【4】-9

文字数 2,485文字

 重田は目を伏せたまま話し始めた。
「前に僕の2つ上の兄が大怪我をして入院したって話したよね。今から2年前のことだけど、妙現岳で火砕流が起きて、ふもとの小さな町が被災したのを覚えているかな?
 僕の実家がその町にあって、兄は地元の役場で働きながら、病で体が不自由になった父の面倒を見てくれていた。
 その父も少し前に亡くなって、兄は実家で1人で暮らしていたんだけど、お盆に僕が帰省した時に、火砕流に襲われたんだ。熱雲と大量の砕石が実家にも押し寄せて家を半壊させ、火も出た。

 兄は崩れた柱の下敷きになって、身動きできなくなった。僕も足を怪我したけど、何とか歩くことができたから、兄のところに行って柱の下から引っ張り出そうとした。でも、僕1人の力じゃどうにもできなかった。
 その間にもどんどん火が迫ってきて、臆病者の僕がパニックになりかけた時、兄が“俺のことはもういいから、お前は逃げろ”と言ったんだ。

 僕は、その言葉を渡りに船のようにして、“今助けを呼んでくるから待ってて”と兄に白々しく言ってのけた。今から助けを呼びに行っても間に合わないことを知りながらね。
 兄もそれをわかっていたから、“もし駄目でも、それは絶対にお前のせいじゃない。お前は俺の自慢の弟だ”って別れの言葉を僕にかけた。
 そして、僕はスタコラ逃げ出した。言っただろ、僕は逃げ足だけは早いんだって」
 そう言うと、重田はまるで泣き顔のように見える笑顔を浮かべた。

「そんなことない。あなたを責められる人なんて誰もいない!」
 四葉の気遣いにも重田は首を振るばかりだったが、そこで口調を改め、
「でもその時、本物のヒーローが現れた。それがマクスウェルだったんだ」
 皆、唖然として重田を見つめる。

「彼はその頃、妙現岳近辺で資源探査をしていて、ちょうど町に居合わせたんだ。僕が家から飛び出してきたのを見た彼は、“君だけか? 他に誰か残っていないか?”と声をかけてくれた。
 僕が兄のことを告げると、彼はすぐにロゴスを使って、道端に停まっていた無人の軽トラを発進させ、家に突っ込ませた。そして、兄にのしかかっていた柱に軽トラをぶつけて押しのけた。
 それから燃え盛る瓦礫の中に1人で飛び込み、炎と煙の中から兄を引っ張り出してくれたんだ。その時の火傷の痕がまだマクスウェルの腕に残ってるはずだよ。

 その間、何が起きているのかわからず立ちすくんでいた僕をマクスウェルが落ち着かせ、別の車を動かして2人で兄を病院に運び込んだんだ。
 でも、兄の火傷はひどくて意識も戻らず、合併症を起こして数日後に亡くなった」


 しばらくは誰も言葉が出なかったが、カーラが気を取り直して重田に尋ねた。
「その時の恩義からアカデミーに入ったんですか?」
「恩義だけじゃない。僕はマクスウェルという人間に心酔してる。彼は僕のヒーローなんだ」
 ガリーが腕組みを解いた。
「君の話はよくわかった。マクスウェルを信頼し、彼に協力したいと思う心情もね。
 でも、君がしたことがカーラをはじめ、RMAの仲間たちの命を危険にさらしたという事実は曲げられない。同行してもらうよ」
 ガリーが重田に向かって1歩踏み出すと、
「そういうわけにもいかないんだ」と言って、重田は再び後ずさりし始めた。

「それ以上後ろに下がると汚泥に落ちるぞ。我々は君を処罰しようとしてるわけじゃない」
「わかってる。でも、僕からアカデミーの話を聞き出すつもりでしょ? だから僕はあなたたちにつかまるわけにはいかない。
 アカデミーのことも、マクスウェルがやってるプロジェクトのことも、僕は知りすぎてるんだ。だって彼、てんで不用心で、気を許して僕に何でもしゃべちゃうもんだからさ」
 やんちゃな子供に手を焼く親のように、重田が肩をすくめて微笑む。そして後ろをちらりと振り返り、さらに下がり続ける。
 刺激臭を放つ死の沼まで、もう2メートルもない。

「止まるんだ!」
「止まってください!」
 四葉はガリー、カーラとともに必死に重田を説得しようとする。
「重田さんが話さなくても、アカデミーの企みはいずれわかることです。僕たちの目の前で自殺するなんて、そんなひどいことしないでくれ」

 重田は四葉から目をそらしたが、なおも足を止めず、
「本当にひどい人間でゴメンね、四葉君。僕のことは早く忘れてくれ」
 ついに死の沼の縁に立つ。

「忘れられるわけないでしょ! 頼む。頼むから——」
 重田はゆっくりと顔を上げ、正面を見据えた。
「今度こそ、僕はやるべきことをやる」
 そう宣告した重田の表情は、人間を超越したような近寄りがたいものだった。

 重田は、最後に四葉に目を移した。
「絵理朱さんが君の隣の家にいることはアカデミーには話してない。そして、これだけは君に教える。
 ハーバーは韓国に向かうクルーズ船に乗っている。四葉君、絵理朱さんを救ってあげてくれ」
 言い終えると、重田は目を閉じて、あおむけに倒れていった。

 その動きは、四葉の目にはスローモーションがかかったように緩やかに映った。だが、四葉が沼の縁に駆け付ける前に水音が上がり、重田の姿は汚泥の中に消えていた。
「シゲさんっ、上がってきてくれ!」
 四葉は無我夢中で縁から身を乗り出し、汚水に手を伸ばすが、
「落ちるぞ!」とガリーに襟首をつかまれ、引き戻される。

「ガリー、何とかしてくれっ!」
 だが、ガリーは悲痛な顔で首を振った。
「ここに落ちた者はもう助からないし、助けようとした者も道連れになるだけだ」

 泥水の底で何かに絡みつかれたのか、重田の体は浮かんでこない。褐色の水面に大量に湧き出た泡が、やがてまばらになり、静まっていく。
 頭を抱えてたたずむ四葉の背中に、カーラがそっと手を添えた。
 そこにガウスが近づき、言った。
「これが、安易に他人に心を許した愚者の末路だ」

「何だと!」
 ガウスに飛び掛かろうとする四葉にカーラとガリーがしがみつかなければ、殴っていたところだった。
「いつも人を見下してるあんたに、誰かを助けたくても助けられない無力な人間の何がわかるんだっ!」

 四葉の罵声が、工場に響き渡った。
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登場人物紹介

RMA内部資料 偉能者簡易データベース 

[RMAサイド(50音順)]


カーラ(カール・グスタフ・ユング)♀  *心理学系偉能者 *国籍/アメリカ

   *偉能/偉能感知、アクティブ・イマジネーション、シンクロニシティ

ガリー(ガリレオ・ガリレイ)♂

   *力学系偉能者  *国籍/イタリア  *偉能/大気レンズ、慣性解除、慣性貫徹、透視望遠鏡

クリス(クリスティアン・アンドレアス・ドップラー)♂ *音響学系偉能者 *国籍/オーストリア

   *偉能/ドップラーシフト・レッド、ドップラーシフト・ブルー、超音波キャビテーション、

    低周波内部摩擦

ザック(アイザック・ニュートン)♂ *力学系偉能者 *国籍/イギリス 

   *偉能/万有引力反転、カウンター・リアクション

シバ(北里柴三郎 実名/奥寺四葉 北都大学3回生)♂ *微生物学系偉能者 *国籍/日本

  *偉能/抗血清速産

マイク(マイケル・ファラデー)♂ *電磁気学系偉能者 *国籍/イギリス

   *偉能/ファラデー・ケージ、ファラデー・ディスク

「アカデミーサイド(50音順)]


エルミン(ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ)♀ *音響学系偉能者 *国籍/中国?

      *偉能/ヘルムホルツ共鳴、ヘルムホルツ空洞、超音波キャビテーション

ハーシェル (フレデリック・ウイリアム・ハーシェル)♂ *熱力学系偉能者 *国籍/ドイツ?

        *偉能/コールド・サン

ハーバー(フリッツ・ハーバー)♂ *化学系偉能者 *国籍/ドイツ?

       *偉能/毒物合成

パスツール(ルイ・パスツール 実名/蓮見蒼司 北都大学准教授・休職中)♂

    *微生物学系偉能者 *国籍/日本

    *偉能/細菌変性

フランクリン(ベンジャミン・フランクリン)♂ *電磁気学系偉能者 *国籍/アメリカ

           *偉能/ライデン・ガン、遠隔電流伝達

マクスウェル(ジェームズ・クラーク・マクスウェル)♂

               *電磁気学系偉能者 *国籍/日本・イギリス

               *偉能/第2方程式、第4方程式、マクスウェルの悪魔

モンタルト(ブレーズ・パスカル)♂ *数学系偉能者? *国籍/フランス?

         *偉能/確率操作?

紫マントの男♂ *音響系学偉能者? 国籍/?

「RMA管理下・元偉能者」


烏天狗(実名/古峰玄珠)♂ *未分類偉能者 *国籍/日本

     *偉能/羽団扇、飛行能力

弓削道鏡(実名/鬼塚法真)♂ *未分類偉能者 *国籍/日本

       *偉能/式神“騰虵”、鬼相、瘴気

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