【5】-3

文字数 2,522文字

 マクスウェルの予想通り、それからおよそ4、50分経った頃、クリスと坂本はマリンキャッスルまで迎えに来てもらった金鱗丸の舳先に立ち、先ほどの海面温度分布図に示された極度に水温の低い地点に向かっていた。

「本当にマクスウェルがいるんだろうか?」と坂本がクリスを見る。
「間違いないと思う。マクスウェル、そして多分エルミンもだ」
「で、海底で“塩”の採掘をしていると?」
「うん、悪魔の力で海水から熱エネルギーを奪って採掘機を動かしてる。それで水温が極端に下がってんだ。そして、採掘機が出す音や振動をエルミンが吸い取ってるってとこだな。
 海底から掘り出した“塩”をどうやって集めて、どこで荷詰めしてるのかわかんねーけど、この前長浜海岸で荷揚げしてた紙袋の中身は、その採掘現場から採ったもののはずだよ」
「だとしたら、俺たちだけで現場に乗り込むのは危険じゃないかな?」
「もちろん、奴らとやり合うつもりはないさ。2人相手じゃ分が悪いし、金鱗丸の親父さんを巻き込むわけにはいかない。調査ポイントまで近づいて、現場の状況を確認したら応援を呼びに戻る。

 海洋権益の保全は海上保安庁ってとこの管轄じゃないかと思うけど、RMAにツテがあれば、海底資源の違法採掘の取り締まりって名目で巡視艇を出してもらって、俺たちも乗船させてもらおう」


 長浜の海は真昼の墓地のように平穏だった。魚が消えた海には獲物を狙う海鳥の姿もなく、真上から照り付ける太陽がすべてのものを熱気の底に閉じ込めている。朝方吹いていた風も今は収まり、疾走する金鱗丸だけが白い航跡を海に刻んでいた。

 金鱗丸の舵を握る船長が、遠くに浮かぶ浦上島と長浜漁港を交互に見ながら、エンジンを切った。
 操舵室から顔を出して、片言英語でクリスに話しかける。
「あんたに言われた場所まであと500メートルってとこだ。ここでいいのかい?」
 クリスはうなずいて、
「ランディングネット貸してくれる?」

 船長が柄のついたタモ網を渡すと、クリスはレンタルした業務用水中ドローンを網の中に収めた。全長50センチぐらいの潜水艇のような流線形ボディの前面に、ライトとカメラがついている。
 クリスはタモの柄をつかんで持ち上げると、網に入れたドローンを船の上からゆっくりと海に下ろした。それからタブレットを取り出し、波間に浮かぶドローンを操作し始める。
 ドローンのスクリューが回り、船体が水中に沈んでいく。

 タブレットに映し出された海の中は、異様なほど澄んでいた。魚の姿はほとんど見当たらず、はるか先までくっきり見通せる。水深は20メートルほどで、海底にはごつごつした岩場が広がっている。

 低水温ポイントに向かって水中ドローンを進めていくと、やがて岩場の中に深い谷が現れた。谷は視界が効く範囲の先まで続いていて、次第に深く暗くなっていく。
 クリスはライトをオンにし、切り立った両側の崖にぶつけないように慎重にドローンを操縦する。と、谷間の海水に黒い濁りがわずかに混じり始めた。
 ドローンが進むにしたがって、濁りはタブレット画面に大きく広がり始め、数メートル先までしか見通せなくなる。クリスはドローンの速度を落とした。
 上下左右を確認しながら、ドローンをゆっくりと進めていくと、しばらくして谷の両側の崖が途切れた。その先は岩場の海底がさらに深く果てしなく落ち込んでいる。
 どうやら谷の出口に来たようだ。

 水の濁りはまったく消えていなかった。それどころか、今までは穏やかだった潮の流れが急に強くなり、濁り水をかき混ぜて視界を完全に遮っている。
 ここからはもう勘に頼るしかなかった。

 クリスは黒い水の中を2メートルほどドローンを前進させた後、左に旋回させていく。だが、渦を巻く濁流の中からなかなか抜け出せない。
 さらに左へ左へ。

 突如水の濁りが消え、視界が晴れた。

「うわっ、こんなものが…」
 タブレットを横から覗き込んでいた坂本が絶句する。

 ドローンのカメラがとらえたのは、海底を掘り返す巨大な採掘機だった。だが、その姿はパワーショベルなどとは似ても似つかない。
 それは、巨大な蜘蛛と重機とサイクロン掃除機を無理やり継ぎ合わせたようなグロテスクなマシンで、頭の先をもがれた蜘蛛の円盤状の胴体から、多関節アームが八方に出ている。アームのうちの4本は胴を支える脚、2本はショベルバケット、残りはドリルと3本の可動爪が装着されたアームが1本ずつ。

 胴体の下には6角形の管がハチの巣状にびっしり生え、アームが掘り取った土を吸い込んでいる。そして、クモの尻に当たる部分は、サイクロン掃除機のダストボックスのような円筒形のユニットになっていた。円筒の下半分は強化ガラスでできていて、吸い込んだ土が中で高速回転しているのが見える。
 土は遠心分離されて白い“塩”だけが中に残り、残りの黒土は円筒ユニットの後ろから海水とともに吐き出されていた。
 海底にはすでにいくつもの深い穴が開き、採掘マシンは蜘蛛の眼のように見える4つの投光部から赤いセンサーレーザーを照射しながら、今また、新しい穴を掘り返そうとしていた。

「今回のは自走式か。AI制御で一定程度、自律稼働してるみたいだけど、こいつに電力を供給してるのは…」
 クリスは採掘現場のさらに先の海上に浮かんでいる釣り船に目を送った。
 坂本がクリスの視線をたどって、
「あれにマクスウェルたちが乗ってるのか。近づいて確かめるかい?」

 だがクリスは首を振った。
「証拠映像も録画したし、ドローンを回収していったん引き上げよう」
 そう言って、水中ドローンを帰還させようとした時、猛烈な勢いで海底を掘っていた採掘マシンが突然動きを止めた。
 そして、円形の胴体を起こし、ドローンに向かって脚を踏み出そうする様子を搭載カメラがとらえた。
「マズい、気づかれたかも」
 クリスは急いでタブレットを操作するが、次の瞬間、鋼鉄の3本爪が画面いっぱいに迫り、映像が途切れた。

「こいつ、思った以上に動きが素早い。
 親父さん、船を回して——」
 クリスが操舵室に声をかけようと振り向いた時、とんでもないものが目に入った。

「おい噓だろ。なんで今、こんなところに…」

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登場人物紹介

RMA内部資料 偉能者簡易データベース 

[RMAサイド(50音順)]


カーラ(カール・グスタフ・ユング)♀  *心理学系偉能者 *国籍/アメリカ

   *偉能/偉能感知、アクティブ・イマジネーション、シンクロニシティ

ガリー(ガリレオ・ガリレイ)♂

   *力学系偉能者  *国籍/イタリア  *偉能/大気レンズ、慣性解除、慣性貫徹、透視望遠鏡

クリス(クリスティアン・アンドレアス・ドップラー)♂ *音響学系偉能者 *国籍/オーストリア

   *偉能/ドップラーシフト・レッド、ドップラーシフト・ブルー、超音波キャビテーション、

    低周波内部摩擦

ザック(アイザック・ニュートン)♂ *力学系偉能者 *国籍/イギリス 

   *偉能/万有引力反転、カウンター・リアクション

シバ(北里柴三郎 実名/奥寺四葉 北都大学3回生)♂ *微生物学系偉能者 *国籍/日本

  *偉能/抗血清速産

マイク(マイケル・ファラデー)♂ *電磁気学系偉能者 *国籍/イギリス

   *偉能/ファラデー・ケージ、ファラデー・ディスク

「アカデミーサイド(50音順)]


エルミン(ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ)♀ *音響学系偉能者 *国籍/中国?

      *偉能/ヘルムホルツ共鳴、ヘルムホルツ空洞、超音波キャビテーション

ハーシェル (フレデリック・ウイリアム・ハーシェル)♂ *熱力学系偉能者 *国籍/ドイツ?

        *偉能/コールド・サン

ハーバー(フリッツ・ハーバー)♂ *化学系偉能者 *国籍/ドイツ?

       *偉能/毒物合成

パスツール(ルイ・パスツール 実名/蓮見蒼司 北都大学准教授・休職中)♂

    *微生物学系偉能者 *国籍/日本

    *偉能/細菌変性

フランクリン(ベンジャミン・フランクリン)♂ *電磁気学系偉能者 *国籍/アメリカ

           *偉能/ライデン・ガン、遠隔電流伝達

マクスウェル(ジェームズ・クラーク・マクスウェル)♂

               *電磁気学系偉能者 *国籍/日本・イギリス

               *偉能/第2方程式、第4方程式、マクスウェルの悪魔

モンタルト(ブレーズ・パスカル)♂ *数学系偉能者? *国籍/フランス?

         *偉能/確率操作?

紫マントの男♂ *音響系学偉能者? 国籍/?

「RMA管理下・元偉能者」


烏天狗(実名/古峰玄珠)♂ *未分類偉能者 *国籍/日本

     *偉能/羽団扇、飛行能力

弓削道鏡(実名/鬼塚法真)♂ *未分類偉能者 *国籍/日本

       *偉能/式神“騰虵”、鬼相、瘴気

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