【５】－２

　クリスがマリンキャッスルのブリッジに上がる少し前、クリスたちが以前金鱗丸から見かけた釣り船の胴の間で、アノラックパーカーを着た背の高い男が双眼鏡を覗いていた。そのレンズには、メインデッキで乗組員から説明を受けているヘルメット姿のマイクと坂本が映っている。

　男は双眼鏡に目を当てたまま、
「SEP船にいるのは、ドップラーとRMAのメンバーのようですね」と釣り船の船室に声をかけた。
　すると中から、
「やはり来ましたか。彼、勘がいいからなー」と声が返ってきた。

　声の主は、腕を頭の後ろで組んでベンチの背にもたれ、顔に麦藁帽を乗せている。七分丈の麻のシャツを肩のあたりまでまくり上げていたが、右の二の腕にひどい火傷の痕があった。

「ホイヘンスのカモフラージュも見破られたし、彼らがシグノーラの秘密に気づくのも時間の問題でしょう。昨夜、プランBに変更しておいてよかったですよ」
「ホイヘンスさんは大丈夫なんですか？」
「ええ。捜索に手間取ったので海に丸一日浸かる羽目になり、かなり衰弱してましたが、手当てを受けてどうにか回復してきています。病室で“絶対にニュートンに復讐してやる”とか息巻いているようですが、当分は静養が必要でしょうね。

　さて、そろそろ準備を始めるとしますか。エルミンを呼んできてもらえますか？」
「わかりました、マクスウェルさん」


　エルミンは釣り船の船首の張り出しで、手すりにもたれて海を眺めていた。ひざ下まで届く白いロングカーディガンに身を包んで、フードをすっぽりとかぶり、手にも白い手袋をはめている。
　船首に設置された電動リールからは、蛍光グリーンの太いナイロンラインが繰り出され、海の中に降ろされている。船の上からは見えないが、ラインの先にはエルミンの吸音装置が装着され、海中の騒音や振動を吸い取っているはずだった。

　アノラックパーカーの男がエルミンを呼びに行く足音が聞こえると、船室のマクスウェルは、帽子を取って体を起こす。額にかかった黒髪をかき上げ、二の腕の傷を見とがめられる前にシャツの袖を下ろし、エルミンを迎え入れた。

「どうしたの、マクスウェル？」
　エルミンがフードを上げてマクスウェルに聞く。
「そろそろ撤収の準備をしましょう。もう吸音器は引き上げていいですよ」
「作業はおしまいってこと？」
「あと1時間ぐらいかな。今、ドップラーがSEP船にいて、多分その後こっちにやってくると思います」
「あいつ1人なら、どうにでもなるよ」
　エルミンは口を尖らすが、マクスウェルは、
「いや、ホイヘンスの件もあるので、プランBに変更することにしたんです」

「そうか…」と呟いたエルミンが明らかにホッとした表情になる。
「揺れる小船で長い間缶詰になって、大変だったでしょう？」
　そうマクスウェルがねぎらうと、
「揺れるのはいいんだけど、日焼けと潮風がねえ。あたしの肌、塩気に弱いから、潮風に長く当たってると痒くなっちゃうからさ」
「辛い役目を押し付けて申し訳ない。それに、パイロットプラントの後始末もお疲れ様でした」
「うん、だけどシゲが…」
「ええ、僕の責任です」
「でも、RMA潜入を買って出たのは——」
「わかってます。でも、もっと早く彼を引き揚げさせるべきでした」

　マクスウェルは気持ちを切り替えるように息を一つ吐くと、笑顔を作って、
「みんなの辛抱も献身も、あと少しで終わりです。敵もこのまま指をくわえてはいないでしょうから、最後の山場を越えなくちゃなりませんけどね」
「任せといて。パスタが茹で上がる時間で片付けるよ！」
　エルミンも明るい声になって気勢を上げる。

「茹で時間は麺の太さによっても違いますけどね」とマクスウェルが笑った。