第28話

文字数 3,758文字

「そういえば、シーナさん。私たちが入る予定の〈バスルーン湿原〉とは、どのような場所なのですか?」

 

の時とは打って変わって、落ち着いたいつもの口調で、シーナは話してくれた。

「〈バスルーン湿原〉は、〈バルジオ火山〉、〈セクト島〉と並ぶ、〈ラディア〉の〈三大危険区域〉の一つだよ。危険度で言ったら、今言った三つの中で一番下かな」

「一番危険な場所はどこですか?」

 行くことはないと思うが、興味本位で訊いてみた。

「一番危険なのは、間違いなく〈セクト島〉だよ。そこは、数ある〈危険区域〉の中で唯一、〈魔動機〉(〈危険区域〉に住むモンスターだけを一定の範囲から出られないようにする効果が付与されている、魔法使いが作った機械)が設置されていない島。……いや、

って言った方が正しいかもね。特賢級(一番レベルの高い冒険者証)を持つ冒険者でも、国王の許可が無ければ入ることができないほどの高レベルモンスターの巣窟で、しかも、そのトップに君臨している〈ミルマルカリネ〉は、国王と『理由無く、互いの領地に侵入してはいけない』って契約を結ぶほどの、強くて知能の高いモンスターなの」

「人とモンスターが契約!? じゃあその〈ミルマルカリネ〉ってモンスターは、人と同じように、モンスターだけの国を築いているってことですか!?」

「最強のモンスター、魔王〈ヴィオボロス〉と同等の力を持つと言われているよ」

「ぜ、絶対に出会いたくないですね……。ま、まぁ、そもそも私は入れませんけれど……」

「それを言ったら、ショウは〈バスルーン湿原〉にも入れないぜ」

 アッシュが会話に参加してくる。

 こちらも、いつもと変わらない調子だ。

「まぁ、そうだけれど……。バレなきゃ大丈夫だろ?」

「マジで言ってる? ショウも大分、この世界に慣れてきたんじゃあないか?」

「お前の影響かもな」

 あはは、と笑う俺とアッシュ。

 仲良さげな雰囲気が気に入らなかったのか、シーナはわざとらしく咳をした。

「で、〈バスルーン湿原〉だけれど、歩行者用に長橋が設けられているから、そこを通れば比較的安全だよ」

 地形の問題だろうか。どうやら、〈バスルーン湿原〉は土地と土地の境目に存在しているらしい。

 絶対に通らないといけない場所だから、一般人でも通れるように橋を架けているみたいだ。

「長橋を通るのなら、冒険者証が無くてもいいけれど、それ以外の土地は全部、一級以上の資格が無いと入れない。でも、アタシたちは長橋を通ることはできない」

「……なんで?」

 俺とシーナの声がダブった。

 アッシュは申し訳なさそうに説明した。

「長橋の警備を務めているのは集会場の常連——つまり、金目的の奴が多いんだよ。アタシが賞金首だとバレたら、ソッコーで狙われる危険性がある。だから、長橋を通らずに、湿原を横断するルートを選んでほしいんだけれど……」

 俺はシーナと顔を見合わせた。

「アッシュに残ってもらうか、三人で〈危険区域〉を横断するか。シーナさんに決めてもらいたいです」

 危険な土地を通るためには、ボディーガードのシーナがいないといけない。

 シーナが拒否したら、アッシュには悪いが、一時的にパーティーから抜けてもらうしかなさそうだ。

「う~ん……。お父さんがね、〈バスルーン湿原〉には入るなって私に言った。でも、バレなきゃ大丈夫だよ」

 アッシュは楽しそうに笑った。

「もしかして、シーナ嬢もアタシの影響受けちゃった?」

「違うよ」

 違うんかい、とアッシュの笑顔が引き笑いになった。

「私は、フォルに勝った。みんなの助けがあったから成し遂げられた勝利だったけれども、今の私は、間違いなく前よりも強くなっている。だから、お父さんが警告するほどの〈バスルーン湿原〉で、私の今の実力がどのくらい通用するか、試してみたいの」

 要するに、腕試し目的で入りたい、ということらしい。

 シーナが乗り気なら、アッシュを置いて行く必要はないだろう。

 〈バスルーン湿原〉の横断は確定した。

 ……が、あと一つ。大事なものが足りない。

 シーナはシンに止められていたみたいだから、〈バスルーン湿原〉の横断は今回が初めてということになる。
 
 アッシュは、近づいたことすらなさそうだ。

 となると、誰が道案内を担当するのか。

 ナビゲーターの存在が一番重要なのに、いないのはかなり厳しい。

 こんな時に、

がいてくれたら心強いのだが、フォルとの一件以降、姿が見えなくなってしまった。

 

は今、どこで何をしているのだろうか……。

「おっ! いたいた! やっと見つけたぜ!」

 正面からピョンピョン跳ねながらこっちに近づいてくる黒いスライムを見て、俺は安堵の息を吐いた。

「……よかった。これで迷わずに済む」

「あっ。ヒュドラだ」

「ようチビスライム。随分と遅い登場だな」

 〈危険区域〉を散歩場にする不死身のスライム。彼がナビゲーターになってくれたら、〈バスルーン湿原〉の横断が成功する未来が見える。

「ナイスタイミングですよ、ヒュドラさん。また、私たちに力を貸してもらえないでしょうか」

「その前に、お前らに訊きたいことがあるぜ!」

 ヒュドラから質問とは珍しい。

 俺とシーナとアッシュは同時に頷き、

「この中で〈バスルーン湿原〉を通ったことあるやついるか!? 橋を渡らず、湿原を突っ切るんだぜ!」

 同時に首を横に振った。

 するとヒュドラは、ガハガハと笑い、くるりと方向転換した。

「おい、ちょっと待て! どこに行こうってんだ、チビスライム!」

 アッシュが慌てて呼び止める。

 ヒュドラは半身になって、「じゃあ、止めとくんだぜ!」と叫んだ。

「止めとくって……。何か理由があるのですか?」

 俺が質問すると、ヒュドラは苦い表情になって、

「お前らが〈バスルーン湿原〉を通るってことは聞いたぜ。だから、俺様は先に行って、様子を見てきたんだぜ」

 即決即断のヒュドラにしては珍しい。

 下調べなどする必要が無いほど〈危険区域〉に詳しいと思っていたが、〈バスルーン湿原〉は違うのだろうか。

 いつもよりもテンション低めの声で、ヒュドラは続ける。

「今、湿原に住むモンスターの大半が繁殖期に入っているぜ。一番、モンスターが狂暴化している時期ってことだぜ。何度も通っている俺様一匹ならまだしも、通ったことの無いお前らも一緒となると……」

 そこまで喋って、ヒュドラは黙ってしまった。

 もしかしたら、ヒュドラは俺たちの身を心配しているのかもしれない。

 ヒュドラは〈バスルーン湿原〉の横断に反対のようだが、俺とシーナ、アッシュの三人の中でそれは、既に確定している。

「わかりました。私たちだけで〈バスルーン湿原〉に入ります」

 俺の言葉に、ヒュドラは驚き、焦り、その感情を全身で表現した。

「や、やめとくんだぜ! 不死身じゃないお前らが入ったら、秒でモンスターの餌になるぜ!」

 グニングニンと伸縮を繰り返すヒュドラに、シーナは笑みを浮かべて言う。

「大丈夫。私がお兄さんとアッシュを守るから」

「ば、馬鹿だぜ! お前らみんな大馬鹿だぜ!」

「まぁ、シーナ嬢がいるから大丈夫だろ。フォルにも勝ったし、〈バスルーン湿原〉の横断だって余裕だよ」

「お前らは入ったことが無いから、そんなことが言えるんだぜ!」

 楽観的なシーナとアッシュに、ヒュドラは厳しい言葉をぶつける。

「俺様はなぁ! 何度も見ているんだぜ! 〈ラディア〉で名を広める魔法使いが! 格闘大会で優勝する実力を持つファイターが! 百人を超える冒険者のチームが! モンスターに襲われて、一人残らず生きたまま内臓を引きずり出される姿を、何度も見ているんだぜ! お前ら、〈バスルーン湿原〉を甘く見過ぎだぜ!」

 俺の身体に悪寒が走った。

 ヒュドラの言っていることが本当なら、俺が入るのは間違っていると断言できる。

 シーナ一人だったら、或いは、横断に成功するかもしれないが、俺とアッシュを守りながらとなると、危ない橋にもほどがある。

 俺は完全にビビッてしまったが、シーナは逆に、やる気を出してしまったようで、

「横断に成功したら、私が凄い魔法使いだってことを証明できるね」

「俺様がこんなに入るなって言っているのに入ろうとするなんて、やっぱり馬鹿だぜ! もう、どうなっても知らないんだぜ!」

 ヒュドラは憤慨し、逃げるようにその場から跳ね去ってしまった。

「……ヒュドラ、怒っちゃったかな」

 悲し気に、シーナが呟く。

「ほっとけほっとけ、あんなチビスライム。自分がザコだってことを自覚していないから、〈バスルーン湿原〉で痛い目を見るんだよ」

 アッシュが吐き捨てる。

 俺は、ヒュドラの言っていることが間違っているとは思えない。

 だが、シーナの実力を信じてみたいという想いもある。

 俺は少し迷った後、「行きましょう」と二人を促した。

「一応、ルールを付けておきましょう。たった一度でも〈バスルーン湿原〉の横断が困難と思ったら、すぐに回れ右して、来た道を戻る」

 シーナとアッシュは「わかった」と返事をした。

 ヒュドラの必死の説得で恐怖を植え付けられた俺は、頭の中であれこれ嫌な想像を生み出しながら歩いた。

 そして、太陽が傾きかけた頃。

 俺たちはついに、〈バスルーン湿原〉の入り口に到着した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み