第41話

文字数 3,330文字

 目的地へ向かう道中で、バイルがこの辺の地理について簡単に説明してくれた。

 バイルの話では、俺たちが今いる場所は、〈ラディア〉の東南に位置する森林地帯らしい。

 生息するモンスターは弱く、〈ラディア〉の全土地の中で危険度は下。新米冒険者や、戦い慣れていない衛兵の訓練の場所としてよく使われていたそうだ。

 現在は

でモンスターが一匹も住んでおらず、かつて、隠れ家として使われていた巨木の穴や洞窟などは、人間たちの住居と化しているのだという。

「着いたぞ。あそこが俺の家だ」

 バイルとアイラが住家として使っていたのは、岩の壁にぽっかりと空いた大穴だった。

 入り口は一つしか無く、穴の奥は暗くて見えない。

 大穴の周囲には、手製の物干やハンモックなどが設置されていた。そこから十歩ほど離れた場所には野菜を栽培するための畑もある。微かに水の流れる音も聞こえるので、近くに川があるのかもしれない。

 普通に生活できそうな状態に整えられているが、台風や大雪の時、窓もドアも無い大穴での生活は厳しくなりそうだ。

「大したもてなしはできんが、くつろいでくれ」

「お邪魔します……」

 バイルが慣れた手つきで火を起こすと、大穴の中がオレンジ色の灯りで照らされた。

 大穴の中は、六畳ほどの広さがあった。壁沿いに戸棚が三台、並んで設置されており、乾燥した草や干し肉などが収まっていた。

 俺とバイルは石造りの暖炉をまたいで、向き合って地面に腰を下ろした。

「はい。お茶です」

 いつの間に淹れたのか。アイラが緑色の液体が注がれた木製のコップを俺に差し出した。

「あ、ありがとう……」

 受け取って、一口飲む。冷たい。そして苦みがまったくない、野菜のミックスジュースのような甘みのあるお茶だった。

「さて、何から話そうか……」

 バイルは頬杖をついて、視線を俺に向けた。

「お前は、今までどこにいたんだ?」

「私は、事情があって元居た世界に戻っていました」

「生まれ故郷が恋しくなったとか、そんな理由か?」

「まぁ、そんなところです」

 アッシュのことは隠すことにした。

 離れ離れになっても、約束は守りたい。アッシュがバイルの実姉だということは、秘密にしたまま話を進める。

「そうだったのか。

で、俺はてっきり、どこかで野垂れ死んだのだと……」

「えっ?」

 今、何かヤバいことをサラッと言われた気がする。

 俺は野菜ジュースっぽいお茶を一口飲み、それから、

「えっ?」

「いや、だから……。お前は十年も〈ラディア〉から姿を消していたんだ」

「十年って、本当ですか!?」

 驚いて身を乗り出した拍子に、お茶をこぼしそうになった。

 慌ててコップを持ち直し、とりあえず、深呼吸する。

 今の話が本当だとすると、バイルが中年の顔つきになっているのは、こっちの世界で十年の月日が経過したから。

 だが、俺はアッシュと日本に戻って、半日も経たずに〈ラディア〉へ戻って来た。

 俺とバイルの間で生じている時間の矛盾には、どのような理由があるのだろうか。

「お前がどのような方法で転移したのかわからないが、俺の話は全て事実だ」

 バイルは視線を右斜め下に向けた。

 そこに、失った自分の腕があるかのような、視線の向け方だった。

「……バイルさん。その腕のこと、訊いてもいいですか?」

「風を操って対象にダメージを与える、斬撃魔法を食らって切り落とされた」

 幼くして、強力な魔法を使いこなすシーナを一瞬で気絶させたバイルがこれだけの深手を負わせられるなんて、相手はとんでもない魔法の達人だったのだろう。

「……シーナさん」

 そうだ。シーナだ。

 俺が何よりも知りたい情報は、シーナの安否なのだ。

 いきなり話題を変えて申し訳ないが、俺はシーナのことを考えた瞬間、自分の口を止めることができなくなってしまった。

「あの、シーナさんは!? シーナ・アルシュファルレント・ディスパーダを覚えていますか!?」

「覚えている」

「今、どこで何をしているのですか!?」

「…………」

 唐突に、沈黙が流れた。

 俺は辛抱強く答えを待っていたが、バイルは口を開かない。

 視線を暖炉に向けたまま、無言を貫いている。

「あの、バイルさん?」

「……わからん」

 ようやく開いたバイルの口から出たのは、曖昧な回答。

「生きているのか、死んでいるのかわからない」

「な、何か一つでも、手がかりになるようなことは無いのですか!?」

 シーナに関する情報を一欠片でも欲しい俺は、急かすような口調でバイルに訊いた。

「無い」

「そんなぁ……」

「悪いな。本当に知らないのだ」

 バイルは左手で顎を撫で、

「だが、彼女の身内に関することで、一つだけはっきりしていることがある」

「なんですか?」

 俺はバイルに顔を近づけた。

 なんでもいい。シーナに関係するなら、どんな情報でも欲しい。

 バイルは俺と目を合わせず、辛い過去を思い出すかのような悲し気な表情を浮かべて、言った。

「シーナの父、シン・アルシュファルレント・ディスパーダはもう、この世にはいない」

 俺の思考が止まった。

 無意識のうちに口が開き、コップを握る手が震えた。

「本当の話だ」

 追い打ちをかけるように、バイルは続きを話す。

「俺はこの目ではっきり見たのだ。シンの頭が、アスタの放った魔法で無残に砕け散る様を……」

 俺は持っていたコップを地面に置き、魂が抜けたように呆けた。

 アスタ……。アスタって誰だ。どこの誰だか知らないが、そいつがシンを殺したのか。

 〈ラディア〉にいる魔法使いの中で、トップクラスの実力者だったシンが。

が、魔法の対決で負けたというのか。

 だが、勝負事に絶対という言葉は存在しない。シンだって、その日その時のコンディションによっては、負けることだってあるだろう。

 しかし、その代償はあまりにも大きすぎる。

 俺の頭の中に、シンとの会話のシーンがよみがえった。

 シンは、本当に良い男だった。初対面で、それも他世界から来た〈流れ者〉の俺に、親切に対応してくれた。シンから貰ったジャケット——戦いの中で失われたあのジャケットに、何度命を救われたことか。シンと出会わなかったら、シーナとも出会わなかった。俺の人生に大きく関わった人物の一人といっても過言ではない、あのシンがもう、この世にいないなんて……。俺は一つも、お返しを渡せていないのに……。

 ポロポロと、俺の目から大粒の涙がこぼれた。

 シンの死に、他人の俺が涙を流すのだ。実の娘のシーナは、俺以上に悲しんでいるに違いない。

 いつ父親を失ったのかわからない。だがもしも、俺が消えたすぐ後に起こった出来事だったとしたら——俺は、心を深く傷つけ悲しむシーナを、十年も放置してしまったことになる。

 俺が消え、アッシュが消え、シンも消えた世界で生きることが、シーナにとってどれほどの地獄なのか。想像するだけで胸が苦しくなってくる。


 ……今すぐシーナさんに会いたい。十年もほったらかしにしてしまったことを謝りたい。そしてもしも、シーナさんと再会できたなら、もう二度と離ればなれにならないと本人の前で誓いたい。


 居ても立っても居られなくなり、俺は涙を拭いて立ち上がった。

「おい、どこへ行く気だ?」

 いきなり立ち上がった俺を、バイルは怪訝そうに見た。

「行きます」

「いや、だからどこに?」

「シーナさんに会います」

「どこにいるのか知らないだろ。そもそもお前は、この世界の地理すらまともに知らない〈流れ者〉だ」

「関係ありません。行きます」

 俺はバイルに頭を下げた。

「話を聞かせてくれて、ありがとうございました。お茶……いや、ジュース? 美味しかったです」

「お、おい待て! 本気なのか!?」

 答える代わりに、俺はバイルに背を向けた。

 昔のバイルだったら秒で俺を止められていただろうが、今は無理だ。

 言い方は悪いが、松葉杖よりも俺の足の方が早い。

「待て、行くな! お前一人じゃあ無理だ! 俺みたいに、隠れて生活する方が安全だぞ!」

 バイルの声を背に受けながら、俺はひたすら前に進んだ。


 ……シーナさんと会う。絶対に会う。死んだら幽霊になって捜してやる。


 シーナを見つけ出す、という目的を胸に、俺の新たな旅が始まった。
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登場人物紹介

シーナ。本作のヒロインで、魔法使いの女の子。


モンスターと仲良く暮らせる世界を夢見ている。

アッシュ。マイペースな女性。


悪い奴ではない。

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