第2話:茂田が参謀になり株売買開始

文字数 1,264文字

 1960年5月6日に指示通りソニー株を88円で1千株買い8.8万円で純利益11万円で買い残金が1.2万円。そして10月7日に220円で売り税引き後利益が11.8万円となりの資産合計が13万円。

 そして12月20日の夜、八王子のレストランに招待してくれ、茂田先輩と2人で忘年会を開き食事代を支払ってもらった。1961年の12月24日も橋本駅の「喫茶店・コロラド」に呼ばれ茂田先輩のおごりで2人でケーキと紅茶でクリスマスパーティ。

 その後1962年8月に茂田さんの指示通りトヨタ株を30円で買いの指示が出て4千株を12万円で買い残金が1万円。1963年4月に80円でトヨタ株を全株売りの指示があり売却後、税引き後利益が17万円。

 資産残高が18万円になったので預金に2万円を足して残金を20万円とした。1964年4月に中学時代同級生だった相模原の呉服屋、木下和彦の妹の2つ年下の木下恵さんと話が合い仲良くなり付き合い始めた。

 日曜日に喫茶店で会って話をするようになり毎月2、3回デート。彼女は中学卒業後、地元の相原商業を卒業して実家の呉服屋を手伝いヺ続け経理の仕事で呉服屋の販売、経理で就職。

 1965年2月6日に茂田先輩から電話が入り、その指示通りソニー株を40円で4千株16万円で買い残金が4万円。茂田から、この株は成長が見込めるから持ち続けた方が良いと言う情を入手し注視を決定。

 甘太に恵さんが将来、洋品店を経営する夢を語る。その後1971年4月に木下呉服店では新しくできた巨大な多摩ニュータウンに新しく呉服屋を出そうと考えていた。その時、恵さんが両親に青山甘太君と将来、一緒に店を持ちたいと直訴。

 甘太さんは商売で儲けて店を出すだけの資産を持っていると話すと1970年5月7日と面談する約束を取り付けた。その時に恵さんが甘太に銀行口座のコピーを持って来てと依頼され了解と答えた。

 当日は背広を着て茂田先輩に借りたブルーバードで木下呉服店に出向き、青山甘太と申しますと言い、株投資で成功して資産を作ったので近くに出来る多摩ニュータウンで洋品店をやり成功したいと熱く語り銀行口座の残金150万円の通帳を見せた。

 すると父の木下隆三さんが、ほんとだ、すごいと言い、善は急げと言うから結婚式はいつにしますか父、隆三さんが言うので恵さんに、いつが良いかと聞くと6月がジューンブライドと言って縁起が良いと断言。父。隆三さんが正式に決まったら、すぐ知らせてくれと告げた。

 1969年4月に注目していたソニー株を970円で4千株売り税引き後利益320万円。資産合計が324万円。1969年6月に伊藤忠を63円で5万株、315万円で買い残金が9万円となり預金から11万円を送金し残金が20万円。

 1972年12月に伊藤忠株を580円で5万株売り税引き後利益2250万円。残金が2270万円。その他に郵便預金が230万円で合計2500万円。その後、金利7%の郵便局の定額貯金に2000万円を貯金。
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