第58話

文字数 3,768文字

「お楽しみ中、失礼する」

 さっき部屋を出て行ったはずの女が戻ってきた。

「うおぉっ!?」

 熱い抱擁を交わしていた俺とシーナは、慌てて互いに距離をとった。

「な、何っ!? 入る前に声をかけてほしいんだけれど!」

 十年前は他人の目を気にすることなく大胆な行動や発言をしていたシーナが、顔を赤らめてあたふたしていた。シーナは見た目だけでなく、心も成熟した女性に変わってしまったようで、幼かったシーナはもういないのだと、俺は改めて感じた。

「まったく、何をしているんだか……」

 女はくだらないものを見るような目を俺とシーナに向けながら、小さく手招きした。

「女王様が呼んでいるぞ」

 女王、ミルマルカリネの呼び出し。女はそのことを伝えるために、ここへ来たらしい。

 あまり良い予感はしないが、女王の城の中で、女王の呼び出しを無視することは反逆に扱われる恐れがあるので、俺は行くことにした。

 女に、女王のいる部屋までの道案内を頼もうと近づいた。その瞬間、俺はシーナに肩を掴まれた。俺が何か言う前にシーナは、「着替えが先」と服の詰まった袋を押しつけてきた。

 確かに、身体に葉っぱを巻いただけの、この変態スタイルで女王の前に立つのは失礼すぎる。

 俺は部屋の隅に行って着替えを始めた。シーナから渡されたものは、昆虫の甲殻を縫い合わせて作られた軽装だった。首から上以外、伸縮性のある真っ黒いタイツに覆われ、その上に、昆虫素材の鎧を装着した。人体のあちこちにある急所を守るために付けられた甲殻は鉄のように硬いのに、段ボール程度の重さしかないのは不思議だった。

 着替えシーンをシーナにガン見されているのが恥ずかしくて、俺は適当な話題を口にした。

「そ、そういえば……。女王って、どんなモンスターなのですか?」

「変な奴」

 結構、舐めた評価だった。しかし、答える声は女に聞こえないほど小声だったので、告げ口されて怒らせたくない相手であることは確かなようだ。

「シーナさんは女王と同盟を結んでいるんでしたっけ?」

「そうそう。ミルもアスタを嫌っているからね」

 ミル、とはミルマルカリネの愛称だろうか。シーナはミルマルカリネと友達のような関係で接し合っているのかもしれない。

 モンスターとの共存を求めるシーナは、基本、どのモンスターにも優しい。十年前の旅で、極力モンスターを殺さないように行動していた彼女を覚えているから、理解力のあるモンスターならその優しさを察して、心を開くことが多いのかもしれない。

 着替えを終え、俺とシーナ、モンスター女は薄暗いトンネルのような道を上階へ向かって進んだ。相変わらず蒸し暑かったが、文句を言うと女に蹴り飛ばされそうな気がしたので我慢した。

 汗を流しながら歩き、辿り着いた場所は、この城の中心部だった。ここのフロアは全て、ミルマルカリネの自室として使われているらしく、床も壁も大理石のように滑らかで、周囲を飛び回るカラフルな見た目の虫型モンスターたちが発する光に照らされて、太陽下にいるみたいに明るく、暖かかった。

「キョロキョロするな。歩け」

 部屋の内装を眺めている俺の尻を女が蹴った。

「……は?」

 シーナの目つきが変わった。俺だけだったら、「すみません」の一言で終わっていただろう。しかし、今回は傍にシーナがいる。シーナは素手で女の昆虫質の硬い首を鷲掴みにし、持ち上げた。

「あんた、お兄さんに何してんの?」

「グッ!?」

 魔法を使っているのか、シーナの身体は鋼のような硬度を得ていた。女が手足でシーナを引っかいても、傷一つつかなかった。

「シーナさん、私は大丈夫です。その人……いや、モンスター? 解放してあげてください」

 俺は別に、女から死ぬほどの暴力を受けたわけではないし、そういう性格のモンスターだとわかっているから怒りも無い。

「お兄さんが、そう言うなら……」

 シーナは小さく鼻を鳴らし、女を床に投げ捨てた。

「く、クソッ! 戦争が終わったら覚悟しておけよ……!」

 ここにいるモンスターたちが味方なのは今だけなのだろう。

 アスタの後はお前らだ。女は、そう言いたげな暗い目をしていた。

「……ついて来い」

 さっきよりも大人しくなった女に案内されて、俺とシーナは、大小無数の輝くクリスタルが散りばめられた豪華な広間へと入った。

 広間の最奥に設置された玉座に鎮座する、女王ミルマルカリネが、俺とシーナが入ったタイミングで起き上がった。

 ミルマルカリネは、虹色に輝く蝶のような姿のモンスターだった。想像よりもサイズは小さく、全長は二メートルほど。まったく羽ばたかないのに、一切のブレなく空中に静止していた。

『お前が、シーナの想い人か』

 ハープのような、透き通った音色に似た女性の声が俺の脳内で鳴り響いた。多分、ミルマルカリネが俺に話しかけたのだろう。しかし、体のどこを見ても、口とおぼしき部分は無い。どうやって声を発しているのか考えていると、再び、脳内で女性の声が響いた。

『この声はお前の頭に直接飛ばしている。聞こえているなら返事しろ』

 俺は「聞こえています」と声に出した。どうやら、ミルマルカリネはカスタ王やアスタに近い能力を持っているようだ。思考や記憶を覗き見ることができるかわからないが、言葉を直接相手の頭に飛ばすことはできる。

『そうか。聞こえているか。……では、私は寝る』

「……は?」

 ゆっくりと玉座に寄りかかるミルマルカリネ。意味がわからず、俺はキョトンとした。

「あ、あの……。それだけですか?」

「おい貴様。女王様に文句でもあるのか」

 案内役の女が俺を睨む。シーナのことを恐れているのか、手は出してこなかった。

「い、いえ。文句は無いですが……」

「なら消えろ」

 しっし、と女が俺に手を振る。「はぁ……」と曖昧に頷き、俺は踵を返した。

「行こう。お兄さん」

 シーナに手を握られ、引っ張られた。ここからは、シーナが案内役になってくれるみたいだ。

「あの、シーナさん? 女王は何がしたかったのですか?」

「多分、自分の能力が通じるか知りたかったんじゃない?」

 シーナもよくわかっていない様子だった。

「それは、何のために?」

 たったそれだけのためにわざわざ呼び出すとは思えない。さすがに何か裏があると思うが……。

「ただそれだけ。ミルはアホなんだよ」

「えぇ……」

 何もない。そんなアホな。

 ミルマルカリネは、カスタ王やアスタが恐れる化け物とは思えない、変な奴だった。

 正直、見た目も強者感が無い。美しい体と声から気品は感じたが、俺がこれまで出会ってきた化け物たちに比べたら、大したことが無いように思える。

「ねえ、お兄さん。本当に強い奴って、どんな奴か知ってる?」

「い、いえ……。もしかして、女王のことですか?」

 シーナは頷く。俺がミルマルカリネを過小評価したことを、シーナは察していた。

「本当に強い奴ってのは、自分の強さを隠すのが上手なんだよ。ミルはアホで、普段はお婆ちゃんみたいにのんびりしているけれど、その気になれば



「えっ!?」

 シーナを疑いはしないが、それでは何故、女王は自ら動こうとしないのか。

「ミルも私と同じなの。すべての生物が、自由に生きられる世界が好きなんだ。旧国王のカスタ王は、ミルの平和的な思考を読み取り、モンスターのみが自由に暮らせる〈セクト島〉を与えたといわれている。ミルは現国王のアスタを恨んでいるけれど、戦えば、多くの命が失われてしまうことを考慮して、あえて後手に回っているの」

 アスタは、戦えば、ミルマルカリネに負ける可能性があることを危惧している。だから〈セクト島〉を放置しているのだ。

 それならば、このまま膠着状態のまま、〈セクト島〉で平和に暮らすことだってできたはずだ。それなのに、シーナや〈革命軍〉と同盟を結んだのはどうしてだろう。ただ単に、持ち前の懐の深さでもって人間の亡命を受け入れたのか。或いは、何か別の理由があるのか。

「私は、アスタから〈ラディア〉を奪い返すため、ミルと契約を結んだ。契約をしたおかげで、ミルが私の味方になってくれた」

「それは、どういった内容の契約なのですか?」

「…………」

 シーナは悲し気な目で俺を見た。

「それは、アスタから〈ラディア〉を奪い返した後、ミルを〈ラディア〉の王にする、という契約だよ」

 シーナは〈ラディア〉の王になる夢を持っていた。その夢を諦めなければいけないほど、切羽詰まった状況だということは、実際にこの目でこの世界を見た俺にもわかる。

「……そうですか」

 否定せず、肯定もせず。俺はただ、相槌を打つことしかできなかった。

「アスタとの戦いに勝っても負けても、私は、〈ラディア〉の王になれない……」

 戦いの後、新しく〈ラディア〉の王になるミルマルカリネを倒し、無理矢理、王の称号を手に入れる。そんな発想、優しいシーナの頭に浮かぶはずがない。アスタを倒すために手を組んだミルマルカリネを殺したら、それは最低な裏切り行為となるから。

「私は、シーナさんが生きていればそれでいいです」

「お兄さん……」

「この世界が、モンスターが主導権を握る世界に変わったとしても、私はもう二度と、シーナさんの傍を離れません」

 シーナは数秒してから、「うん」と小さく頷いた。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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