第37話

文字数 3,596文字

 宙に浮いた無数の光球が街灯の役割を果たし、日が沈んで暗くなった城下町のあちこちを照らしていた。

 声が聞こえてくる。

 王都〈フレア〉の、開け放たれた正門の壁に寄りかかって、俺は花壇に囲まれた広間の方へ視線をやった。

 人、動物、モンスターなど、様々な種族がいる。広間の傍にはテーブルが並べられた野外居酒屋のような店が多数あり、そこにいる者たちは皆、ビールに似た飲み物を片手に談笑。アッシュはまだか、と思いながら、俺はその様子を眺めていた。

 何人かが視線に気づき、横目で俺を見てきた。アッシュの姿をいち早く発見するため細めていた目が、他人には睨みつけているように見えているのかもしれない。

 俺は視線を壁に向けた。そして、溜息を吐いた。城下町の門前に来てから、一時間は経っていると思う。

 アッシュとは、途中まで王都〈フレア〉の外で散歩していたが、突然、急用を思い出したとかなんとか言ってどこかへ消えてしまった。連絡を取り合う手段が無いので、俺は一人、三人で落ち合う予定の集合場所に行き、そこでアッシュが来るのを待つことにした。本当なら、朝ここに来る話だったのだが、アッシュが決めた集合場所なので、俺の居場所を特定するための候補にあがりやすいと考えたのだ。

「あいつ、どこで何をしているんだ……」

 アッシュの行方はわからないが、シーナは今、城下町をぶらついている。

 俺とアッシュが目的の物を手に入れることを願いながら、本屋で立ち読みでもしているのではないだろうか。シーナは本が好き、というイメージが強いので、読書している姿が真っ先に思い浮かんだ。

「ごめん! 遅くなった!」

 城下町の外から走って来たアッシュは、パンパンに膨らんだバッグを背負っていた。

 中に鉄くずでも詰まっているのか、バッグから金属質の音が聞こえた。

「お前、どこで何をしていた?」

「色々……」

 全力で走って来たのか、アッシュの息は荒かった。

 前に、アッシュと一緒に〈危険区域〉の森を走った時、俺と違ってスタミナの塊だったコイツが息切れするほど運動するとは……。

 何か、嫌な予感がする。

「アッシュ。ちゃんと話してくれるまで、俺はここを動かないぞ」

「モンスター退治だよ……」

「はぁ?」

 よく見ると、アッシュの服は畑仕事をした後みたいに土で汚れていた。

 服のあちこちに、モンスターの血痕とおぼきし、緑色のシミも確認できる。

「なんでこのタイミングでモンスター退治なんてやっているんだ?」

「調合に必要な素材を持っていなかったからだよ」

 そう言うと、アッシュは俺の腕を掴み、そのまま王都〈フレア〉から二十メートルほど離れた場所にある林の中に引っ張った。

「おい。なんなんだよ」

 俺はアッシュの手を振り解き、

「お前が何をしたいのか全然わからん」

「ショウのためだよ」

 俺のためってなんだ、と首を傾げる俺をよそに、アッシュは背負っていたバッグを降ろし、中身を地面にぶちまけた。

 小型のすり鉢や擂粉木、その他、大小無数の皿、ナイフ、モンスターの一部と思われる物体などが散乱した。

 モンスター関連の物は、退治して剥ぎ取ったのか落としたものを拾ったのか——自力で手に入れたものだと想像がつくが、それ以外のものはどこで調達したのだろうか。

「これ、本当にモンスター退治の報酬か?」

「半分は、そうだよ」

「残り半分は?」

「川辺で休憩していた商人の、傍に停まっていた馬車の中にあった」

 俺は隣にいる盗賊を横目で睨んだ。

 恐らくアッシュは、旅の商人の私物か、或いは売物になるはずだったアイテムをこっそり頂戴してきたのだ。

 近づいて来る盗賊に気がつかないほど、商人は長旅で疲れていたのだろう。油断しているところを狙われた商人が不憫で仕方がない。

「アッシュ。お前はやっぱりクソだ」

「なんとでも言えよ。どうせアタシは、この世界からおさらばするんだ。逃げ切った者勝ちってやつさ」

 自国で罪を犯した後、海外に逃走すれば勝ち、というのは間違っている。

 捕まる確率が下がるだけで、絶対に助かるわけじゃあない。

 異世界転移の場合は、もっと確率が下がるだろうが、少なくともコイツは、日本でも同じことを繰り返して窃盗で捕まる。

 人を脅したり、馬車に忍び込んだりなど、計画性無く物盗りを行う奴だ。警察の手にかかれば簡単に逮捕。アッシュは〈了〉である。

「えーっと、コレをこうして……」

 納得できず不機嫌になった俺を無視して、アッシュは盗りたてホヤホヤの道具を用いて作業を開始した。

 アッシュの、自分のやりたいようになるスタンスはブレが無い。

 俺は口出しするのを諦め、黙ってその様子を眺めていた。

「……できた!」

 緑色のスライムみたいな液体が詰まった瓶を掲げて、アッシュは目を輝かせた。

 使い終わった道具や、千切り捨てられたモンスターの肉片、それらが詰まっていたバッグを放置したまま、アッシュは俺の背を押した。

「お、おい……。今度はなんだよ?」

「アタシがショウの住んでいた世界に行くためのアイテムを取りに行くぞ」

 取りに行く、が俺には「盗りに行く」と聞こえた。

「なんか、悪いこと企んでいるんじゃあないだろうな?」

 アッシュは「何を言っているんだコイツは」と言いたげな表情をこっちに向けた。

「するに決まってんじゃん」

「バカ! 俺はお前と違って、この世界に留まるんだぞ! 共犯として処されるだろうが!」

「そうならないために、この薬を使うんだよ」

 アッシュの手に握られた瓶の中で、緑色の液体がタプンと揺れた。

「それ、なんだよ?」

「〈変身薬〉。これを飲むと、ショウは一時的に別の生物の姿に変身する。アタシが顔を変える前、愛用していた薬だよ」

 アッシュが調合したのは、俺に飲ませる薬だった。

「そんな気色悪い物、飲めるわけないだろ!」

 俺の住んでいた世界に行きたいのは、アッシュだけだ。

 変な薬を飲んで手伝うくらいなら、ここでサヨナラの方が良い。

「悪いが、俺は降りさせてもらう!」

「えっ!? なんでだよ、ショウ! お前がいないと始まらないって!」

「終わってんだよ、バカタレ! お前の思考全部がな!」

「アタシ一人じゃあ、どれがショウの住んでいた世界へ行くためのアイテムか見分けられない! 頼むって~!」

 駄々をこねる子供みたいに、アッシュは俺の腰に抱きついた。

 緑色の液体が飛び散りそうになり、俺は慌ててアッシュを押さえつけた。

「わかった! わかったよ! だが、お前の悪事に加担するのはこれが最後だ!」

「マジ!? どうせ最後だし! 助かるわ~!」

 言い方にイラッと来たが、仕方がない。

 ここまで旅をともにした仲間の(よしみ)だ。

 これで最後だと思えば、多少は気が紛れる。

「それで? どこへ行くんだ」

「その前に薬だろ」

 チャポン、と顔前に持ってこられた緑色の液体から、腐った肉の臭いがした。

 俺は顔をしかめながら、液体の詰まった瓶を受け取った。

「はい! 一気♪ 一気♪」

「うるせえ!」

 手拍子しながら俺を煽って来るアッシュにイライラしながら、俺は緑色の液体を口に含んだ。

 味は、言うまでもなく、最悪だった。

 食感は泥水で、酷く生臭い。おまけに口の中がネバネバして、飲み込むのに一苦労だった。

 鼻で息をせず、無理矢理、喉奥に緑色の液体を押し込むと、突然、舌に辛い物を食った後みたいな痺れがきた。

 全身の穴という穴から緑色の煙が噴き出し、俺はパニックになった。

「おい! ほ、本当に大丈夫なのか!? 調合失敗じゃあないよな!?」

「おお! スゲェ!」

 必死に緑色の煙を振り払う俺を助けようとせず、アッシュは興奮した声を上げて拍手していた。

 しばらくすると煙は消え、舌の痺れも無くなった。

 その代わりに、妙な感覚が俺の身体を包み込んでいた。

「これは、一体……」

 口から出た俺の声は、自分のものとは思えないほど低かった。

「成功だ!」

 アッシュは嬉しそうにガッツポーズをとる。

 俺は全然、嬉しくなかった。

「俺、どうなったんだ……?」

 なんだか、視野が広くなったように感じる。

 前を向いているはずなのに、肩のあたりまで周囲の景色が目に映るのだ。

 それに、口の中が変に粘つく。常に納豆を食っているような状態だ。

「アッシュ。鏡を持っていたら貸してくれないか?」

「じゃ、行こうか」

 アッシュは俺から逃げるように目を逸らした。なんだか、笑いを堪えているように見えるが、アイツの目には俺がどんな風に映っているのだろう。

 成功、と言っていたので、俺が別の生物の姿に変身したことは確かなようだが、どの生物の姿になったかまでは確認のしようがない。

 だが、アッシュの反応を見るに、ロクでもない見た目の生物になったことは察しがつく。

「一応、聞いておくが、ちゃんと元には戻るんだよな?」

「戻る戻る! ……多分!」

 戻らなかったらぶっ殺してやる、と俺は心に決めた。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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