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文字数 2,562文字
クルーズ参加者は3500人超。乗船手続きは昼過ぎから始まり、カテゴリー順に船に誘導していたが、まだ多くの客が残っていて、ターミナルはごった返していた。
埠頭には、乗船客のほかに見送りや豪華客船を撮影しに来た人たちも集まり、出航の時を待っている。
世界最大級の客船は、シアター、カジノ、スポーツ施設、スライダー付きのウォーターパークまで備え、巨大ホテルのような偉観をそびえ立たせていた。18階建て、高さ60メートル。間近で見上げていると首が痛くなりそうだ。
3人は1週間ほど前、シグノーラの日本1周クルーズにアカデミーが絡んでいるかもしれないという知らせを受け、急遽クルーズに参加することになった。
しかし、ザックとマイクは、シャングリラ島で敵に顔バレしているため、それぞれ変装した上、人前ではなるべく一緒に行動しないことに決めていた。
ターミナルでも、マイクとザックは少し離れた椅子に座り、目も合わせない。ザックの一つ後ろの席にいる、海鳥の絵をあしらったウインドブレーカー姿の小野が、スマホをいじるふりをしながら、小声で話しかける。
「今回連絡をくださった船医の浅井さんという方は、いつからRMAのメンバーに?」
「加入されたのは最近ですが、難波の西尾教授とは昔から懇意にしていたらしいですね」
そう答えたザックは、肩まであった髪を短くして黒く染め、髭剃りも止めて無精ひげを伸ばしている。
「前から船医の仕事を?」
「いや、以前は大きな病院に勤められていましたが、10年ほど前に事故で奥様を失くされたそうで。もともとご夫婦ともに船旅が好きだったので、それを機に船医に鞍替えされたと聞いてます」
3人のカテゴリーの乗船番号がアナウンスされ、マイクが先にチェックインの列に並ぶ。その大柄な体は、周りの客たちより頭一つ抜けていた。
トレードマークのもみあげを刈り込み、量の多いクリクリした髪を隠すため、頭には白いターバンとカウボーイハット。大きなサングラスをかけ、ゆったりした白シャツと白い七分丈パンツ、長めのサマーベストに身を包んでいる。
「それにしても、マイクさんは目立ちますねー。本人は海賊風の変装にしたかったみたいですけど、海賊がかぶる三角帽が売ってなくてカウボーイハットを購入し、バンダナを買いに行ったらサイズが小さすぎて、代わりにターバンにしたって言ってました。
あれで帽子とサングラスを外したら、巨大化したアリババみたいに見えますよ」
ザックは苦笑しながらも、
「アリババなら“開けゴマ”と唱えて、盗賊たちが隠している宝を見つけてくれるかもしれませんよ。ただし、そのあとアリババは盗賊に命を狙われるので、彼を助ける才女のモルジアナ役が必要ですけどね。
チェックインの列が動き始めました。そろそろ私たちも並びましょうか」
手続きを終えて船のタラップを上がっていくと、派手なダンス音楽が聞こえ、カラフルなライトに照らされたアウトサイドのデッキで、見送りの人にはしゃいで手を振る乗客たちの姿が見えた。
タラップから船内に入ると、3階にまたがる吹き抜けのメインエントランスが目の前に現れる。広々としたそのホールは、きらびやかなオブジェと照明で飾りたてられ、生演奏用のグランドピアノも置かれている。
2、3階のブランドショップエリアに上がる中央階段には、スワロフスキー・クリスタルが敷き詰められ、ゴージャスな船旅を象徴するように光り輝いていた。すでにテンションの上がった客たちが、後部のオープンデッキで間もなく始まる出航パーティに向かうため、足早にホールを通り過ぎて行く。
だが、その人の流れの中に杭を打ち込んだように、2人の男が立ち止まり、押し問答をしていた。1人は制服を着たバトラー、もう1人は70歳を超えたぐらいの白髪の老人。
「お客様、本当に困ります」
「わしはせがれが海に流されたと——、この船で何が起きたのか——ために高い金を払ってクルーズに参加したのだ。なぜわしの邪魔をするのだ? お前たちもグルなのか?」
「おかしなことをおっしゃらないでください。ご子息は事故で海に落ちたんじゃありません」
「じゃ、じゃあ、せがれが自分から——とでも言いたいのか!」
老人の声がしゃがれている上に、音楽がやかましくて途切れ途切れにしか聴き取れない。
バトラーが周りをはばかるように声をひそめて老人の耳元に囁くが、
「ああ、せがれが借金を抱えていたのは事実だが、返済——はついたと言っておった! 事件の夜、メールでわしに——たんだ。」
老人はお構いなしの大声だ。
「だが、せがれは別のことで怯えていた。夜中にデッキに——海中で揺らめく不気味な光を見たと言ってな」
「きっと何か見間違いをされたんでしょう」
「何を見間違えたというのだ? 2年前のオセアニアクルーズでこの船はフィリピン——。その途中で——海域を通ったろう? 本来通るべき航路ではないのにも関わらず」
「嵐を避けるため、と聞いています」
「そして、そこで嵐より恐ろしいものに出くわした。わしは元商社マンだ、そんな噂ぐらいは知っとる。“バクナワ”だ。この船——襲われて損傷したからだろう?」
「違います。老朽化対策のための改修をしただけです」
「嘘つけ! そいつは今もこの船をつけ狙っておるんだろ。——が、今度は沈められるぞ!」
「お客様方を不安にさせるようなことをおっしゃらないでください」
「他の客に聞かれたくなければ、わしを船長のところに——。1等航海士でもいい。直接——なくてはならんのだ!」
「ですから今は無理です。出航の準備中なんですよ!」
2人の押し問答を横目で見ながら、マイクが聞く。
「彼らは何を揉めとるんですか?」
隣を歩く小野が、日本語のやり取りの内容をかいつまんで話す。
「どうやらあの老人の息子さんが、以前に参加したクルーズの最中にいなくなったらしいですね。それはこの船が何とかいう怪物に襲われたせいで、その時に船も損傷したとかどうとか、とりとめのないことをしゃべってましたよ」
「ほお、それは剣呑だ」