した。

 眩い光を放つそれを見て、シーナが叫ぶ。

「転移ゲートだ! 誰かがここに来るよ!」

「なにぃ!?」

 アッシュは慌てて、俺たちの傍まで戻って来た。

 シーナが転移ゲートと呼んだ謎の光が消え失せた後、そこには、先ほどまで存在しなかった人物がいた。黒い長髪を背中まで伸ばした、長身の男だ。喪服のような黒いスーツ姿で、肌は死体のように青白い。

 俺はごくりと唾をのんだ。男がいきなり現れたことにも驚いたが、俺が一番驚いたのは、その顔だった。両目は深紅色に染まり、口の端から犬歯のような牙が二本、突き出ている。まるで、ホラー映画に登場する吸血鬼のような見た目だ。

「ヒッヒッヒ! お帰りなさいませ。風呂はほれ、この通り……」

「ご苦労」

 感情のこもっていない声で老婆に礼を言い、男は俺たちを冷めた目で見回した。

「すみません。あの……」

 男に話しかけようとした俺の肩を、アッシュが掴んだ。

「ショウ。さっさとここを出るぞ。アタシの言った通り、この件には関わってはいけなかったんだ……!」

 アッシュは震えていた。その後ろにいるシーナも、男を凝視したまま固まっている。そしてヒュドラは……いない。いつの間にか、姿が見えなくなっていた。

「アッシュ。この人は誰なんだ?」

「フォル・ダオル・ヴァンピィ。〈ラディア〉の、次期王の候補の一人だ」

「えっ!?」

「そうだよ」

 シーナが頷く。

「フォルは、私のお父さんと同じ、次期王の候補にあげられる魔法の達人だよ。あのお婆さんがフォルの仲間だとしたら、手を出すのはよくない。アッシュの言う通り、立ち去った方が良いよ」

 シンと同じくらい強い魔法使い。確かに、相手にするのはマズい。

「おい。こいつらは誰だ?」

 フォルに訊かれた老婆は不気味に笑い、

「取引相手でございます。フォル様の入浴の儀に必要な物を、その者たちから買いました」

「取引は終わっていないのか?」

「それは……」

 アッシュが「今のうちだ」と俺とシーナの肩を叩いた。

「待て」

 フォルの一声で、逃げようとしていた俺とシーナとアッシュはドキッとして振り返った。

「話がややこしくてスッキリしない。私が気分良く入浴の儀を行うために、もう少しそこにいろ」

 神経質なのか、フォルは自分が納得するまで俺たちを逃がさない気だ。その意志は形となって現実に作り出され、いつの間にか俺たちの来た道に分厚い土の壁が出現していた。

「土の魔法だね。文字通り、土を操る魔法。いつ作り出したのか、わからなかった」

 シーナが解説する。フォルは、シーナが気づけないレベルの速さで、俺たちをここに閉じ込める土の壁を立てたのだ。

 さて、とフォルは老婆の方を向いた。

「説明を続けろ」

「ヒッヒッヒ! 入浴の儀に必要な物を手に入れるために少々資金が不足しており、たまたま出会った旅人から調達して……」

 説明の途中だが、俺には既に、話の結末が読めていた。やはり、この老婆が剣士の男の友達を殺し、その金を奪った犯人だ。そしてその金は、入浴の儀とかいう、よくわからないことに使うアイテムを手に入れるために活用した。

「アタシの魔法で、あの者たちの持ち物を物色し、正当な取引で手に入れたのです」

 持ち物をチェックできる魔法。それをシーナに気づかれずに使ったということは、非力な魔法使いというのは嘘だったのか。本当は凄腕の魔法使いで、シーナの目を誤魔化し、俺たちと取引したのだ。

「お前たちは……」

 フォルの目が、俺たちの方に向いた。

「何故、ここに来た? 取引の内容が気に入らなかったとか、そういう理由で来たのか?」

「……いいえ」

 俺は正直に答えた。

「老婆が殺した者の友達を名乗る剣士が、その老婆に復讐したがっています。私たちは、老婆を捕らえて剣士のもとへ連れて行くため、ここに来ました」

老婆(コイツ)は私にとって利用価値のある人材だ。お前たちに渡すことはできない」

「ヒッヒッヒ! フォル様、畏れながら申し上げます。あの者たちをこのまま外へ出すと、例の剣士がここへやって来るかもしれませぬ。たかが剣士一人、フォル様の敵ではございませぬが、何度も入浴の儀を邪魔されては、お身体も休まらないでしょう。そこでアタシに提案がございます。この者たちをここで始末し、例の剣士に、この者たちが約束を破って逃走したと考えさせる。そうすれば、今宵はもう、誰にも邪魔されることなく入浴の儀を執り行うことができます」

「ふむ……」

 それがいい、とフォルが頷いた瞬間に、シーナは転移魔法を発動させた。

 俺とシーナ、アッシュの身体が眩い光に包まれる。……が、その光は一秒も経たずに消えて無くなった。

「逃がしはしない。お前たちはここで跡形も無く消し去る」

 シーナの転移魔法を、フォルが発動する前に止めたのだ。

 方法はわからないが、今ので俺は、フォルが、シーナを超える力を持つ魔法使いであることを確信した。

「それは、止めた方がいい……!」

 アッシュが震え声で言う。 

「ここにいるこの子は、シーナ・アルシュファルレント・ディスパーダだ……。手を出したら、この子の父親が黙っていないぞ……!」

 シーナの父親を盾に使うのは卑怯だが、相手が相手なので、どんな手を使ってでも逃げたいというアッシュの気持ちも、わからなくもない。

「それがどうした? 証拠が無ければ、誰が誰を始末したかなど、誰にもわからないだろう」

「そ、そうっすねー……」

 アッシュの説得は失敗に終わった。

 フォルは完全に、俺たちを殺す気だ。命乞いも無駄となると、残された道は一つしか無い。

「シーナさん。私がフォルの気を引きます。その間に、アッシュを連れて安全な場所に転移してください」

「そ、それじゃあ、お兄さんは……!」

 死ぬ。だが、悪いのは俺だ。仲間に迷惑をかけた償いをせず、パンの夢など俺には追えない。たとえ、ここで夢が潰えようとも……。俺は、人道を外れた最後だけは迎えたくなかった。

「さぁ早く! 私が、奴を死ぬ気で止めますから!」
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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