第12話

文字数 3,846文字

 ライ村は広大な麦畑に囲まれた農村だった。村のあちこちに風車が建ち、その傍らには、収穫された穀物を保存、加工する小屋があった。俺がシンやシーナと出会った村と違って人通りが多く、人の手を使わずに動く荷車(多分、魔法で動かしているのだろう)を連れた商人らしき者たちや、大きなバッグを背負った旅人らしき者たちが建物の間に敷かれた通りを行き来していた。

「ここ、住んでいる人は少ないんだ。働いている人のほとんどが出稼ぎ。仕事が終わったら別の村や町に移動している」

 シーナが言うには、ライ村は、穀物を育てたり、採った穀物を食品に加工したりなどの仕事をする農作業者が多いそうだ。あちこちの建物から粉挽きと思しき音が聞こえてくる。

「シーナさんは、ここに来るのは何度目なのですか?」

「何度も来ているよ。お父さんに頼まれた物を買うためによくここに来ていたの」

 村の出入口で突っ立っていた俺たちの前で、大きな粉袋を背負った一人の老人が立ち止まった。俺とシーナは左右に分かれて道を開け、老人は会釈してその間をのそのそと通って行った。

「そういえば、ヒュドラとアッシュはどこへ行ったの?」

「ヒュドラさんは……」

 ライ村に着いてすぐ、ヒュドラは回れ右して俺たちが通って来た森の中へ戻って行った。

 すれ違いざま、ヒュドラは俺にこう言った。「またな!」と。

 多分だが、ヒュドラはこの村でも悪さを働いたことがあるのだろう。まるで逃げるように、彼は俺たちの傍から離れて行った。

 ヒュドラが去る時、シーナはライ村を見つめていた。いなくなったことに気づいていない様子なので、別れのセリフも聞こえないほど、何かに集中していたみたいだ。

「ヒュドラさんは、多分、〈危険区域〉に戻ったのだと思います」

「なんでわかるの?」

「シーナさんと出会う前、私は〈危険区域〉でヒュドラさんと出会いました。そして二度目も、〈危険区域〉で会いました。彼にとって〈危険区域〉は散歩場であり、故郷なのではないでしょうか」

「お兄さんとヒュドラは、

なのかもね」

「……? どういうことですか?」

「私は初めてヒュドラと会った。お兄さんよりも〈危険区域〉に入った回数は多いのに、初めて会った。でも、お兄さんは〈危険区域〉に入るたびにヒュドラと会っている。だから、お兄さんとヒュドラは、自分たちでも気づかない

によって引き合わされているのかもしれない」

 運命のような何かに、とシーナは小声で付け足した。

「わかりません。或いは——いや、これは考えすぎかもしれませんが、ヒュドラさんには私が、何か珍しいものに見えているのかもしれません。私は彼のことを正直者だと思っていますが、私は、一切の嘘をつかずに生きている生物に、これまで一度も出会ったことがありません。だから、ヒュドラさんは、私が不快な気持ちにならない程度の嘘をつき、近くに留まっているのかも……」

「要するに、気に入られているってことでしょ」

「……わかりません」

 俺は、自分のことを誰かに気に入られるような人気者だと自賛することが気に入らなくて、「ヒュドラは俺を気に入っている」などと口に出すことができなかった。

という抽象的な概念の正体は、〈好き〉という感情的なものだったのかもしれない。お兄さんがまた〈危険区域〉に入った時、多分ヒュドラは、偶然を装って姿を見せると思う」

「或いは、私たちの考えは全て憶測で、全てが偶然だったのかも……」

 シーナはフッと小さく笑い、両手を後ろで組んだ。

「もっと自分に自信を持っていいのに」

「え?」

「ま、いいや。自信満々な態度のお兄さんよりも、今のお兄さんの方が私は好きだから」

「……パン作りに関してだけは、自信を持っています」

「そうだね。だから私たちはここに来たんだもんね」

 シーナはパッと手を解いて、

「アッシュは?」

「死んだんじゃないですか」

 奴に関しては、本当に知らない。気がついたらいなくなっていたのだ。

「死んだら死体が残るよ。ヒュドラと一緒に〈危険区域〉に戻ったんじゃない?」

 俺の冗談にシーナは真面目に返した。

 奴のことを心配しているようなシーナの口ぶりに、俺は少し、嫉妬心が湧いた。

「臆病なあいつが〈危険区域〉に戻ったとは考えにくいですね」

「何も言わずにいなくなったってことは、緊急事態ってこと? 大丈夫かなぁ……」

 シーナがアッシュを気にする言葉を出すたびに俺の眉がピクピクと動いた。

「あのクズは、死んだってことにして先に進みましょう」

「もしかして、お兄さん。アッシュのことが嫌い?」

「…………」

 大嫌いだ。あんなクズ。大体あいつは薄汚い盗賊——だが、ここへ来るまでに、俺は奴から沢山の野草の知識を得た。頭から否定するほどのクズではない。

 いや、しかし、奴が俺に親切に接したのはシーナに近づく

みたいなものだ。

 やはり奴はクズ。だが、本当に奴は……。

 俺がシーナにどう返答しようか迷っている最中、なんとなく顔を向けた村の周囲に広がる麦畑の一角で、手を振っている何者かを発見した。


 ……あれ、もしかしてアッシュか?


 麦の中から頭と右手だけ出して、俺とシーナのいる方に手を振っているのが見える。

「シーナさん。アッシュが見つかりました」

「どこ?」

 シーナを連れて、俺は麦畑に入った。

 俺の腰のあたりまで伸びた麦たちを両手でかき分けて進み、地面に膝をついてムカつく笑みを浮かべるアッシュの傍へ行って、

「お前、何やってんだ?」

「ごめん。アタシは村には入れない」

「なんでだよ?」

 俺はアッシュの隣に膝をついて、麦の中に身を隠して訊いた。

 シーナは、そんなことをしなくても姿は麦で隠れるのに、俺たちに合わせたのか知らないが、地面に正座してアッシュの返答に耳を傾けた。

「村に衛兵がいるんだ。アタシはお尋ね者だから、奴らに見つかるわけにはいかないんだよ」

「衛兵? それって、警備兵みたいなものだろう。村の警備に充てられた奴らってことだよな?」

「警備兵ってのは、腕の立つ魔法使いとかが、村とか町の長に金で雇われてやるもんだ。でも、衛兵は違う。普通、衛兵は王都〈フレア〉で警備の仕事をする。それなのに、奴らがこの村にいるってのは変だ」

「なんで衛兵だってわかるんだよ?」

 村にいた人たちは、みんな同じような服装の人たちばかりだったので、俺には違いがよくわからなかった。

「旅人に変装しているんだよ。でも、顔を知っているアタシにはどいつが衛兵なのかわかる」

「あの人たち、衛兵だったんだ」

 シーナが納得した様子で言った。

「村にいた人たちの中に、凄い量の魔力を身体の中に仕舞っている人が数人交じっていた。しかもその人たち、仕舞っている魔力をほとんど外に漏らさないようにして、魔法を覚えたての素人の身体みたいに見せていた。警備兵だったら、そんなことせずに魔力を垂れ流しにするのに……。だからあの人たちは、警備兵ではない別の何かだと思った」

「シーナさんには、違いがわかるのですね」

「じっと見ないとわからないくらいの違いだね。お父さんほどじゃあないけれど、あの人たち、強いよ。冒険者だったら間違いなく一級以上の実力者」

 〈危険区域〉のモンスターたちを余裕で追い払える魔法使いのシーナが言うのだから間違いないだろう。

 もしかすると、ヒュドラが去る時、シーナが見つめていたのは、旅人に変装した衛兵だったのではないだろうか。

 その時シーナは、その人たちを〈強そうな人たち〉と思っていた。そしてその、警備兵とは違う見た目の〈強そうな人たち〉が村にいることに疑問を抱き、ヒュドラが消えたことに気づかないほどの集中力でもって見つめていたのだ。

「なぁ、シーナ嬢。衛兵は全部で何人いるかわかるか?」

「私が見つけたのは五人だけ」

「アタシは二人しか見つけられなかった。見えていないだけで、村にはもっと沢山の衛兵が潜んでいるかもしれねぇ……」

「おい、アッシュ。衛兵が村にいる理由に心当たりはないのか? お尋ね者のお前を捕らえるために待ち伏せしているとか」

「いや、

に衛兵を動かすのは、ちょっと、違う気がする……」

 確かに、超凶暴なモンスターならまだしも、人間の盗賊相手にシーナが認めるほどの強さを持つ衛兵は役不足かもしれない。アッシュ相手なら、その辺の賞金稼ぎで事足りる。

 となると、国王が警戒するほどの問題が起き、衛兵たちはその問題の解決に充てられたと考えるのが正しいだろうか。

 だがしかし、村は至って平和に見える。人々たちから、焦ったり怯えたりする様子は感じられない。

「秘密の任務、なのかな……」

 人々に話を広められたくない事件が起きて、衛兵たちは旅人に変装し、その事件を解決するための情報集めをしている。或いは、事件の犯人を捜している。そんなところだろう。

「俺には関係ない。パンの材料を手に入れたら、さっさと村から出よう」

「お父さんからお金貰ってるから、お兄さんが欲しい物を選んだ後、私に言って」

「すみません。お手数おかけします」

「よし、行って来い。アタシはここに隠れている。用事が済んだら、呼びに来てくれ」

「何を言っているんだ? 俺たちが村を出るタイミングで、お前も出ればいい。いちいちここに戻るのは面倒だ」

「わ、わかったよ。でも、アタシに見つからないように村を出るのはナシだからな?」

「お前なんか、麦畑の肥料になればいい」

「酷いな!?」

 アッシュを残し、俺とシーナは麦畑を出てライ村へ戻った。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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