第54話

文字数 3,702文字

 シーナと再会した。俺は、どうしていいのかわからなくなった。伝えたいことが沢山あったはずなのに、いざ本人の前に立ったら、頭の中が真っ白になってしまった。嬉しさよりも驚きの方が勝ってしまい、感動の涙すら一滴も出てこない。

「シーナッ! まさか、お前の方から捜しに来てくれるなんて驚いたぜッ!」

 シーナを見つめたまま固まる俺の隣で、ヒュドラが喋る。

「匠汰が近くにいるような気がしたの。それで、魔法で飛んで来てみたら、本当に匠汰だった」

 シーナは表情を変えず、ロボットのように答えた。

 別に、再会を喜んでほしいわけじゃあ——いや、本当はちょっと喜んでほしい。だが、十年経ってシーナは落ち着いた性格の女性に変わってしまったらしく、まったく形が変わらない目で俺を見ている。

 ……いや。見ているというよりも、観察しているような感じだ。ほとんど瞬かない目は、俺の身体を下から上に、上から下に、瞳から見えないレーザーを放って異物をチェックしている機械みたいな動きをしている。

「なんだよッ! 久しぶりだってのに、お前らちっとも嬉しくなさそうだぜッ! 俺様とも久しぶりに会えたってのに、全然嬉しくなさそうだぜッ!」

「そんなことないよ。匠汰やヒュドラと会えて嬉しいよ」

 シーナは感情のこもっていない声で返した。

 今になって気づいたのだが、シーナが俺のことを「匠汰」と呼んだのは初めてではないだろうか。俺のことをずっと「お兄さん」と呼んでいたのに、十年経つと、呼び方さえ変わるものなのか。

 シーナに対して、俺は不審な気持ちを抱いた。そして、



 俺は、シーナと再会してここまで嬉しがらない自分に違和感を持った。再会できて嬉しい気持ちはあるのだが、それをヒュドラみたいに大きく表に出せない。

 シーナもシーナで、態度や言葉遣いが落ち着き過ぎていて、俺の心に何一つ響くものが無い。

 俺は口を開き、そして、

「あの……。本当にシーナさんですか?」

 十年ぶりに再会したシーナに言いたい、山ほどある言葉の中から俺が選んだのは、〈疑い〉を込めた質問だった。

「十年経って、私のことがわからなくなった?」

 それもある。十年経って変わらない方がおかしいと思う者だっているだろう。だが、喋り方や細かな仕草、無意識のうちにやってしまう癖などは、十年二十年経っても変化しないことの方が多い。ヒュドラが本人と言うくらいだから見た目は成長したシーナなのだろうが、しかし、中身はシーナではない

ではないかと俺は思った。

「シーナさん。私は、あなたがシーナさんだと信じることができません」

「どうして?」

「ただの、勘です……」

「変なの」

 シーナは苦笑した。俺にはそれが、愚か者に見せる嘲笑に思えた。

「おいシーナッ! お前、一人で来たのかッ!?」

 ヒュドラは目の前にいるシーナが本物だと信じているようで、いつも通りの態度で話しかけた。

「そうだよ。なんで?」

「佐藤に会いに行くって言った時、仲間たちは心配しなかったのかッ!?」

「しないよ」

 シーナは首を横に振った。

「なんで?」

「佐藤のこと、知らない奴の方が多いんだぜッ! 知らない奴とシーナを会わせることに、反対した仲間がいたはずだぜッ!」

「いなかったよ。みんなには、匠汰が仲間だってちゃんと伝えたから」

「なら安心だなッ!」

 ヒュドラがあっさり納得してしまって、俺はガクッとした。もうちょっと、疑ってかかってもいいだろうに……。ヒュドラはシーナの何を見て本人と認識しているのか。

「あの、シーナさん? 一つ、頼みたいことがあるのですが……」

 俺はシーナと話し続けることにした。それしか、本物か偽物か判別する手段がない。

「私の友達が保護団の拠点に残されています。どうにかして助け出したいのですが、手を貸して貰えないでしょうか」

 マイルドとレオニ、他のモンスターたちがどうなったのか知りたい。無事ならマイルドの転移魔法で俺と合流できるはずだが、音沙汰無いので心配だった。

「そんなの、どうでもいいよ」

 冷たい返事で、俺の中にあった不信感が一気に肥大化した。

「お前……。違う……。お前は、シーナさんじゃあない」

「なッ……! 何言ってんだぜ、お前ッ!?」

 ヒュドラにはわからないが、俺にはわかる。それは理屈ではない、長く傍にいた者同士に芽生える友情に近い、抽象的なもの。それこそ、ただの勘である。だが、強く疑いを持ってしまったら、それを払拭するための材料が必要だ。シーナがその材料を持っているか否か。それで決断ができる。

「……うーん。なんでバレたんだろう」

 シーナがそう呟いた瞬間、彼女の身体が、頭の天辺からミカンの皮みたいにめくれて、中から別の人間が現れた。

 それは、整った顔立ちの金髪の男性だった。髭の無い綺麗な肌で、目が大きく、小顔であるため、十代後半にも、二十代前半にも見える。

「お前、誰だよ……?」

 警戒して数歩後退する俺に、金髪の男性は目を向ける。

 その目には、見覚えがあった。人の心を映す水晶玉のような神秘的な輝きを持つ目……。十年前に俺と話をした、カスタ王とまったく同じ目だった。

「あ、アスタだぜッ!?」

 ヒュドラが跳び上がった。尋常じゃなく恐怖していることが、目で見て感じ取れる。

 だが、それもそのはずだ。目の前にいる金髪の男性は、現〈ラディア〉のトップに君臨する王、アスタ・バルザ・シェルベノム。モンスターとの共存に成功していた〈ラディア〉を差別的政治で腐らせた張本人なのだ。

「あんたが、アスタか……!」

「教えてくれ。佐藤匠汰」

 シーナの皮を脱いだアスタは、真面目な顔で俺に訊いた。

「どうして、私がシーナではないとわかったんだ?」

「それは……。だから、ただの勘だ……」

 父親の持つ特殊な力を、アスタも持っているような気がした。目を合わせるだけで相手の全てを見通す、テレパシーに似た能力……。

「その通りだ。私には全て見えている。聞こえている」

 アスタは俺の心の声に返答した。

 やはり、能力は受け継がれていたようだ。

 それだけじゃあなく、アスタは身体に纏っている雰囲気までカスタ王と同じだった。自分とは身分が違う、圧倒的な王の威厳(オーラ)。人に恐怖を与える威圧感が含まれていないところも、父親と似ている。

 だが、俺はアスタに怯えていた。アスタが何をした人物か、知っているからである。

「……そう、

だ。あなたが今、私に対して抱いている感情だ。それが、私には理解できない」

 アスタは俺の胸のあたりを指差し、言った。

「私が行うことは全て、私が良かれと思ってやったことだ。しかし、あなたの中ではその全てが悪と断定されてしまっている。まるで、私の存在そのものが悪と言わんばかりに……」

 悲しいことを喋っているが、アスタの表情に変化は無い。自分の悩み事を打ち明ける時、人は、心だけでなく表情にも変化が現れる。だが、アスタの場合はそれが無いのだ。

 悩み事を誰かに話す時と、解けない数式の問題の答えを求める時の感情の度合いは違う。でも、アスタは同じなのかもしれない。

「あんたには、心が無いんだ……」

「なんだって?」

「たとえ見た目が同じでも、シーナさんとあんたでは中身が違う」

「なるほど。それが、勘というやつか。或いは、私の変身魔法が未熟だったのが、嘘を破られた理由かもしれない」

「いや、あんたの変身魔法とやらは完璧だった。ヒュドラさんは、正体が明かされるまで騙されていたし……」

「当然だ。下等生物(モンスター)に嘘を見抜く能力などあるはずがない」

 アスタの侮辱的セリフは聞こえているはずだが、ヒュドラは怒らず、怯えてウサギみたいに縮こまっていた。

「アスタ。俺からも質問させてくれ。あんたは何故、そこまでモンスターを毛嫌いしているんだ?」

「愚問だな」

 アスタは鼻で笑った。

「奴らは自分たちが醜く、野蛮で、愚かな存在であることを自覚していない。そんな奴らが人と目線を合わせて生きているのだ。腹立たしいと思わないのか?」

「思わない」

 俺は大きくかぶりを振った。

「モンスターも人も同じだ。平等なんだよ。あんたの身勝手な理由で上下関係を決めるのは間違っている」

「この世界では人がモンスターに襲われ、殺される。弱き者は日々、モンスターの襲撃に怯え、不安まみれの生活を送っていた」

 知っている。この世界で、俺はそのことを嫌というほど思い知らされた。

「こんな世界、間違っている……。だが、私が王となり、モンスターたちの存在価値を格下げすることで、ようやく平和な世が訪れた。人々はもう、モンスターの脅威に怯えなくていい。今の〈ラディア〉こそが、真のあるべき姿なのだ」

「モンスターにだって自由に生きる権利があるだろう。奴隷みたいに扱って、モンスターたちが可哀想だとは思わないのか?」

「人を殺す時、モンスター共は何も感じない。それと同じだ」

「よく言うぜッ! お前、同族を——人も殺しているクセにッ!」

 横から叫んだヒュドラに、アスタの目がギロリと向く。

「下等生物の分際で、この私に気安く話しかけるな。失せろ」

 アスタが指を鳴らすと、ヒュドラの姿が一瞬で消えた。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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