【7】-6
文字数 2,405文字
「どこをやられた!」
大声で呼びかけるが、意識が戻らない。見ると、服の左上半身がズタズタに破れて血に濡れ、左腕があらぬ方向に曲がっている。
「腕が折れてるし、左半身にかなりダメージを食らってる。悪いがガウス、少しの間、1人で踏ん張ってくれ。俺はこの子を後送する」
ガウスが頷くと、クリスは両手でダーナを慎重に抱え上げる。
ダーナは眉をしかめて呻いたが、目を開かない。
クリスはできる限りダーナの体を揺らさないようにしながら、船首方向に走り出す。
それを見たエルミンが、
「逃がさないよ!」と、バケットの陰から飛び出した。
ライデン砲の攻撃がザックたちに向けられたため、いったんファラデー・ケージを解いて援護に駆け付けようとしたマイクたちの耳に、ダーナのインカムを使った誰かの声が聞こえた。
「ダーナって子がマクスウェルの採掘マシンにやられた! 手当してくれないか。今ウォーターパークから船首方向に向かってる!」
「クリス!」
マイクがカーラと四葉を促す。
「ザックたちのことは私が何とかします。ダーナの救護に向かってください」
2人はメディカルバックを抱えて、船尾に向かって走り出した。
メインプールとウォーターパークの中間にある、屋内スポーツ施設への出入口付近でクリスと行き会った。
ダーナをいったん床に降ろさせ、カーラが傷の具合を素早くチェックする。
「左上腕、転位骨折。肋骨2本にも亀裂。屋内に移して処置しましょう」
バッグから簡易担架を取り出して3人で素早く組み立てる。
ダーナを担架に乗せた後、クリスが聞く。
「ザックたちの方の戦況は?」
「貨物船からのフランクリンの攻撃が苛烈。ファラデー・ケージでも防ぎきれません」
四葉がそう答えた時、再びフランクリンの砲撃が始まった。凄まじい電流が、ザックたちがいるレストランに撃ち出される。店の前のデッキに駆け付けたマイクが精いっぱいのケージを張るが、大電流を受けて光のカゴが歪み、またもレストランが煙を上げる。
クリスは、ガウスの方を振り返り、一瞬迷ったが、
「この子のことは頼んだ」
と言い残し、マイクの加勢に向かった。
一人残ったガウスは、タヒチアン風のプールサードバーに身を潜めて、先に飛び出していったエルミンをやり過ごした。
その後から、デッキを踏みしだく重い脚音が近づいてくるが、ガウスは動かない。マシンをやり過ごし、隙をついて背後から一撃を加えるつもりだった。
だが、バーの前に来たところで脚音が止む。そして、金属の関節がきしるぞっとする音が聴こえてきた。
何が起きようとしているか察したガウスがバーから飛び出す。
目の前に、バーに向かって高く掲げられた2本のアーム。その隣にオイラーとマクスウェル。ガウスめがけて必殺の一撃が振り下ろされた。
「“ガウス投影”!」
たちまち、蜘蛛とオイラーたちの写し絵がデッキに描きつけられる。
漆黒にギラつく鉄の爪は、ガウスの息がかかるほどの至近距離で、ぎりぎり静止していた。しかし、オイラーは今回も抜かりがなかった。
彫像と化したオイラーが口に添えた手の奥から、
「苦し紛れの時間稼ぎだな。またすぐにお目にかかろう。
偉能ロゴス“複素数回転”」
マシンやマクスウェルとともに、虚数空間に沈んでいく。
ガウスは覚悟を決め、インカムに怒鳴った。
「ザック、動けるか? この声が聞こえるなら、これから僕が言うとおりにしてくれ!
マクスウェルの採掘マシンが今、虚数空間にいるが、すぐに戻ってくる。さっき見たが、あなたは潮汐ロゴスが使えるんだろう? 僕が合図したら、このデッキを洗い流すぐらいの大波を左舷方向から起こしてくれ。
何トンもの海水をぶつければ、あの怪物を船から叩き出せるかもしれないし、少なくとも脚の半数ぐらいはもぎ取れる。シグノーラもダメージを受けるだろうが、船尾がSEPに食い込んでるから、転覆はしないはずだ。
奴らが出現したら、できる限り僕が足止めするから、その間にやってくれ!」
インカムにガウスをいさめるザックの声が返る。
「そんなことをしたら、君も無事では済まないぞ」
「承知の上だ。だけど、あのマシンを止めるにはそれしかないし、この方法なら犠牲を最小限に抑えることができる。僕1人の巻き添えで圧倒的に不利な戦局をひっくり返せるなら上出来だろう」
ガウスは皮肉な笑いを浮かべた。
しかし、その時、インカムにカーラの声が割り込んだ。
「それはダメです、ガウスさん」
カーラは四葉とともに、スポーツジムのフロアでダーナの手当をしていた。
「何がダメなんだ。カーラ、時間がない。邪魔しないでくれ」
ダーナに痛み止めを注射した後、折れた腕を副木で固定しながら、
「ガウスさん、あなたはご親友を交通事故で亡くされたそうですね。お悔やみします」
「それが今、何の関係がある!」
「世界では毎日3000人以上の方が交通事故の犠牲になっています。
でも、ご親友を事故で失った時、あなたは3000分の1の犠牲に過ぎない、と考えましたか?」
「それは——」
「亡くなった方たちには、皆その人だけの1度きりの人生がありました。それは、他の誰の人生とも取り換えることのできない唯一無二のものです。
この世に、
最小限の犠牲
なんてありません。自重してください、ガウスさん。必ず勝機は来ます」
「勝機はむしろ敵の方にあるだろう! このまま押し込まれたら、どうするんだ?」
「日本には、相手に敬意を表したり、許しを請う際の所作として“土下座”というものがあります。イザとなったら、みんなでそれをして命乞いしましょう」
「何をバカなことを!」
しかし、カーラは事もなげに言った。
「私、結構本気ですよ」
デッキの床が揺らぎ、ガウスの前に再び巨大蜘蛛が現れた。
「くそっ!」
ガウスは身をひるがえして走り出した。