【3】-18
文字数 2,376文字
シアターのドアは解放されていたが、中の照明は落とされていて、軽く千人以上収容できそうな広い客席は薄暗かった。非常口の誘導灯と蛍光の壁掛け時計だけが鈍い光を放っている。
ショーが始まるのはまだ先だったが、ステージの奥にはローマ時代の神殿の柱のような書割が薄ぼんやりと立っていた。じっと目を凝らしていると、柱の陰で何かがモゾモゾ動いているように見えだして、落ち着かない気分になる。
ザックは客席の中段ぐらいに座り、マイクが最後列の席に着く。
腕時計を見ると15時24分。まだ小田島の姿はない。だが、客席を見回しているうちに、マイクは最前列の並び席の背もたれから人の頭が2つのぞいているのに気付き、体をこわばらせた。
息を詰めて観察していると、2人は互いに髪を撫でたり、顔を寄せあったりしている。どうやら若いカップルが、人目を忍んでいちゃついているらしい。
15時30分ちょうど。前列のカップルが立ち上がり、ザックの方にゆっくりと近づいていく。マイクは再び体をこわばらせ、ジェラルミンバッグを開けてファラデー・ディスクに手をかける。
しかし、カップルはザックに軽く会釈しただけで、客席の横のドアから外に出ていった。その後は誰も姿を見せない。
マイクはじりじりしながら腕時計に目を落としたが、その途端、息を呑んだ。
我が目が信じられず、座席から立ち上がって壁掛け時計を凝視する。
2つの時計の針が指していたのは、いずれも16時14分!
「いきなり時計が30分進んだ。これはどういうことだ…」
頭を整理しきれないでいると、中列に座っていたザックから電話がかかってきた。
「今何時ですかっ?」
声が上ずっていた。
「16時14分。おかしいです。時間が30分飛んどります!」
マイクがそう伝えると、スマホが沈黙した。
ややあって、
「…おそらく時間が飛んだのではなく、何者かのロゴスで我々の時計やホールの時計が30分遅らされていたんだと思います。そして今、そのロゴスが解除され、時計の針が元に戻った。
小田島さんはその30分間、待ちぼうけを食わされていたことになります。早く彼を探しましょう!」
2人はすぐに浦瀬1等航海士に連絡し、小田島の居場所を確認しようとした。
電話に出た浦瀬は、
「小田島? 今ブリッジにはいませんが」
「ブリッジでなければ、どこにいらっしゃるでしょうか?」
「さあ、貨物室のチェックかミーティングルームか」
と答えた後、浦瀬の声が警戒の色を帯び、
「どういったご用件で小田島を探してらっしゃるんですか? 彼があなた方のご迷惑になることでもしたんじゃないでしょうね」
「いえ、そうではなくて…」
もちろん浦瀬にメモのことを言うわけにはいかない。
「実は、クルーズで知り合いになった方が、小田島さんが例の青い光のことで気づいたことがあるといって我々を探していたというので…」
「小田島がですか?」
浦瀬が明らかに疑わしそうな声を出す。
「…じゃあ、船内放送でブリッジに彼を呼び出しましょうか?」
「そうですね…いや、一般客がブリッジに入るのもなんですから、船医室に来ていただくようにお知らせ願えますか?」
少しして、小田島を呼び出す業務放送が流れた。
2人は船医室でダーナの正体やホイヘンスの襲撃、怪文書メモのことなどを船医に報告したが、小田島は一向に現れない。
浦瀬に改めて電話した。
「トランシーバーでも呼び出しているんですが、まったく応答がありません。小田島は最近ますます態度が悪くなって、キャプテンや私とろくに口も利かないんです。
今もどこかで酒でも食らって仕事をサボっているのかもしれません」
浦瀬の口調はとげとげしかった。
「もし、そちらに来た時に酒臭い匂いなんかしたら、すぐお知らせください。彼を解雇して、長崎で下ろしますから」
本当に小田島がキャプテンたちにそんな態度を取っているのかわからなかったが、浦瀬が小田島を船から追い払いたがっているのは明らかだった。
電話を切るとザックは、
「どうやら小田島さんは、待ちぼうけを食わされてどこかで飲んだくれているわけではなさそうですね。彼のメモにあった“本物の幽霊”というのが、敵にとっては知られてはならない秘密だったのかもしれない。
なんだかこの一件に、オセアニアクルーズで消息を絶った佐伯老人の息子さんの事件も絡んでいるような気がしてきました。RMAにその事件についても調べてもらった方がいいかもしれません」
「話がいろいろ錯綜しとりますからな。一方では佐伯氏に対するキャプテンたちの復讐劇があり、一方ではアカデミーがシグノーラを密輸船代わりに使い、邪魔な人間を排除しているという筋がある。
アカデミーがキャプテンたちと手を組んで、もう1人の首謀者をあぶりだし、始末するのに手を貸す代わりに密輸を黙認させる。あるいは、キャプテンたちが佐伯氏やもう一人の首謀者に手をかけたのをアカデミーに知られ、脅されて言いなりになっとるという線は、本当にありませんかな?」
浅井は難しい顔をして腕を組み、
「うーん、小田島2等航海士の話では、佐伯殺害を隠ぺいするために船を沈めようとしているのかもしれないというんだよね? いくら娘の復讐のためとはいえ、他の乗客まで犠牲にする人間だとは思えないんだが」
考え込んでいるところに、ザックのスマホが鳴った。
ザックが、「ダーナからです」と言って電話に出、何度もうなずきながら彼女の話に聞き入いった。
通話を終えたザックは、マイクと浅井に告げた。
「ダーナがホイヘンスの正体を突き止めました」