第45話:日本航空の再建に動く

文字数 1,404文字

 そこで、経営の神様と言われた京セラの稲盛社長の社長に迎え、厳しいリストラの道を歩んだ。その後、厳しい冬が終わり、甘太夫妻は、橫浜の上大岡川の桜の花見を楽しんた。やがて、夏を迎えたが、今年は猛暑で、熱中症で倒れる人が多くかった。そこで、甘太夫妻は、家の中でエアコンの下で必要以外の外出を避けた。そんな8月を過ぎて9月を迎えた。

 2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し日本領海からの退去を命じるも、それを無視して漁船は違法操業を続行、逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させた。海上保安庁は同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し、取り調べのため石垣島へ連行し、船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取を行った。

 9月9日に船長は那覇地方検察庁石垣支部に送検された。中国政府は「尖閣諸島は中国固有の領土」という主張を根拠に、北京駐在の丹羽宇一郎大使を呼び出し、日本側の主権に基づく司法措置に強硬に抗議し、船長・船員の即時釈放を要求した。これを受けて9月13日に日本政府は船長以外の船員を中国に帰国させ、中国漁船も中国側に返還した。

 しかし、船長に関しては国内法に基づいて起訴する司法手続きの方針を固め、9月19日に勾留延長を決定した。すると中国側はこれに強く反発し即座に日本に対して様々な報復措置を実施した。9月24日、国際連合総会開催中で菅直人内閣総理大臣および前原誠司外務大臣不在の中、那覇地方検察庁鈴木亨・次席検事が船長の行為に計画性が認められないとした。

 また日中関係を考慮したとして、中国人船長を処分保留で釈放すると突如発表。本決定を仙谷由人内閣官房長官は容認。25日未明、中国側が用意したチャーター機で中国人船長は石垣空港から中国へと送還された。11月1日、中国への配慮から非公開となっていた漁船衝突時の動画が、那覇地検によって6分50秒に編集された上で、衆参予算委員会所属の一部の国会議員に対してのみ限定公開された。

 船長が処分保留で釈放された事を受けて2010年10月以降、日本国内の様々な政治団体や市民団体が、本事件に関する中国政府の拡張主義と民主党政権の外交姿勢に抗議するデモ活動を行っている。特に「頑張れ日本!全国行動委員会」が主催するデモは、デモ初体験の多くの学生、主婦、家族連れが参加する大規模なものであった。10月に渋谷や六本木で開催されたデモにはそれぞれ3千人から6千近くが参加。

 11月6日に日比谷で開催されたデモには、4500人が参加した。中国においては、2010年10月16日に「頑張れ日本、全国行動委員会」が開催した在日中国大使館を包囲するデモの情報が事前に報道されたことから、これに対抗するためにネットやメールなどで反日デモが呼びかけられた。そして11月16日から中国内陸部の各都市で反日デモが発生した。

 各都市のデモ隊は暴徒化し日章旗を燃やし日系商店のガラスや看板を割ったり引き摺り下ろしたり駐車中の日本車を破壊。しかし政府により各都市に中国人民武装警察部隊が投入され10日間ほどでデモは終息した。それ以降、この問題が、日本と中国の懸案事項となり中国は一貫して尖閣諸島は、中国固有の領土と強行に主張した。2010年の後半は、この尖閣問題で揺れた1年となった。やがて2011年があけた。
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