第68話

文字数 4,418文字

 シーナは自分を殺す気だ。だが、そうやすやすとやられる、アスタ・バルザ・シェルベノムではない。シーナがどのような奇策を講じようと、〈魔力が減らない〉というアドバンテージがある限り、このゲームに負けは無いだろう。

 しかし、もし仮に、強さの源である〈王の目〉を潰されたら、無限の魔力だけでなく、視力まで失い、本気を出さざるを得ない状況になってしまう。そうなればアスタの圧勝は確実だが、同時に、シーナという大事な宝物まで失ってしまうことになる。


 ……シーナ。私はただ、昔のように、君と……。


 アスタは、魔法で作り出した防壁の中で、過去の記憶を読んだ。

 十数年前。アスタがまだ幼かった頃、父の古くからの知り合いだという、シンという男が城を訪ねてきた。シンには、ミーナという名の婚約者がおり、シンが父と仲が良いように、ミーナもアスタの母であるアナスタシアと交友関係を持っていた。

『子供が生まれたの。名前はシーナ。世界で一番可愛い、私の娘よ』

 ミーナがそう言って、抱えた赤子をアスタに見せた。シンとミーナが城に来たのは、子が生まれたことの報告が目的だった。

『そうですか』

 赤子を見た感想は、それだけだった。ミーナはシーナのことをとても幸せそうな目で見ていたし、誰に対しても不愛想なシンも、シーナを見る時だけ優しい表情を浮かべていた。父も、血筋とは関係の無い他人の子の誕生を、まるで自分のことのように喜んでいた。

 だが、アスタはシーナに対して、その時は、何も感じなかった。幼さゆえに、生命の誕生に対する価値観が理解できなかった、と大人は理由をつけるだろう。だが、実際のところ、アスタのその時の心情は、大人が導き出した答えとは違っていた。

 その時点のシーナは、アスタにとって関係の無い存在だった。簡単に言うと、どうでもいい。だから、アスタの心は冷たいままだったのだ。

 しかし数年後……。五歳になったシーナが、父母とともに再び城を訪れた際、アスタは、初めてシーナに対して興味を抱いた。赤子だった頃、ただの無防備な小さな塊だったシーナが、自分に匹敵する量の魔力を体内に溜め込んでいることに気づき、驚いた。

 たった数年で、これほどまで成長するものなのか。アスタはシーナが、他とは違う特別なものに思えた。

『初めまして。僕はアスタ。よかったら、僕と友達になろうよ』

 気がつくと、アスタは自分からシーナに握手を求めていた。シーナは『よろしく……』と少し恥ずかしそうに、手を握り返してくれた。その瞬間、アスタの胸の中は、シーナを自分のものにしたかのような高揚感で満ち、嬉しさで頬が緩んだ。

 アスタとシーナのやりとりを、傍にいた父や、シンやミーナは、口をポカンと開けて見つめていた。なんだその顔は、とアスタは三人を怪訝そうに眺めた。

 そして、あることに気がついた。三人の視線は、アスタとシーナの両方に向けられていたのではなく、アスタだけに向けられていたのだ。

『どうしたの?』

 アスタが訊くと、三人はハッとなって、視線を別の方へやった。その時はまったく気にしなかったが、大人になって思い返し、「そういうことか」と納得した。

 アスタが誰かに握手を求めたのは、シーナが初めてだった。これまで何度も、父と繋がりのある大人たちや、その子供たちと握手してきたが、自分から積極的に絡んで行ったのはシーナだけだった。父はアスタの意外な行動に驚き、ポカンとしていたのだ。

 シンとミーナの場合は、初めて笑っている姿を見たことが理由だろう。アスタにとってシンとミーナはどうでもいい存在だったし、話も興味が湧かない内容のものばかりだったので、恐らくは、そういうことだ。


 ……私にとって、シーナは特別な存在だ。私だけの、特別なもの——かけがえのない、宝物だ。


 初めて握手を交わした日から、アスタは積極的にシーナと会うようになった。父は、そんなアスタを『面倒見の良い息子』と褒めた。他にもいろいろ言われたが、記憶に残っているのはそれだけだ。

 ミーナも父と同じようにアスタを評価していたが、シンだけには、悪い意味で評価をつけられていたと思う。毎日家まで迎えに行き、シーナを外へ連れ出すアスタに対し、シンは毎度、面白くなさそうな目つきで睨んできた。簡単な挨拶は交わすけれども、個人的な話は一切無かった。アスタもアスタで、シンの気持ちなど知らぬ、理解できぬ、だったため、対応の悪さを一切気にせず、それよりもシーナのことばかりで頭の中をいっぱいにしていた。

 人生で一番楽しかったことは何か? そう訊かれたら、アスタは迷いなく、こう答える。

『シーナと過ごす時間』

 シーナはアスタが教える魔法をいともたやすく習得していった。魔力の許容量が尋常ではなかったため、非常に教えがいがあった。覚えた魔法の威力を理解させるために、アスタが捕らえたモンスターを実験台に使い、シーナも文句一つ無く、素直に実行してくれた。

 鍛えれば鍛えるほど、シーナの力は増していき、同時に、輝きも増していった。

 アスタにとってシーナは大事な宝物だ。丹念に磨き、真の理想とする形に成るまで、アスタは絶対に、シーナを誰の手にも渡したくなかった。

『私、もうモンスターを殺したくない。モンスターが可哀想だもん……』

 ある日、シーナがそんなことを口にした。その瞬間、アスタは生まれて初めて、身体中が沸騰するような感覚をもった。

 そして、アスタはシーナの首を両手で絞めた。

『今のセリフはどこから出た? 首か? だったらいらない! 宝物に付着した汚れは削り落とす!』

 シーナの身体が小刻みに痙攣し始めたのを見て、アスタは慌てて手を引っ込めた。

『ご、ごめん! 違うんだ! 僕はシーナを取り戻したかっただけなんだ!』

 ぐったりとして動かなくなったシーナに、アスタは必死で謝った。シーナが、自分の傍を離れて、どこか知らない場所に行ってしまうような恐怖でいっぱいになり、アスタは震えた。涙を流したのも、その時が初めてだった。

 なんとか目を覚まさせようとアスタがシーナを揺さぶっていると、そこへ、腹を空かせた一匹のモンスター現れた。巨大な蜘蛛の姿をしたその化け物を、アスタは魔法で排除しようとしたが、最悪なことに、そいつは魔法攻撃に耐性を持っていた。

 今の自分では勝てない。そう判断し、アスタはシーナを抱えて逃げようとしたが、蜘蛛が口から放った糸に拘束され、身動きがとれなくなってしまった。

『シーナだけは……! シーナだけは食べないでくださいッ! 僕の大事な、宝物なんですッ!』

 アスタは必死に懇願したが、蜘蛛に人の言葉は通じなかった。動きを封じたアスタを放置して、蜘蛛はシーナを狙ってのそのそと歩く。『やめろッ!』とアスタが叫んだ瞬間、誰かがシーナの上に覆いかぶさった。

 それは、シーナの母親のミーナだった。アスタは家を出る直前、シンとミーナに行き先を聞かれた際、『少しレベルの高いモンスターがいる場所』と答えていたのを思い出した。

 恐らく、ミーナはシンに頼まれたか、或いは自分で決めたのか、とにかく、アスタとシーナを心配して、後を追って来たのだ。

 アスタは、ミーナの力が、自分よりも弱いことを感覚で見抜いていた。だから、ミーナが来たところで、蜘蛛の化け物を排除できるわけがないと思った。そして案の定、ミーナは蜘蛛の餌食となった。

 蜘蛛の餌が、シーナからミーナに移ったことで、隙が生まれた。アスタは傍に生えていた木のささくれに身体を擦りつけ、なんとか糸の拘束から脱出し、シーナを背負って逃げた。しばらく走ったら、生きたまま蜘蛛に食われるミーナの悲鳴が聞こえなくなった。

『ミーナさんは、僕とシーナを守るために蜘蛛の化け物と戦い、命を落としました』

 シーナを家へと送り届け、シンにそう報告し、アスタは逃げるように城へ帰った。

 その夜。アスタはなかなか寝付けなかった。目を閉じると、苦痛に歪んだミーナの顔や、肉を引き千切る蜘蛛の姿が浮かんでくるせいだ。

『……ごめんなさい』

 アスタは涙を流しながら、何度もそう呟いた。自分にとって大事なのはシーナだけだった。けれど、あの場にミーナがいなければ、シーナだけでなく、自分も蜘蛛の餌になっていた。

 自分がもっと強ければ、あの蜘蛛を殺せたのに……。

 アスタは、自分の弱さを嘆き、そしてもう一つ、別の想いで心を痛めていた。

 あの時が最初で最後だった。大事なものを守るためにミーナを犠牲にしたこと——罪悪感に圧し潰されそうになったのは……。

 アスタはそっと城を抜け出し、王都〈フレア〉から近場の森へ入った。闇夜に目を光らせるモンスターたちが、アスタを餌と判断して次々と襲いかかってきた。アスタは寝間着姿のまま暴れ回り、目についたモンスターを一匹残らず魔法で殺した。

『このッ……! 醜くッ! 野蛮でッ! 愚かな生き物共めッ! 死ねッ、死んでしまえッ! この世界から一匹残らず消えて無くなれッ!』

 日が昇った。アスタはモンスターの返り血でぐっしょり濡れた身体を引きずり、城へ帰宅した。
 
 父に何か言われたが、無視した。

 着替えを済ませ、いつも通り、シーナの家へ行くと、シンに殴られた。

『二度と来るなッ! 二度と、俺の娘に近づくなッ!』

 ミーナを殺したのはお前だ。アスタはそう言われたような気がした。

 アスタを怒鳴るシンの後ろから、シーナがそっと顔を出した。

『アスタが、お母さんを殺したの……?』

 違う。殺したのはモンスターだ。

 そう答えると、シーナは泣いた。

『嘘つき……! アスタは、強い魔法使いじゃなかったの!? どうしてお母さんを守ってくれなかったの!?』

『ミーナの死は、仕方がないことだ! しかし、その原因を作ったのはお前だ、アスタッ!』

 アスタは何度も頭を殴られたような感覚に陥った。目の前が歪み、頭の中で様々な言葉が渦巻き、思考がまとまらなくなった。

『アスタなんか……! アスタなんか大嫌いだッ!』

『何やっているんだ、さっさと失せろッ!』

 シーナとシンの怒鳴り声を背に受けながら、アスタは走った。

 今回の件で、はっきりしたことがある。

 一つ、モンスターという生物は、人と同じ立場に置いてはいけない。奴らは家畜の如く、人という種の下に価値を置き、管理しなければいけない。

 一つ、シーナのために、強くなる。シーナを完全に自分のものにするためには、この世界の最も高い位置に行かなければならない。

 アスタは、自分の中にあった何かが壊れた音をきいた。それがなんだったのか、アスタ自身にもわからない。

 ただ、前よりも生物の死に対して、感情が動かなくなったことだけは確かだ。

 親友のミーナを失ったショックで精神的に弱り、父よりも先にこの世を去ったアナスタシアの葬儀の日。アスタは、『父も死ねば、王の枠が空くのに……』と冷徹な感想を呟いた。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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