第44話

文字数 4,748文字

 部屋を出てエレベーターに乗り、一階のフロアまで下りる。

 受付にいた年配の女性に外出することを伝え、俺は保護施設から出た。

 拠点全域の地図か、各施設案内のパンフレットでもあればよかったのだが、渡されなかったということは、多分、無いのだろう。

 どこへ行こうか、と辺りをキョロキョロする俺の近くを、若い男女のペアが走り抜けた。

「急げ! もうすぐ始まるぞ!」

「あんたが寝坊しなければ、もっと早く出られたのに!」

 俺は男女のペアを目で追って、「始まる?」と呟いた。

 何か面白いイベントが行われるのか。

 気になった俺は、ストーカーだと思われないように距離を取りつつ、男女のペアの後をついて行った。

 ほどなくして、辿り着いた場所は、拠点に入った時、見えなかった長方形の建物。窓が一つも無い、出入口だけの地味な見た目だ。

 追っていた男女のペアは、その中に駆け込んでいった。見ると、男女のペアの他にも、あちこちから人が歩いて来て、ライブ会場へなだれ込むファンの如く、次々と建物の中へと入っていく。

 人々を惹くあの建物はなんなのか。賑やかな空気に心が躍り、俺の足が自然と建物の方へ動いた。

 通路を抜けると、大勢の人でごった返すフロアが見えた。

 俺は、子供の頃、両親に連れられて行った音楽ライブを思い出した。なんとかフェス——名前は忘れたが、有名アーティストが多数出演した大きなライブだった。あの時に見た景色もこんな感じだった。あちこちから止まることなく聞こえてくる人の話し声や、垂れ流しになっているBGMが、理解力の乏しい俺の思考をかき乱した。人々が放つ感情の熱に圧倒され、ただそこにいるだけで疲れた。出演バンドのオリジナルグッズが売られている店に、両親に手を引かれて連れ回され、体力的にもしんどかった。

 今は、大人になった俺一人。両親がいなくても不安は無い。あの頃みたいに場の空気に呑まれることもなかった。それどころか、逆に、このお祭り騒ぎに好奇心を掻き立てられ、楽しい気分になってきた。

 シーナのことは気になるが、今だけは、周囲に同調して楽しんでいいかもしれない、と思った。

 俺はフロアを歩きながら、周囲を観察した。

 出入口の反対側にゲートが二つあり、人々は順番に、奥へと入っていく。入場チケットの代わりに、皆、手に描かれた数字を受付に提示していた。

 グッズ販売の店は見当たらなかったが、飲み物や軽食が手に入る店はあった。金を渡す代わりに、そこでも数字が使われていた。

 数字を見せるだけで飲み食いし放題なら、最高じゃあないか。

 腹は空いていないので飲み物だけ貰おう、と決め、俺は人の列に加わった。

 数分して、俺の番になった。店のスタッフは、若い女性二人が担当していた。そのうちの一人に何にするかと訊かれ、とりあえず、メニューを見せてほしいと伝えた。取り扱っている物は、様々な世界の言語で書かれていた。日本語、英語、中国語、等々……。その他にも、この世界の言語や、俺の知らない世界の言語と思われる落書きみたいな文字もあった。

 パンは無いが、肉の種類は豊富だった。恐らくモンスターの肉なのだろうが、適当に選んでハズレを引きたくなかったので、最初に決めた通り、飲み物だけ要求した。

 タッチパネルのような石板に掌をかざすと、女性スタッフが、緑色の液体が入れられた透明なコップを俺に手渡した。

 後列の邪魔にならないよう脇によけ、一口すすると、バイルの家で飲んだものと同じ甘い味がした。

 この世界のお茶は甘いのが普通なのだろう。嫌いな味ではないので、文句はなかった。

 お茶を片手に、人が一番多く集まっているゲートへ向かう。上部に取り付けられたモニターのような物体に大きく書かれている複数の文字——その中から日本語を探して読み、俺は「ん?」と首を傾げた。

 音楽が聞こえてこないので、それ関係のイベントでないことは察していたが、これは、まさか……。

 モニターの一番上には、『ウロー VS レオニ』と書いてある。その下に続く文字も、『○○VS○○』といった書き方で、まるで格闘技の対戦表のようだった。

 もしかするとこの建物は、選ばれた者同士が戦う、闘技場なのかもしれない。そうとは知らず列に加わってしまった俺は、引き返すタイミングを逃し、ほぼ強制的に前に進まされた。

 早くしろよ、と言いたげに睨む後列の人々を一瞥し、入場口のスタッフに掌をさらして、俺は闘技場に入った。

 光を放つ無数の球体が天井付近に浮かぶ広間を斜め上から見下ろすような形で、観客席が並んでいる。空席が見当たらなかったので、俺は立ったまま、これから行われる戦いを見ることにした。

 別に、無理に見る必要など無いのだが、俺が十年前に関わった誰かしらが出て来るかもしれない。シーナが出てきたら——多分、無いとは思うけれど、一応、確認という目的で観戦していくことを決めた。
 
 客席に交じって設置された実況席で、眼鏡をかけた男が良く通る声で開催の宣言をする。あちこちから歓声が上がり、リングの両サイドから闘技者と思しき影が現れる。

 両者とも、人間ではなかった。片方は真っ赤な体毛に覆われた、軽自動車並みの巨躯を誇る狼。

 もう片方は、立派な(たてがみ)を生やした、全長三メートルはある二足歩行するライオンだ。人間の兵士みたいに鎧を身につけている。

 赤い狼とライオン男は五メートルほど距離を開けて立ち止まった。

 実況の男が『ウロー VS レオニ』の試合を始める前に、両者の簡単なプロフィールを話す。

 赤い狼——ウローは、〈ラディア〉の〈三大危険区域〉の一つ、〈バルジオ火山〉で、〈ウルフェル族〉という種族のリーダーを勤めた猛者なのだという。

 ライオン男——レオニは、冒険者制度が廃止される前、主に〈危険区域〉でモンスター狩りの仕事をしていた冒険者だったそうだ。マイルドも言っていたが、現在〈ラディア〉には冒険者という職業が無いらしい。レオニは冒険者から闘技者に転職し、ファイトマネーを得て生活しているのだろうか。

 野生の中で鍛えられたモンスターと、冒険者として他種族を狩っていたモンスター。この試合は、狩るものと、狩られるものの戦いを再現しているのだと、実況の説明を聞いて俺は思った。

 リングの下からオレンジ色のレーザーが飛び出し、空中で何度も屈折して金網の形を描いた。両者が逃げられないように、誰かが魔法の結界で囲ったのだろう。中にはウローとレオニしかおらず、レフェリーは見当たらなかった。

 ルール説明も無いまま、実況は試合開始を宣言する。両者とも、いきなり突っ込んで行かず、睨み合っていた。

 早くやり合え、と観客席にいる人たちがヤジを飛ばした。改めて見ると、観客席にモンスターの姿が無い。モンスター同士の戦いは、人にしか需要の無いイベントなのだろうか。

 睨み合う両者を眺めていて、俺は、あることに気づいた。

 人ごみを押し分けて、客席の最前列まで行くと、ようやく

がわかった。

 ウローとレオニは、ただ睨み合っているのではなく、言葉を交わしていた。モンスターにしかわからない言語で喋っているらしく、意味は理解できなかった。

 しかし、両者の申し訳なさそうな表情が、この戦いに、お互い乗り気でないことを表していた。

 互いに互いの力量を知っていて、できれば勝負を避けたい、と弱気になっているのか。或いは、仲の良い者同士で対戦カードが組まれてしまったことを不満に思っているのか。理由は定かではないが、「戦いたくない」という想いだけは客席にいる俺にも伝わってくる。

 やがて、両者は何かを決意した顔つきになり、戦闘を開始した。

 一気に距離を詰めて、互いに掴み合い、相撲をとるような攻防が繰り広げられた。
 
 ウローは巨大な口に生えている牙を使わないし、レオニは両手に生えた爪で引っかかない。なんだか、互いに手加減をしているみたいだ。

 初見の俺がそう思うくらいだから、闘技場の常連には、はっきりとそれが伝わっているはずだ。

 血飛沫が舞うほどの激しい闘争を期待する者たちの口からは怒りの声が飛び出し、実況は面白くなさそうに批判的な言葉を長々と喋っている。

 この試合は、闘技者の同意無く、主催者側が勝手に決めたのだろうか。戦いたくないのに、無理矢理試合に出させるのは、いくらファイトマネーが貰えるとはいえ、可哀そうだ。

「このままでは埒が明きませんね! スタッフの皆さん、お願いします!」

 実況の声に頷いた数人の男女がリングに近づき、何かやり始めた。

 両手をリングに向けて、ぶつぶつと呟いている。

 瞬間、さっきまで加減し合っていたウローとレオニが狂暴化し、互いに互いの身体を引き裂き合う乱闘が起こった。

「な、なんだ……!?」

 俺は驚愕した。

 まさかとは思うが、リングに近づいた男女たちは、ウローとレオニに魔法でドーピングを施したのか。

 ウローとレオニが激しく戦い始めたのを見て、男女たちは観客席側に下がったので、魔法で操って戦わせているのではない。

 しかし、やっていることは同じようなものだ。これは正々堂々、クリーンな戦いでは決して無い。薬で興奮させた動物同士を檻の中で殺し合わせるような、残虐なショーだ。

「ウォオオオオオオオオッ!」

 引き千切ったウローの頭部を掲げて、レオニが雄叫びを上げた。

 実況が、レオニの勝ち名乗りを告げる。

 レオニはまだ興奮が冷めないのか、ウローの頭部をリングに叩きつけて砕き、ピクピクと痙攣する胴体をミンチにしていた。

 客席から歓声が上がった。皆、

のだろう。気分が下がっているのは、恐らく、ここにいる人間の中で俺だけだ。

 一体、この残虐ショーの何が楽しいのか。無理矢理モンスター殺しをさせられたレオニは、どういう気持ちでこの結果を受け止めているのだろう。

 魔法の効力が解けたのか、レオニの暴走が止まる。彼は周囲から浴びせられる歓声に、混乱していた。自分が何をしていたのか、わかっていないような表情で、周囲を見渡している。

 やがて、レオニは気づいた。血まみれになった自身と、肉片と化したウローを交互に見て、全てを悟ったのだ。

 レオニはわなわなと肩を震わせ、血にまみれた両手を見つめ——悲しき雄叫びを上げて、その場に泣き崩れた。

 観客の目には、その様子が、勝利を泣いて喜ぶ姿にでも映っているのか、レオニを称える言葉を投げかけていた。


 ……気の毒に。


 俺は泣いているレオニを見るのが辛くなり、観客に肩でどつかれながら闘技場から出た。

 出入口のあるフロアまで戻ると、先ほどは無かった店が一つ、新たに設置されているのが目に入った。

 そこには行列ができており、先に並んでいた者たちは目を輝かせながら、湯気の立つ真っ赤に焼けた肉をスタッフから受け取っていた。


 ……あの肉は、なんだ?


 肉を貰った人たちが傍を通り、そして、俺は聞いてしまった。

 一瞬、何を言ったのか理解できなかったが、あちこちから聞こえてくる人の声を聞いて、徐々に、頭の中が整理されていった。

 赤い肉。焼けた肉。味付け無し。そのままの肉。戦いの後、すぐ回収された肉。戦いの味。モンスターの肉……。

 俺は口元を手で覆った。

 こいつら、イカレている。こいつらが食っているのは、さっき闘技場で戦って、レオニに殺されたウローの肉だ。

 俺は逃げるように、その場から立ち去った。

 冷汗が止まらない。ここは、この世界は腐っている。もうここは、俺の知っている〈ラディア〉ではない。

 モンスターと人が共存していた〈ラディア〉は、十年で腐ってしまった。

 今の〈ラディア〉は、モンスターが家畜のように扱われる、人だけが支配する世界だ。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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