第24話

文字数 4,480文字

「シーナさん……」

 俺は、シーナの勝利を信じている。

 だが、シーナ自身は、どうだろうか。

 戦いで全身に傷を負い、魔力が尽きかけている今の状況で、シーナにはまだ、フォルを超えるという強い意志が残っているだろうか。

「私は、お前を敵として排除することにした。ここまで私を怒らせたのは、お前が初めてだ」

 フォルの方は、戦う気満々といった様子だ。

 口調に怒気は含まれていないが、その目は、真っ直ぐにシーナを捉えている。

「はぁ……はぁ……。くっ……!」

 シーナはフォルを睨み返し、身構えた。

 負けを認める気は無い、という強い意思表示。

 それなら俺も、できる限りシーナの手助けをする。

「シーナさん!」

 俺は懐から取り出した小瓶を、シーナ目がけて投げた。

 小瓶の中には、魔力を回復させる効果のある液体が入っている。老婆から大金を手に入れた後、村の薬屋で購入して、俺が預かっていた物だ。

 シーナはそれを両手で掴み、

「お兄さん、これ……」

「使ってください!」

 本当なら、そのアイテムは俺たちが通る予定だった〈バスルーン湿原〉で使うはずだった。

 しかし、今は出し惜しみをしている場合ではない。シーナには、ある物を全て使ってでも、フォルに勝ってもらいたいのだ。

「ありがとう、お兄さん……」

 シーナは俺から受け取った小瓶を空にした。これで、魔力は全回復できたはず。

 魔力を回復させるアイテムはもう無いので、次、シーナの魔力が尽きたら今度こそ終わりだ。

 シーナは回復魔法で自身の傷を癒し、体力も回復させた。

 戦いは振出しに戻った。最初と違うのは、フォルが、本気になったこと。

「おい、どうした? 随分と大人しくなったじゃねえか」

 シーナと対峙するフォルを見つめる老婆に、アッシュが茶化すような口調で訊ねた。

「少し、マズいかもしれないね。小娘ではなく、フォル様の方が……」

 老婆は笑わずに答えた。

「マズい? ……あっ」

 アッシュは何かに気づいたようで、

「もしかして、あいつ……」

「あ? なんだ、どうした?」

 訝しむ俺に、アッシュは言う。

「いや、もしかしたらって思ってさ。なぁショウ、〈ブラド族〉のモンスター〈ヴァンピィ〉がどういうモンスターなのか知っているか?」

「いや、知らない」

「〈ヴァンピィ〉は、他のモンスターの体液から栄養を得る。しかも、毎日かなりの量の栄養を取らないと、身体がボロボロになって死んでしまうんだ。フォルが〈ヴァンピィ〉と同じ体質だとしたら、奴もまた、毎日他のモンスターから栄養を摂取しないと生きられないってことになる」

「じゃあ、フォルは……」

「ああ、察しの通りさ」

 老婆が悲し気な声で言う。

「フォル様は毎日、沢山のモンスターの素材が溶け込んだ風呂に入り、その日必要な栄養を一度に全部摂取している。故に風呂は、フォル様にとって、一日も欠かすことのできない大事な儀式なんだ」

「それで、大釜をひっくり返された時、あんなに慌てたのか」

「今日は一度も〈入浴の儀〉を行っていない。だから今、フォル様の身体は栄養不足で弱っている」

 確かに、老婆の言った通りかもしれない。

 フォルの肌は、遠目からでもわかるほど、乾燥してカサカサになっている。頬や手の甲には、地割れのようなヒビが入っていた。

 本気を出す、と言った割に、積極的に攻撃していかないのも、弱っているのが理由だと考えると納得がいく。

「シーナ嬢。今のフォルになら、マジで勝てるかもな」

 言いながら、アッシュは老婆の方をチラチラと気にする素振りを見せる。

 フォルが負けそうになったら老婆が加勢に行くかもしれない、と警戒しているのだろう。

「フォル。その身体で全力出せるの?」

 シーナもフォルの身体の異変に気づいたようで、

「こっちも色々使っているし、そっちも使えばいいのに」

「私を、お前たちのような馬鹿共と一緒にするな……」

 苦し気に、フォルは言う。

「私は、神に選ばれた存在だ。お前たちのような馬鹿共が飲む薬の類は、飲むに値しないゴミ同然の物だ……」

「体質に合わないんだね。〈ヴァンピィ〉の血が拒絶反応を出すから……」

 フォルの上から目線の発言から、シーナはフォルが回復薬を飲まない本当の理由を察した。

「そっちがそれでいいなら、こっちも容赦なく行くよ」

「馬鹿が、調子に乗りすぎだ……!」

 フォルは両手から紫色の煙を放出した。

 煙は天井付近へと集まり、巨大な蝙蝠(コウモリ)のマークを形成する。

「〈ヴァンピィ〉!?」

 煙を見上げて、シーナが叫ぶ。

 どうやら、〈ヴァンピィ〉とはコウモリに似た姿のモンスターのようだ。

「触れたものに悪夢を見せる、特製の睡眠魔法が付与された煙だ。

の怒りと苦しみを、地獄のような夢の中で体験するがいい」

 コウモリの煙は、巨大な翼をはばたかせて、シーナ目がけて突っ込んで行った。

 煙を直接飛ばさず、わざわざコウモリの形にしたのは、その形に思い入れがあるからだろうか。

 亡き母と言っていたことから察するに、もしかするとフォルは、母親であるモンスターの姿を煙で形作ったのかもしれない。

「夢は、見るものじゃない……! 叶えるものだ!」

 シーナは身体中から大量の魔力を放出し、自身の周りで大きく旋回させた。

 やがて、魔力は巨大な竜巻へと姿を変え、広間中の物を巻き込みながら更に巨大化し、シーナ自身も巻き込みながら、巨大コウモリへと突進した。

「ヤバい! 吹っ飛ばされる!」

「アッシュ! ふんばれッ!」

「アタシに二人分の体重を支えろってか!?」

 レイピアを地面に突き刺して強風に耐えるアッシュに抱きついて、俺は風にあおられる下半身を必死に地面につけようとした。

「ヒッヒッ……ヒィィィィィィィィィッ!?」

 老婆は高笑いしながら吹っ飛んで、竜巻の中に飲み込まれた。

 広間の壁にヒビが入り、砕けた石が(つぶて)となって俺とアッシュに襲いかかった。

「ちょっと待て! シーナ嬢、やりすぎじゃねえのか!?」

「本気でやらないと勝てない相手なんだ!」

「だとしても、あンッ……! そこ、触んないで……!」

「ごめん!」

 俺たちが言い合っている間に、巨大コウモリと竜巻は、ついに、衝突した。

 コウモリは魔力で強化されているのか、竜巻に触れてもびくともしない。

 逆に、巨大な翼で、竜巻の方が押し込まれてしまっている。

「まだだ……! 私の全力は、こんなものじゃあないッ!」

 シーナは身体から魔力を絞り出し、竜巻の回転速度を強化した。

 恐らく、今出したのが最後の魔力。シーナは竜巻に全てを懸けたのだ。

「ぐッ……! 私は、神に選ばれた存在だ……!」

 フォルも負けじと魔力を放出する。

 コウモリの背に向かって放たれた魔力の光線は、その姿を、八枚の翼を持つ悪魔のような形に変えるほどの強化燃料となり、竜巻の勢いを大幅にダウンさせることに成功した。

 このままでは押し負ける、俺がそう思った刹那、竜巻は橙色の光を放ち、大爆発して、巻き込んだ全てを四方八方へ散らせた。

 シーナの、全魔力を使った爆破属性の魔法。傍に居れば、無事で済むはずがない。

 使用者であるシーナも、巨大コウモリも、フォルも、爆破の衝撃を真正面から受け——俺とアッシュも、耐えられず吹っ飛ばされ、二人揃って壁に叩きつけられた。





 日の光の暖かさを感じ、俺は目を開けた。

 眩い太陽が見える。

 シーナの使った爆破魔法で広間の天井が崩落したのだろう。辺りは一面、岩だらけで、そこが広間だったのかわからないほどの有様となっていた。

 覆いかぶさるように倒れているアッシュをどかして立ち上がり、シーナの姿を捜した。

「……あっ」

 シーナは、いた。

 大きな岩を背にして、地面にへたり込んでいる。

 俺は急いで傍へ行き、傷だらけになったその小さな身体を優しく揺らした。

「シーナさん。起きてください」

「……ん」

 長い眠りから目を覚ましたような顔で、シーナは俺を見上げた。

「戦いは、どうなったの……?」

 記憶は飛んでいないようだ。しかし、俺も最後はどうなったのかわからない。

 爆発の後、俺は朝になるまで気絶していたみたいなので、フォルが生きているのか死んでいるのかわからない。

「お兄さん……。なんか、すごく眠い……」

 魔力を使い果たした魔法使いは、強烈な眠気で行動不能となる。俺は一度、シーナの行動不能状態を見ている。立ち上がらせるのは無理だと判断し、俺が背負って運ぶことにした。

 身体中が痛い。だが、俺に背負われた瞬間、寝息をたて始めたシーナを見て、もう少し頑張ろうという気持ちが湧いてきた。

 広間だった場所を、俺はよろよろと歩き回った。

 隅の方で、仰向けに倒れているフォルを発見した。フォルは全身が枯葉のような色に染まっており、両手両足が粉末化し、頭と胴体だけの身体になっていた。

「……生きて、いたのか」

 フォルの呟きに、「こっちのセリフだ」と俺は溜息交じりに言った。

「あんたに、まだ、戦う意思はあるか?」

「〈入浴の儀〉を行わずに、再戦は無理に決まっているだろう……」

 大釜をひっくり返したり、シーナに回復アイテムを与えたことを、フォルは気にしていない……。いや、気にする余裕がないほど、衰弱しているのかもしれない。

「俺が言うのもアレだけれど、シーナさんの勝ちだ」

「……見ればわかる」

 フォルは残念そうに溜息を吐いた。

「私はかつて、馬鹿共から〈モンスター〉と(さげす)まれた……。私の父も、そんな馬鹿共と同じで、〈ヴァンピィ〉である母と私を見捨てて、馬鹿共の仲間に加わった……。父は、世間体を気にする男だったのだ……。自分で選んだ道なのに、モンスターの母と、モンスターと人の体質を持つ私を、

という理由で捨てた……」

 これは、遺言だろうか。人として無視することはできないと思い、俺はフォルの語りを最後まで聞くことにした。

「私は、そんな世界が許せなかったのだ……。私以外の誰からも愛されずに死んでいった母のような存在を生み出さないようにするために、私は、この世界から〈差別〉などというくだらない物差しを持つ〈無能〉を駆逐したかった……。あらゆる生命を受け入れられる器を持つ、〈選ばれた者〉のみが平和に暮らせる世界を創りたかった……」

 だが、その野望もここまでのようだ。

 そう言いたげに、フォルは切ない笑みを浮かべた。

「フォル……」

「なんだ……?」

「あんたはその、天才的な魔法の力で、人々の目の色を変えられるような凄いことができたはずだ。誰も駆逐せず、自分が凄い奴だということを証明して、世間の見る目を変えてしまえばよかったんだ。もしも、フォルが差別の無い世界を守れる魔法使いになっていたら、俺は、その世界に住みたいと思う」

「……私は」

 フォルの頬に、ビシッと亀裂が走った。もう、肉体は崩壊間近だ。

「本当に望んでいた世界は……。私が、本当に創りたかった世界は……」

 ブツブツ呟くフォルに、俺は背を向けた。

 フォルは、俺たちと同じ一人の人間だった。人間が死ぬのを見るのは悲しい。だから、肉体が完全に崩壊する瞬間だけは、見たくなかった。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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