第55話:茂田先輩の内縁の妻、澄子さんの突然死

文字数 1,309文字

 やがて2016年が終わり2017年を迎えた。そして澄子さんの部屋に大型のエアコンと加湿器をつけて体調管理に万全を尽くした。しかし、2017年の2月3日の朝、いつも7時過ぎに起きてくるはずの、澄子さんが起きてこないのを不思議に思い、甘太の奥さんが、澄子さんの部屋へ行った。すると、穏やかな顔をしてるので、もう、朝ご飯の用意ができてますよと優しく言ったが、応答がない。

 まさかと思い手首の血管を指で押さえると脈が触れてないのに驚き甘太を大声で呼んだ甘太も確認して直ぐに「けいゆう病院」へ運んだ。病院に着きストレッチャーに乗せた。その後、先生が来て小さなペンライトを彼女の目を開いて照らし手のひらで呼吸の有無を調べて静かにご臨終ですと言った。そして、検査室に運び、CTとレントゲンを見て、脳に血の塊が飛んで、脳梗塞で亡くなったと言った。

 死亡予測時刻が2時頃と判明。甘太が、澄子さんから何も聞いてないから何をしたら良いのだろうと奥さんに聞いた。奥さんが、実は、昨年、11月の箱根旅行の時に、もし、私に、もしもの事があったら、机のいちばん大きな引出に封筒を入れておきますので見て下さいねと伝言を受けたと告げた。そこで、病院の先生に、葬儀社に連絡するので、少しの間、遺体を預かっていて欲しいというと、わかりましたと答えた。

 そして、葬儀社に連絡すると橫浜市内、町田、川崎の葬儀場は10日後でないと空かないと言った。そこで葬儀社にどこかないか聞くと、ちょっと遠いが、厚木と相模原の郊外に愛川斎場があるから電話すると話した。電話で葬儀の連絡すると5日後の2月8日の11時が空いてると返事があった。そこで、2017年2月8日、愛川斎場で葬儀を行うことにした。葬儀社の人に霊柩車でけいゆう病院に同行してもらった。

 そして澄子さんの遺体を棺に入れて甘太のマンションへ運んだ。その後、甘太と奥さんに澄子さんの封書を読んでおくように指示。そして相模原周辺に住む、茂田先輩の仲間達、約40人に茂田先輩の内縁の妻、澄子さんの死を1時間近くかけて全員に連絡した。その後、甘太が、奥さんに封書の中身を聞くと、彼女の預金通帳と残高、遺産は、全て、甘太に託すと書いてあったことを話した。

 明日、その遺言の封筒を持って金融機関に行き預貯金を送金させることにした。奥さんが、澄子さんの生い立ちについて書いた所を話し始めた。重宗澄子さんは、東京の重宗産業という会社の社長令嬢であったが、小さいときからスパルタ教育で、型にはめられた教育と、しつけに反発した。そして上智大学を卒業してからアメリカのウオール街で投資銀行の仕事をし1998年に多額の退職金をもらい日本に帰ってきた。

 その後、1995年の頃に茂田先輩と一緒に仕事を始め同棲し始めたようだ。そして驚いたのが金を5kgを田中貴金属に預けてあることがわかり一緒にダイヤの宝石も入ってると知らされた。そこで、明後日、東京の田中貴金属へ行く頃も決めた。澄子さんが受け取った茂田先輩の遺産が38550万円。つまり重宗澄子さんは、米ドル、日本円でなくて、金の方が価値が保証されていると思い貨幣に変えなかったようだ。
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