【2】‐2
文字数 3,907文字
その場に崩れ落ちようとする2人の服をガリーが引っつかみ、ボックス席に引き込んだ。
四葉の網膜の上で、金属球から放たれたジグザグの稲妻の残像が点滅する。
車両のあちこちで、客の悲鳴が上がっている。
「アカデミーの偉能者だな!」
背もたれから半分顔をのぞかせたガリーを、敵の電撃がかすめ、後ろの席の金属製の座席グリップに当たった。火花が散り、オゾン臭が漂う。
「言わずと知れたことだろう」
男は赤地に「P」のロゴがついたベースボールキャップをかぶり、胸に白頭ワシのイラストが描かれたボウリングシャツを着ていた。キャップから、ウェーブのかかったグレーの髪がはみ出している。
「手加減してやっているうちに出てきたまえ。座席ごと黒焦げにするぞ」
金属ロッドがついたボトル型の武器を構えて、男は通路を悠々と歩いていく。
「ありゃあライデン瓶らしい。元は静電気を溜める蓄電池みたいなものだったはずだが…」とガリーがつぶやき、
「お前はライデン瓶を発明したオランダのミュッセンブルークか?」
「オランダのミュッセンブルークだ? 君たちの目は節穴か。どう見たってアメリカ人だろうが。彼はライデン瓶を発明はしたが、それを使って雷が電気であることを証明したのはこの私だ」
ガリーが天を仰ぐ。
「えらいのが出てきやがった。あいつはフランクリンだ」
「フランクリンって、ベンジャミン・フランクリンですか?」
四葉が思わず声を上げると、
「ああ、嵐の中で凧を上げて落雷させ、ライデン瓶に蓄電するというトチ狂った実験をしたやつだ」
「聞こえてるぞ。トチ狂ったとは何だ。それが独立宣言を起草したアメリカ建国の父に対して言うセリフか。礼儀をわきまえろ!」
「あんたの実験を真似したおかげで、雷に打たれて死んだ奴が何人もいるだろうが」
ガリーの指摘に、フランクリンが首を振って答える。
「思慮と準備が足りんからだよ。ちなみにこれはライデン瓶ではない。私の偉能で改良した放電自在なライデン・ガンだ」
フランクリンの注意がライデン・ガンに向いた隙に、ザックが座席から素早く身を乗り出して、ロゴスを放つ。
「
ところが、フランクリンを指で囲んだ円が、その後ろで立ち上がって逃げ出そうとしていた乗客にまでかかってしまい、フランクリンとともに天井へと浮かびだした。
乗客が悲鳴を上げ、ザックが慌てて
「
ロゴスを解除せざるを得なかった。
「徒労だな。こっちは電磁気系でそっちは力学系。しかも、狭い列車の中では君らのロゴスは圧倒的に不利だ。思慮と準備というのは、こういうことを言うんだよ」
そう言いながら、フランクリンがどんどん近づいてくる。
ザックが立てかけていた単原子傘を取りながら小声で、
「私が通路に出たら、そこら辺にあるものを思い切りこの傘にぶつけて、そのまま隣の車両に走ってください」
2人は、座席に散らばったお茶のボトルやプラスチックトレイ、列車の冊子などの雑品を拾い集めて手に握った。
ザックが目で合図すると同時に、通路に飛び出し、フランクリンに向かって傘を開いた。
「カウンターリアクション・マックス!」
2人は、傘に雑品を叩きつけ、後ろのドアに飛びついて、連結スペース部に走り込んだ。
傘で弾かれた雑品は、反作用ロゴスで勢いをつけて飛んでいくが、フランクリンは顔に飛んできたペットボトルを避けただけで、他は体に当たるに任せる。
「子供の喧嘩か」
フランクリンが再び電撃を放ち、ザックは席に退く。
間髪入れず、ガリーがドアを引き開け、ザックを連結スペースに引き入れた。
3人がそのまま隣の車両に移ると、ガリーがドアのレバーハンドルをつかみ、
「よし、ここでくい止めよう。電流はガラスを越えられない」
足を踏ん張ってドアを固く閉ざした。
フランクリンが向こう側のドアを開けて連結スペースに入ってきた。
こちらのドアのガラス越しに、顔を紅潮させて踏ん張っているガリーをいぶかし気な顔で眺める。そして、ライデン・ガンを目の前にあるドアのレバーに向けた。
「危ない!」
ザックがとっさにガリーの肘をつかんでドアから引きはがす。ぎりぎりのところでの手が離れたが、ドアの向こうのレバーに放たれた大電流がこちらのレバーに流れ込み、クラゲの触手のようなスパークをガリーの指先に絡ませた。
「うぅ」
手を押さえて痛みをこらえるガリーを、ザックと四葉が抱えるようにして、車両の中ほどの2人掛けのクロスシート席に押し込んだ。
「すまん、凡ミスだ」
ドアが開き、フランクリンが現れた。
「悲しいかな、人間、焦ると頭もまともに働かなくなる」
ライデン・ガンを構えたその姿を見て、車内が騒然となる。
ザックは隣の席の四葉を見て、
「シバ、あの男は銃を持っているから頭を引っ込めて席から出るなと乗客に言ってください」
四葉が声を張り上げて日本語でそれを伝えると、座席の背もたれから出ていた乗客たちの頭が一斉に沈んで消えた。
フランクリンはゆっくりと歩き始めた。
「フランクリンは13徳目をはじめ数々の格言を残したが、君たちはそういう素晴らしい知恵を学ぼうともしなかっただろうな。
教えてやろう。
格言その1、注意力の欠乏は無知にまさる害を及ぼす」
ザックは、隣のシバと、通路の向こうの席にいるガリーに囁いた。
「トイレに立った時に見たんですが、この車両の一番後ろに大型荷物専用のラックがありました。あとで弁償しなくちゃいけませんが、そこからスーツケースを2つばかり借りましょう。
隙を見て席を移りますよ」
ザックは、手にした傘を通路に突き出し、すぐに引っ込めた。電撃が放たれ、誰かが金切り声を上げる。
3人は通路に飛び出し、3つ4つ後ろの席に移った。
フランクリンは変わらぬ歩調で前進を続ける。
「格言その2、時間の無駄使いは人生最大の浪費なり」
ガリーが飛び込んだ席の窓側に、体を丸めて頭を抱え込んでいる男性がいた。その足元に空の弁当箱が入ったコンビニ袋があった。
ガリーはその袋をつかんで立ち上がり、フランクリンに投げつけた。
電撃が席にしゃがみかけたガリーの頭をかすめ、髪の毛をイガ栗のように逆立たせる。その直後に3人はまた通路に飛び出して、荷物ラックに走りついた。
ザックとガリーがそれぞれ、スーツケースを急いで取り出す。それを体の正面に構えるのとほぼ同時に電撃が襲ってきた。
スーツケースはかろうじて攻撃を食い止め、最後尾の四葉が連結ドアを引き開けた。
フランクリンはまったく急がない。
「格言その3、希望を糧に生きる者は空腹に死す」
ザックは隣の車両に入ると、スーツケースをドアに押し当てて、その角をレバーハンドルにがっちり噛ませ、動かないようにする。さらに、そのスーツケースの後ろにもう一つスーツケースを重ねて置いた。
「みんなで押しましょう」
3人がかりで、スーツケースをドアに押し付ける。
車両の乗客たちが何事かと身を乗り出した。
「凶器を持った男がいるから隣の車両に移ってくれとみんなに言ってください」
四葉はスーツケースを押しながら、振り返って乗客に怒鳴った。乗客が我先にと隣の車両に走り出した。
乗客の足音と怒号に交じって、アナウンスが聞こえてきた。
「間もなく住吉駅―。住吉駅に到着します」
ドアの向こうにフランクリンが姿を現し、スーツケースを押す3人をガラス越しに見下ろした。レバーをガチャガチャ回すが、スーツケースに引っかかってレバーが下りない。
「住吉駅までこうやって押さえていれば勝ちですね?」
四葉が言うと、不意にガリーが目を泳がせた。
「ちょっと思い出したことがあるんだが……いや、止めとこう」
その時、ドアの向こうのフランクリンがニヤリと笑い、ガンを構えた。
「格言その4、賢者は他人の失敗に学ぶが、愚者は自分の失敗からも学ばぬ」
そしてトリガーを引いた。
電撃はスパークも見せず、ワープしたかのように3人を直撃した。3人は後ろに吹っ飛び、床でのたうつ。
フランクリンがドアに体当たりし、2つのスーツケースがぐらぐら揺れだした。
四葉は、座席のひじ掛けにすがって何とか立ち上がろうとしながら、
「どこを伝って電流が来たんだ?」
同じようにひじ掛けにすがるガリーが、
「フランクリンかその弟子だかが、電気には遠隔作用があるという理論を唱えたんだ。もちろん間違った理論だが——」
列車が住吉駅に滑り込んだ。
「降りましょう!」とザックが足を引きずるようにしながら昇降ドアに向かう。
列車が停止するや否や、パニックになりかけていた乗客が声を上げて押し合いながらホームに飛び出し、ホームで列車を待っていた客たちも、その勢いに驚いて改札に戻っていく。
だが、3人がいる車両のドアだけは開かなかった。
3人はドアに取り付いて、力づくでこじ開けようとするが、びくともしない。
2度3度とフランクリンの体当たりを食らっていた連結ドアの前のスーツケースが、ついに倒れた。フランクリンがスーツケースを踏みつけて車両に入ってくる。
「そのドアは永遠に開かんよ」
発車ベルが鳴り、列車が動き出した。
「なにせ運転手がアカデミーだからな」
満面の笑みでガンを構える。
だが、フランクリンがトリガーに指をかけたちょうどその時、車両の反対側の連結ドアを開けて、中折れ帽を目深にかぶった、フランクリンと同じくらい大柄な男が入ってきた。