【３】－９

　翌日10時前、シグノーラは土佐湾内の係船ブイに停泊中の貨物船を大きく迂回し、高知港に入っていく。浅井船医のご利益が底をつき始めたのか、その日は朝からどんよりと曇っていた。しかし、風がないせいで、蒸し暑さはかえって増している。

　客船ターミナルに着くと、上陸する客たちがタラップからどっと吐き出された。船腹の搬入口も開けられ、埠頭との間に掛け渡されたスロープから様々な物資が運び込まれていく。
　ザックたちは、船長の許可を得て、作業の邪魔にならないように搬入口から少し離れたところに立ち、搬送ラックや台車で次々に運ばれていく段ボール箱、プラスチックケース、布袋などの荷を眺めていた。

「箱や袋を開けて確かめるわけにもいかないので何とも言えんですが、今のところ怪しげな荷はないようですな」とマイクが言うと、小野が、
「紙袋の荷もありましたが、米と小麦粉でしたね」
　その言葉に、ザックが目を丸くする。
「ここから紙袋の文字が読めたんですか？」
「はい、視力はいい方なんで」
「素晴らしい。貨物庫を調べた時にもそれらしきものはなかったので、あまり期待はできませんが、もう少し粘ってみますか」
「やはり本命は瀬取りですかな。しかし、他の乗組員に気付かれずに運び入れることは不可能…」
　マイクが額に皺を寄せて考え込む。

　どうやら長丁場になりそうだ。小野はトイレに行きたくなり、一度船内に戻って用を足すことにした。
トイレから出て、乗客用のタラップを降りていった時、その脇の車椅子の通行などに使うスロープに目が行った。作業員風の男たちが、荷物の乗っていない特大の台車を押しながら、スロープを上ってくる。台車は２台。それぞれ2人ずつついている。

（搬入口だけでなく、ここから荷物を出し入れすることもあるのか）
　小野は、下船する客たちをタラップの下で見送っているクルーに話しかけた。
「ずいぶん大きな台車ですね。あれは何を運ぶためのものですか？」
　そのクルーは、小野が指したスロープを見て、
「ああ、キャプテンからの指示で、廃棄する食堂のテーブルや椅子を運び出すとかで。一応キャプテンに確認を取ろうと思ったんですが、トランシーバーの調子が悪くて連絡がつかなかったので、そのまま通しました」

　小野はスロープをゆっくりと上っていく男たちに目を凝らした。この距離からでも、男たちがうなじに大汗をかいているのが見える。
　小野はクルーに礼を言って、もう一度タラップを上り始めた。

　男たちはスロープを上がると、アウトサイドデッキを船尾に向かってのろのろと台車を押しだした。小野はこっそりその後をつける。
　男たちは台車とともに屋内に入り、通用口のドアを抜け、クルーエリアの通路を進んでいく。クルーの食堂とは真反対の方向だ。通路は次第に入り組み、照明も薄暗くなっていく。

　しばらくして、ようやく台車が停止する。男たちが腰を伸ばして汗を拭った後、小野の前に突然、目を疑う光景が現れた。
　小野はすぐにスマホを取り出し、操作音をオフにして電話する。


　小野はどこのトイレまで行ったんだろうと心配し始めたころ、ザックのスマホが鳴りだした。画面の発信者名を見て電話に出る。
「小野さんですか？　一体今どこに…」と言いかけるのを、押し殺した小野の声が遮る。
「聞いてください。怪しい男たちの後をつけてきたんですが、大変なことがわかりました。この前ザックさんから聞いた通り——うっ！」
　いきなり声が途切れ、通話が断ち切られた。

「もしもし、どうしました！」
　ザックがすぐに電話をかけ直すが、着信不能のアナウンスが流れるばかり。
「小野さんに何かあったようです。船に戻りましょう！」