第12話:やっぱり株投資の再開へ

文字数 1,434文字

 やがて、厳しい冬が終わり、3,4月となった。投資がなくなると、昼間に、姉のホテルを手伝いに行ったり、鮎釣りの船頭をしたりしていたが、夜になると、暇になった。その時、茂田先輩が、麻雀でもしないかと連絡してくれ、以前の茂田グループの仲間と麻雀台を囲んでいたが、甘太は、やり方を知らなかったので、女性達などと一緒に初心者コースで、役の種類と作り方、点数の数えかたなどを、教えてもらう様になった。

 そして、毎週3日ずつ、麻雀荘へ通うようになった。2ヶ月もすると、基本はマスターして、賭けなし麻雀を楽しんだ。それが終わると、カラオケに行って、歌を歌ってみたり、たまに。茂田グループで、パーソナルコンピューターの使い方を教えてくれる、達人がいて、日本語ワードプロセッサー、表集計計算ソフト・エクセル、ユーチューブ、インターネット通信のやり方などを懇切丁寧に教えてくれた。

 2001年5月の連休明けの5月7日に、茂田先輩から甘太に相談があると電話が入った。翌、5月8日11時、いつもの喫茶店に行くと、茂田先輩と彼女の澄子さんが待っていた。そして茂田さんが、昔のグループの仲間から再び、投資グループを結成して欲しいと言われたと語り始めた。我々は、かなり儲けたが、グループの仲間は、もっと資金が欲しいと言う話と充実感がなくなって、麻雀や観光していても面白くなくなったと話している語った。

 それを聞いて、甘太が、その気持ちは良くわかると言った。それに対して茂田さんの考えはと聞くと、仲間1人ずつの投資だとめんどくさい。そこで、グループの資金をまとめて1つのファンドのようにして、それを運用していきたいと話した。その後、以前の茂田さんのグループ8人から合計10億円が集まった。その運用益から10%の手数料をいただくことにしたいと提案した。それに対してどう思うと、甘太に聞くので、その考えに同意した。我々3人で、その仕事をやらないかと言うと、甘太も了解しましたと言うと、喜んでくれた。

 澄子さんも暇がありすぎて、つまんないと思っていたのよと笑いながら言った。具体的な指示は、茂田さんがすると言い、性能の良いパソコンと光インターネットを入れてくれと言われ了解した。そして、証券口座は,新しくできたインターネットSB証券で開こうと言ったので、その方法も聞いた。そして、話が終わり、別れて帰って行った。7日後、高速・光インターネットの回線工事とインターネットSB証券の口座開設と新型高性能パソコンのセットアップが完了したので、茂田さんに完了したことを伝えた。

 しかし株式市場は、インターネットバブル崩壊でネット関連銘柄を中心に大幅に下げ続けていて、甘太は、投資するには,まだ早い感じがした。そのために、以前の仲間との麻雀、カラオケ、飲み会に呼ばれて楽しんでいた。そして、暑い夏が来て、エアコンの下で、麻雀する日が増えた。そんな2001年9月4日、朝に、茂田さんから電話でヤフー株が底値を付けたと思うので、打診買いしようと言われた。

 現在、気配値が182万円で、甘太と俺とグループで2株ずつ買うことになった。364万円で合計1億円強。これ位なら良いのではないでしょうかと甘太も同意して、成り行き買いを入れて、もし、もう一段下げたら,その時に考えようと話した。そして、その作戦を実行すると直ぐに合計6株、正確には1092万円で買えた。その後、思い通り順調に株価が上昇してきた。
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