第57話

文字数 4,041文字

「着いたぞ。ここが女王様の城だ」

 女の声で、俺は目的地に到着したことを知った。遠くから見た女王ミルマルカリネの城は、蟻塚に似た三角錐型の山だったが、近くだと、至る所に穴が開いた土の塊にしか見えなかった。天辺は雲を突き抜け伸びており、この島にあるものの中で、最も高い建造物ではないかと思った。女王も、自分の城に合った、とんでもないサイズのモンスターだと予想する。シーナと結託している以上、いきなり捕って食われることは無いだろうが、もしも怪獣並みのフィジカルを持つ昆虫と対面することになったら、恐ろしさと気色悪さで気絶するかもしれない。

「進め」

 女に背中を押された。どこをどう進めばいいのかわからなかった。城には入口らしきものが見当たらないうえ、あちこちに空いている穴はどれも同じサイズだった。標識も無いので、俺は、おつかい中に道に迷った子供みたいにソワソワした。

「何をやっているんだ。そこが入口だろうが」

 じれったくなって、女が先頭を行く。一緒に入った穴は、他と微妙に形が違っているのだろうが、或いは、どこかに目印でも刻まれていたのかもしれないが、初見の俺にはそれがわからなかった。女も女で説明などせず、機械みたいに進む。洞窟みたいな、デコボコした岩肌の通路は人間の俺には歩き辛かった。女の歩く速度は、平地の時と大差なかった。女はまったく気にしていないようだが、ここは湿度が高くて、サウナに入っているみたいに俺の肌からダラダラと汗が滲み出た。

「あの、ここ暑すぎません?」

 思わず口にしてしまった。上半身に糸を巻かれているせいで、手で汗を拭うことができないのはストレスだった。

「数万匹という、膨大な数のモンスターが暮らしている。身分の低い我々のような兵にも住家を与えてくださる女王様の懐の深さには感謝してもし切れない」

 ほとんどミルマルカリネの話だったが、ここが暑いのは密度が理由なのだと、なんとなく察した。一応、呼吸のために空気の通りはよくしてあるのか、前から後ろから、何種類もの臭いを入り交ぜた風が吹いてくる。幼い頃、家で飼っていたカブトムシのケージ内に充満していた土埃みたいな臭いがして、少し懐かしい気持ちになった。

 通路が急に斜面になって、横幅が狭まった。所々に点在する、全長三十センチほどのホタルに似た生き物が尻から光を放っているため、どこを歩けばいいのか見えはするが、上がったり下がったり曲がったりと構造が複雑になっているので、移動は楽じゃあなかった。

「あの、光るモンスター? みんな、通路を明るくするためだけにああやっているんですか?」

「ピカピカか。尻を光らせる以外に能の無いモンスターだ。それ以外に何もできないから、



 説明はそれで終わった。ピカピカという名のモンスターも、この女と同様、自分のことを使い捨ての道具だと認めて生きているのだろうか。虫型モンスターたちに直接言えないが、正直俺は、

だと思った。

「シーナは人間共のために女王様が用意してくださった居住区にいる」

 この城は一つの街なのだ。食事場やショップなども、全部詰め込まれているのだと思う。

「ゼェ、ゼェ……。あ、あとどのくらいですか……?」

 体感で二十分は歩かされた俺は、脱水症状になる寸前にまで絞られていた。

「もう着く」

 女のその言葉に、安堵の息を吐く。

 しかし、女が言った人間専用の居住区とやらに着くまで、もう二十分は歩かされた。

「着いたぞ」

 人工的な明かりで照らされた広間に入った瞬間、俺は音をたてて床に倒れた。人らしきものの気配がするが、喉の渇きと長時間のでこぼこ道移動で張った足の痛みで、周囲を見渡す余裕がなかった。

「貧弱、軟弱、根性無し。笑えないほど、だらしない。これだから人間は嫌いなんだ」

 血も涙もないことを吐き捨て、女はキャリーバッグを運ぶみたいに、俺の両足を掴んで引き摺った。俺が通ったあとには、ナメクジが這ったような汗の道ができていた。しばらく引き回されて、ブンと放り投げられたそこは、ここへ来るまでに歩いた通路並みに薄暗い個室だった。

「……誰?」

 個室に誰かいる。その人物以外に誰もいないらしく、一人分の声しか聞こえなかった。

「この人間は、お前の知り合いだと言っている。確認してくれ」

 小さな布擦れ音。サンダルが床に当たるペタペタ音。朦朧とする視界の中に人らしき影が映り込む。

「……お兄さん」

 かすれた声で影が呟く。瞬間、俺の脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。長い銀髪を揺らしながら、小さな手で俺の手を握って歩く。歳は十代前半か、しかし、口調は大人びていて、非常にクールだ。『お兄さん』と俺を呼び、半身になってこっちを見る。

 俺は、眠りから覚めたような気分のまま、傍にいる人物に目を向けた。そこにいたのは、さきほど見た——恐らくは幻覚の類だったに違いない、銀髪の少女に似た一人の女性だった。バスローブのような衣を纏い、寝不足のような垂れ目で俺を見下ろしている。

「お兄さん、なの……?」

 俺が知っている少女に似ているが、声は少しハスキーだ。でも、この女性が、俺が知っている少女の成長した姿なのだと、雰囲気だけで確信した。

 ブチッ、と音がして、俺の身体を縛っていた糸が解けた。多分、女が剣か爪か、とりあえず尖った何かで切り裂いてくれたのだろう。

 俺はゆっくりと立ち上がり、両腕で顔の汗を拭いた。そして、俺の目線の高さにまで成長した、記憶の中では少女だった女性を見た。

「シーナ、さん……?」

 少女の名前はシーナ。シーナだ。女性の名前もシーナ。同じはずだ。

「本当に……。本当に、お兄さんなの……?」

 女性は今にも泣きそうな顔になって、確認するように訊いた。

 俺は頷き、フッと微笑む。

「やっと、再会できましたね……。シーナさん……」

「近づくな変態ッ!」

 腹に衝撃が走り、俺は背中を個室の壁に強打した。一瞬、何が起こったのかわからなかった。てっきり、俺をここに連れて来た女がまた乱暴したのかと思ったが、そうではないらしい。女性が——シーナが俺を蹴ったのだ。わけがわからず、俺は痛みを忘れて呆然とした。

「シーナ。この人間は知り合いでもなんでもないのか」

「そんな変態知らないッ!」

 女の昆虫の目が俺を睨む。確かに、ほぼ全裸に近い変態スタイルではあるが、他人の関係ではないだろう。

「シーナさん。私のこと、忘れてしまったのですか……?」

「忘れ……! 忘れるわけがない……!」

 シーナは両手で自分の頭を掻きむしった。ひどい頭痛で苦しんでいるようなその様子に、女はどう反応していいのかわからず固まってしまった。

「お兄さんは……! お兄さんは死んだんだ……!」

 髪を引き千切る勢いで引っ張るシーナ。彼女は精神がおかしくなってしまったのか。俺のことを覚えてはいるみたいだが、思い出したくないように「お兄さんは死んだッ!」と連呼する。

 シーナの中では、俺は死んだ人間として数えられているのだろうか。確かに、死んだと間違われても仕方がないほど、彼女の傍から離れてしまった。

「お、俺は……」

 十年。十年もシーナを放置した。謝っても許されないレベルの放置期間だ。

 それでも、俺の言葉は届かなくても、これだけは伝えなくてはいけない。

 それは俺のためではなく、俺のことを思い出してもらうためではなく、仲間との約束を果たすためだ。

「シーナさん。ここにはいない、仲間から伝言を預かっています。アッシュが『ごめん』と、私を連れ去ったこと、シーナさんに謝っていました……」

 半狂乱のシーナの動きがピタリと止まった。だらりと垂らした手の隙間から、引き抜かれた長い銀髪がパラリと数本床に落ちた。

「アッシュは私が住んでいた世界で生きる決断をしました。しかし、私は違います。私は、シーナさんの住む世界で、シーナさんとずっと一緒に……。死ぬまで一緒にいると決めました」

 シーナの顔が俺に向けられた。暴れた後の前髪の隙間から、シーナの大きな瞳が覗く。俺をちゃんと見ている、今なら自分の気持ちを伝えられる気がした。

「今更、こんなこと言うのが遅すぎるということはわかっています。それでも、謝らせてください」

 俺は深々と頭を下げた。

「ずっと、寂しい想いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」

 数十秒の沈黙の後、シーナの細い指が、俺の頬に当たった。シーナはそこにあるものが幻ではなく、現実に存在していることを確かめるように、両手で俺の頬を撫でまわした。

「ほ、本当に……。本当に……!」

 肩にかけられたシーナの両手が震えた。俺はそっと腕を伸ばし、シーナの身体を優しく抱きしめた。俺の身体が火照っているせいか、シーナの体温がひどく冷たく感じられた。

「お兄、さん……」

 シーナは俺の背中に両腕を回し、くすぐったくなる柔らかさで指を動かした。汗でべたついた肌で申し訳ない、と思いながら、俺はシーナの気が済むまで自身に触れさせてあげることにした。

「……くだらん。私は見張りに戻るぞ」

 俺たちのやりとりが見るに堪えられなかったのか、女は溜息交じりにそう言うと、踵を返して個室を出て行った。

 二人きりになるのを待っていたのか——わからないが、シーナは俺から僅かに身体を離し、言った。

「お兄さん。私との約束、まだ覚えている?」

「忘れるわけがありません」

 シーナは涙を滲ませた目で、俺を真っ直ぐ見つめた。俺が嘘をついていないことは、態度でわかっただろう。

「私、二十歳になったよ」

「おめでとうございます」

「大人の女性になった」

「あっという間でしたね」

「お兄さんの住んでいた世界で、結婚できる年齢だね」

「誰と結婚するんですか?」

「勿論、好きな人とだよ」

「シーナさんの好きな人って誰ですか?」

「お兄さんは?」

「シーナさんに決まっているじゃあないですか」

「私も、お兄さんがいい……」

 両腕を首に回し、同じタイミングで両目を閉じ、俺とシーナは唇を合わせた。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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