第66話

文字数 3,898文字

 ミルマルカリネのいない玉座の部屋に、アスタの勝ち誇った笑い声が響いた。

「あの化け物の気配が消えた……! やったぞ! これでもう、私を脅かすものはいなくなった!」

 黒雲に覆われた王都〈ラディア〉を見せられ続ける俺には、アスタが何に対して喜んでいるのかわからない。

「アスタ! いい加減に魔法を解け! 暗くて何も見えない!」

「ああ、そうか。悪かったな」

 俺の両目に、アスタの姿が映った。奴は素直に視界共有の魔法を解除したのだ。

「……で? あんた、何ヘラヘラしてんだ?」

 ナルシストのような気取った態度のアスタは見慣れているが、子供みたいにはしゃぐ姿は初めて見た。

「何があった? 説明しろ」

 王都〈フレア〉の内部状況が途中から見えなくなったので、俺にはその後、何が起こったのかわからない。アスタにとっての良いことが起こったことだけは確かなようだが……。

「死んだんだよ。ミルマルカリネがね」

「はっ!?」

 アスタが隠さず大っぴらに感情表現するほどだ。嘘ではないだろう。

 しかし、シーナも認めたあのミルマルカリネを、どうやって死なせたというのだ。

「奴は罠にかかったんだ。シーナを助けるために命を捨てた。全部、私の計画通りに事が進んでいる」

 詳しいことはわからない。だが、アスタがまた、汚い手を使ったということは想像できた。

「女王様がいなくなって嬉しそうだな。アスタ」

「当然だ。この世界で、最も危険なモンスターを排除できたのだ。これでまた、平和な〈ラディア〉に一歩近づけた。王として、これほど喜ばしいことはない」

「この世界で最も危険なモンスターは、お前だアスタ」

 アスタは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。ミルマルカリネが死んだ、というビッグニュースが、アスタを究極のポジティブ人間に変えていた。俺が何を言っても、どれだけ罵声をぶつけても、その笑みを消すことはできない。……と思ったが、不意にアスタは真顔になり、大きく深呼吸した。

「さて、はしゃぐのもここらで終わりにしよう。最後の仕上げが、まだ残っているのだからな」

 アスタは視線を俺に向けた。その瞬間、俺とアスタとの間に、眩い光を放つ転移ゲートが出現し、そこから一人の女性が飛び出した。

 女性は俺に背中を向けて、正面にいるアスタと対峙した。

「お兄さん。下がってて」

 その女性——シーナはこちらを見向きもせず、言った。

 俺は直感的に、シーナが怒っていると察した。すぐさまその場から離れようとしたが、アスタの「待て」の声の後、見えない力で制止させられた。

「佐藤匠汰。私とシーナの話し合いが終わるまで、そこで大人しくしていろ」

「話し合いなんて必要ないッ!」

 ドンッ、とシーナの身体を中心に、全方向へ衝撃波が放たれ、俺は石ころみたいに吹っ飛ばされた。

「久しぶりの再会だというのに、随分と、面白くなさそうな顔をしているね」

 正面から衝撃波を食らったはずなのに、アスタは微動だにせず、じっとシーナを見つめていた。

「できれば会いたくなかった!」

 衝撃波ではびくともしなかったのに、アスタはシーナの言葉で精神にダメージを受けたのか、一歩後退した。

「……シーナ。今がどのような状況なのかわからないほど、君は馬鹿ではないだろう」

「わかっているから怒っているんだ!」

 シーナはアスタに対して異常なほどの嫌悪感を持っていた。口を聞くのも、同じ空間にいるのも嫌だと態度で示している。

「シーナ。怒りでは何も解決しないぞ。大事なのは、認めることだ。君では私に敵わない。あの蝶の化け物でさえも、私には敵わなかったのだ。負けを認めて、大人しく投降しろ」

 最後は命令口調に聞こえた。

 アスタは、どう足掻いてもシーナに勝ち目は無いと決めつけている。

 だが、確かに、今の状況はアスタにとって有利かもしれない。俺がこの場にいるだけで、シーナの動きが確実に鈍くなるからだ。

「黙れッ!」

 シーナは一歩も退かなかった。もしかすると、今のシーナには、俺の姿など目に映っていないのかもしれない。彼女が見ているのは憎き仇だけで、俺は存在しないかのように扱われている。

 それなら、好都合だ。俺が死んでもシーナは止まらない。つまり、俺には人質としての価値が無いということだ。

「……本気なのか?」

 アスタの表情に焦りの色が見えた。奴も、俺を人質として使うことが無駄だと察したのだろう。

 そしてアスタは、シーナを自分の手で殺すことに躊躇いがある。あの手この手と遠回りにシーナを守っていたのだ。情を、簡単には捨てられない。

 対してシーナは、アスタを殺すことを決断している。アスタが戦闘を選択したら、もう、止められなくなるだろう。

「シーナ、私は……」

 アスタは悔し気に拳を握りしめた。

「私は、君のことが好きだ! 君と佐藤匠汰の恋仲を邪魔する気は無い! だた、君に生きていてほしいんだ!」

「さっき死にかけた! ミルがいなかったら私は死んでいた!」

「別にいいじゃあないか! 奴はこの世界に必要のない——存在してはならない化け物だった!」

「話にならない!」

 シーナはうんざりするように叫んだ。

 俺は、いつの間にかアスタの魔法の拘束が解けていることに気がついた。魔法を継続させられないほど、アスタは動揺しているのだろう。

 今がチャンス、と俺はそっと玉座の部屋を出た。

 シーナは間違いなく、全力でアスタに挑む。巻き添えを食らわないように、なるべく二人から離れるのが正しい判断だ。


 ……シーナさん。勝ってくれ。


 出口を探して、崩れかけのミルマルカリネの城を駆け回りながら、俺はシーナの勝利を願った。

 今回の戦いは、選ばれた者のみが闘技場に立つ。俺はギャラリーにもなれない。

 ただ、離れた場所から俺は、シーナの勝利を願い続ける。

 肌にひりつくような波動を受け、俺は、シーナとアスタの戦いが始まったことを悟った。




 シーナには、勝利の欲求など無かった。あるのは、仲間や友達を傷つけたアスタに対する怒りだけ。アスタにとって、シーナとの戦いは国を賭けた争いだったが、シーナにとってこれは、戦争ではなく、人間同士の喧嘩だった。様々な人々、モンスターの想いを背負った大事な戦いなのだが、今のシーナからはそれらの重荷——あらゆるプレッシャーが消え、アスタに怒りをぶつけることだけを動力に、魔の力を振るおうとしていた。

「……わかった。君がその気なら、少しだけ相手をしてあげよう」

 アスタは身構えた。自分とシーナの実力には、圧倒的な差があることを彼は自覚していた。〈ラディア〉の頂点に立つ魔法使いだからこそ、対面しただけで、相手の力量を測れるのだ。シーナがどれだけ怒っていようと、力量差はどうにもならない。ひとまず怒りが冷めるまで付き合ってあげて、もう一度、あらためて問えばいいのだ。私と君と、どちらが正しいのか、と……。

「来い。シーナ」

「絶対に、お前をぶっ飛ばしてやる……!」

「やってみろ」

 先に仕掛けたのはシーナだった。最も得意とする魔法——対象の傷を癒す、治癒の魔法をアスタに対して使った。

「……癒しの力?」

 殺意を持つほど怒っているシーナが、殺したい相手を魔法で回復させるなんておかしい。怒りで魔粒子の操作が不安定になり、誤って治癒魔法を使ってしまったのか。或いは、何か別の狙いがあるのか。

 アスタは治癒魔法が、対象に癒しを与えるものではなく、対象を傷つける目的で使われた場合の効果を脳内でシミュレーションした。そして、アスタは答えを見つけ出した。なるほど、そのような方法があるのか、と得意げに頷いた。

「なッ!?」

 シーナは魔粒子の操作を止めた。無駄だとわかったからだ。

「あ、アスタ……!」

だった。私でなければ終わっていたかもしれない」

 アスタは人差し指をクルクルと振った。シーナが飛ばした魔粒子をすべて一か所に集める。渦に巻き込まれる小魚のように一か所に集めて、閉じ込めて、

させた。

「治癒魔法は、本来、対象の傷を癒すために使われる。対象の怪我の具合や病気の種類などによって、魔粒子の量や質を変化させる必要がある」

 治癒魔法の使用は、薬の投与と似ていた。風邪をひいている者には風邪薬を、腹痛で苦しんでいる者には痛み止めの薬を与えるように、対象の怪我や病気の種類によって魔力で生み出す成分を変える。

「だが、健康な者に対して治癒効果のある魔粒子を大量に送り込むと、対象は過剰摂取で死に至る場合がある。君が放った魔粒子の集合体は非常に貪欲で、仲間同士、限界まで回復し合い、破裂していく。まるで、滅びゆく弱者たちの、最後の傷のなめ合いのようだな」

「くっ……!」

 シーナは舌打ちした。怒っているのは本当だ。決して、怒っているフリではない。だから、アスタが勘違いしてくれると思った。怒りに精神を支配されて、誤った魔法を唱えたのだと考え、反撃せず魔法を浴びてくれるだろう。

 その、考えが甘かった。シーナは治癒効果のある魔粒子をアスタの体内に大量に送り込み、過剰な摂取による精神崩壊を狙った。怒りで我を忘れているアピールと、攻撃魔法ではなく治癒魔法で警戒心を緩めるという二重のハッタリで、アスタとの戦いを一瞬で終わらせる気でいた。しかし、アスタはすぐ答えに辿り着き、魔粒子の流れを操作した。このままシーナが魔粒子を放ち続ければ、アスタが形成した渦の中で尽きるまで潰し合うだろう。

「怒っていても、頭は冷静だな。気が済むまで続けるといい。君が何をしても勝てないと知った時、私が再び、救いの手を差し伸べよう」

 アスタはひらひらと手を振って、シーナを挑発した。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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