第39話

文字数 4,560文字

 空に浮かんでいた星々が見えなくなる頃。俺とシーナ、アッシュは予め決めておいた集合場所で顔を合わせた。

 シーナはひどく眠そうな顔をしていて、何度も欠伸を漏らしていた。

 もしかしたら、俺たちのことが心配で、一睡もしていないのかもしれない。

 早く済ませて眠らせてあげたいと思った俺は、細かい内容を省いて、結果だけを伝えた。

「よかったね」

 シーナの感想はそれだけだった。

 ただ単に、眠くて頭がよく回っていないだけなのだが、自分がパーティーから抜けることをなんとも思っていないのか、と言いたげな表情で、アッシュはシーナを見つめていた。

「シーナ嬢を早くおねんねさせてあげたいから、さっさとやろう」

 子供扱いされても怒らないほど、シーナは眠いらしい。

 ふぁい、と気の抜けた返事をしていた。

 俺たちは王都〈ラディア〉から離れ、見つけた、花咲く原っぱでアッシュのお別れ会をすることにした。

「……えっと、色々ありがとな。楽しかったよ」

 照れ笑いを浮かべながら、アッシュは俺とシーナに礼を言った。

「日本に行っても元気でな」

 俺は砂藤から貰った転移アイテムを二つともアッシュに手渡した。

「二個も? なんで?」

「〈ラディア〉が恋しくなった時用だ」

 アッシュにとって〈ラディア〉は忌むべき場所であると同時に、故郷でもある。

 もしも日本が自分に合わなかった場合に備えて、俺は砂藤から転移アイテムを追加で貰ったのだ。

「たまには手紙書いてね~」

「いや、無理でしょ……」

 寝ぼけて言ったのか、真面目に言ったのか判別しにくいシーナの言葉に、アッシュは苦笑する。

「……おっと、忘れてた。転移する前に、それよこせ」

 俺はアッシュの腰に差してあるレイピアを抜き取った。

「日本では必要のないものだ。……ていうか、持っていたら逮捕される」

「逮捕?」

「警察には気をつけろよ」

「警察?」

 聞き慣れない言葉の連続に、アッシュは混乱する。

「なんか、よくわからねーなぁ……。やっぱり、ショウもアタシと一緒に、日本とやらに行った方がいいんじゃねえか?」

「そうしたいが、転移アイテムが一つしかないだろう。俺が使ったら、アッシュはもう二度と、〈ラディア〉には帰ってこれなくなるかもしれない」

「いいよ別に。アタシ、もう二度と〈ラディア〉に戻って来ないし」

「ダメだよ」

 俺が日本に行く、という話になった途端、シーナは覚醒。パッチリ目を開け、俺の腕に抱きついた。

 その様子を見て、アッシュは頭を搔いた。

「わかってるよ。シーナ嬢とショウは、相思相愛だもんな」

 喋りながら、アッシュは右手を俺とシーナの前に差し出した。

「そんじゃ、まぁ……。あんまり長く喋っていると寂しくなっちまうから、これで最後にしておこうか」

 別れの握手。それが済んだら、アッシュとは本当の意味でお別れだ。

 最初にシーナがその手を握った。アッシュの右手を、シーナは小さな両手で包み込んだ。

「アッシュの代わりに、お兄さんを幸せにするね」

「お、おう……」

 アッシュは引きつった笑みで応えた。

 シーナが離れ、次は俺の番だった。

 アッシュの手を、少し強く握った。

「じゃあな。相棒」

「……うん」

 微笑んだアッシュの顔には、寂しげな陰がかかっていた。

 俺だって寂しい。

 出会いは最悪だったけれども、今のアッシュは、ともに困難を乗り越えた仲間だ。

 アッシュがまともな家系の出だったなら、ずっと一緒にいたいと思える面白い奴だった。

「……?」

 アッシュがなかなか手を離さないので、俺は不思議に思った。

「どうした? 気が変わったのか?」

「違う……」

 アッシュは俺の手を掴んだまま、勢いよく腕を引いた。

 完全に油断していた俺は踏ん張ることができず、よろめいてアッシュの胸に飛び込んでしまった。

 シーナが「ちょっと!」と叫ぶ。

 アッシュは片腕で俺を強く抱き締め、もう片方の腕を高く掲げた。

「シーナ嬢、ごめん。やっぱり、ショウは渡したくない……」

 シーナが目を見開いた、と同時に、アッシュは転移アイテムを勢いよく足元に叩きつけた。

 ガラスが割れるような音の後、白い煙が発生。俺の視界が、白く染まった。

「…………」

 強い風が吹き、煙がかき消される。

 シーナの長い銀髪が風で煽られ、生き物のように揺れた。

「お兄、さん……?」

 花びらが舞い散る原っぱで、シーナは一人、何もない空中を見つめながら、呆然と立ち尽くした。





 夢から覚めたように、俺はハッとなった。

 ここは、どこだろう……?

 俺の視覚が、周囲にあるものを一つ一つ捉える。

 本棚と、そこに収まっている日本語でタイトルが書かれた本。重量のある机。その上に置かれた調理器具のレプリカ。置時計の液晶パネルには、【7:00】と表示されていた。

 くるりと振り返って、そこにいたアッシュと目が合った。

 アッシュも何が起こったのかわからない、といった表情を浮かべていた。

 彼女の後ろの壁に画鋲で取り付けられたカレンダーが目に入った。今日が何日なのかはわからないが、月は【6】で間違いない。
 
 ドク、ドク、と。俺の心音が高鳴っていく。

 
 ……ここは、日本だ。


 砂藤から貰った転移アイテムは不良品ではなかった。俺とアッシュはアイテムの効果で、砂藤の家の自室に転移したのだ。

 俺はもう一度、カレンダーに目をやった。

 今は六月。俺が転移したのは、確か、三月だった。あれから約三か月、異世界〈ラディア〉で生活していたのだと推理できる。

「ここが、ショウの住んでいた世界……」

 アッシュは「やったぁ!」と拳を振り上げた。

 この短時間で、アッシュは既に、切り替えを済ませてしまった様子だ。

 俺は、まだ頭の中がドロドロしていた。

 転移に成功した、ということだけはわかる。だが、何故、俺まで日本に来てしまったのか——そこが理解できなかった。

「アッシュ……。俺は、一体……」

 俺の呟きに、アッシュはニヤリと笑って答えた。

「シーナ嬢はいない。ショウは、アタシだけのものになったんだよ」

「何を、言っているんだ……?」

 アッシュが使った転移アイテムの力で俺まで日本に——いや、意図的に巻き込まれたのか?

 〈ラディア〉で見た、最後の景色がフラッシュバックする。

 アッシュは俺を抱きしめたまま、転移アイテムを使用した。

 あれは、俺を自分共々、日本へ転移させるための行動だったとしたら……。

「なんで、こんな……。どうして……」

 最後の最後で行われたアッシュの盗賊行為にショックを受けた俺は、その場にへたり込んだ。

「別に、いいじゃん」

 アッシュは俺や、一人取り残されたシーナの気持ちなど考えず、自分勝手に話を進めた。

「ショウの家に行こうよ! ほら、立って! 案内して!」

 自力で立ち上がれない俺を無理矢理立たせて、アッシュは手を引いた。

 握っていたアッシュのレイピアが、音をたてて床に落ちた。

 涙でぼやけた視界の中に、俺の名を叫びながら大泣きするシーナの幻が映った。





 三か月ぶりに帰って来た俺の店は、転移する前とほとんど変わらない状態のまま残っていた。

 鍵のかかっていないドアを開け、アッシュとともに中に入る。

「へぇ! これがショウの家か!」

 砂藤の家を出てから、アッシュはずっと興奮した犬みたいに落ち着きがなかった。

 俺は操り人形のように、アッシュの命令に従っていた。

 頭の中には、ずっとしこりが残っている。

 俺は、このままではいけない。俺にはまだ、やり残したことがある。

 自分が何をすべきかわかってはいるが、アッシュに裏切られたショックで実行できずにいた。

 新作のパン開発が行われたキッチンに入った瞬間、アッシュはあんぐりと口を開けた。

「……ヤバ」

 〈爆弾パン〉の爆発のせいだろうか。キッチンは半壊状態で、再利用できそうな器具は、計量スプーンなどの小型を除き、全て砕け散っていた。

「ショウ。ここで何をやったの?」

「パン作りだよ……」

 もうとっくにカエル男の変身は解けていたが、俺の声は変身時と同じくらい低かった。

 砂藤の家を出た時から暗い俺に、アッシュは、うんざりしたような口調で言った。

「マジで、いい加減に認めろって。ショウは自分の住む世界に帰って来たんだ。〈ラディア〉で一緒に旅をしていた時みたいに、元気にやっていこうぜ」

「……アッシュ。転移アイテムをよこせ」

 ここに来るまで、何度も言ったセリフだ。

 そのたびにアッシュは拒否したが、やはり、俺はこの展開に納得できない。

 最終的には力ずくで奪い取る気でいたが、相手は〈ラディア〉で一緒に旅をした相棒。実行に躊躇いが生じた。

 しかし、ここに来てようやく、腹が据わった。俺はアッシュと戦わなくてはいけない。

「ショウ。何をする気だ?」

 床に落ちていた、刃の欠けた包丁を拾う俺を見て、アッシュは睨むような顔つきになった。

「まさか、それでアタシを殺して、転移アイテムを奪い取ろうって思っているわけじゃあないよな?」

「だったら、なんだ」

 アッシュはしばらく俺を睨んでいたが、突然、舌打ちをして視線を斜め下に向けた。

「……なんでだよ」

 両の拳を握って、アッシュは肩を震わせる。

 何かを我慢しているような素振りに、俺は困惑した。

「アッシュ。どうした?」

「なんで、諦めないんだよ……。ここまでしても、ショウはアタシを……」

 アッシュが何を言いたいのかわからない。

 俺は構えていた包丁を下ろし、アッシュに一歩近づいた。

「なんだよ。どうしたんだ?」

「なぁ、ショウ……。アタシじゃあ、ダメなのか……?」

 こっちに向けられたアッシュの顔は、涙で濡れていた。

「ショウは、シーナ嬢じゃないと、ダメなのか……?」

「アッシュ……」

 俺は自分が、誰かに好かれるほど良い男とは思っていない。

 けれども、そんな俺を好きになってくれる人間がいることを〈ラディア〉で知った。

 シーナ、ヒュドラ……。そして、アッシュもその一人だったのだと、鈍感な俺は、今になってやっと気づいた。

「……ごめん」

 俺は包丁を床に落とし、

「俺は、お前のことが好きだ。けれども……」

「シーナ嬢は、もっと好きなんだろ……?」

 ずずーっと鼻をすするアッシュ。

 俺はアッシュと、二度と会えなくなる寂しさを堪えて言った。

「転移アイテムを渡してくれ」

 アッシュは数秒迷ったのち、懐から転移アイテムを取り出し、震える手の上にのせて俺の顔前に持ってきた。

 手を伸ばし、転移アイテムを受け取った瞬間、アッシュは子供のように号泣して、俺に抱きついた。

「嫌だッ! ショウと別れたくないッ!」

「……いや。もうお別れだ」

 俺はアッシュの手をすり抜け、距離をとった。

「俺の家……。俺はもう、使わないから、日本に慣れるまで好きに使ってくれよ。それと、最後に一つ、頼みがあるんだが……」

「なんだよ……?」

「盗賊は止めて、普通に生きろ」

「普通ってなんだよ……?」

「この国で暮らしていれば、そのうちわかる」

 アッシュは鼻をすすり、手の甲で溢れ出る涙を拭った。

「じゃあ、アタシからもお願いが……」

「なんだ?」

「ショウを連れ去ったこと……。シーナ嬢に『ごめん』って伝えて……」

「わかった」

 俺は転移アイテムを床に叩きつけた。

 モクモクと立ち昇る煙が、目元を赤くしたアッシュの姿を視界から消し去った。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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