第5話:橋本駅に京王相模原線の話題

文字数 1,176文字

 茂田グループは最近の株価の上昇に伴い、自分の仲間の投資で巨額の儲けを挙げ総資産2億円になった。その後、1982年12月末に茂田先輩がN証券を退職して顧客10人を抱えた投資事務所を開設して自分で投資を開始。

 茂田先輩が甘太は結婚したばかりだからメンバーに入れないが情報は以前通り送る、その代わり、手伝ってもらう事が、あるかも知れないと言われ受諾。1983年、茂田先輩が自民党の新年の政治集会に参加。

 地元の代議士さんを接待した時、東京の私鉄大手が京王八王子線と同じ線をもっと南側、橫浜線で言えば町田と八王子の中間地点に延伸させるという計画書を国土交通省と建設省に提出した情報を伝達。

 橋本か相模原のどちらかも知れないねと言って去っ。そこで茂田グループでは相模原は近くに米軍の関連施設があるために、難しい、そうなると残されるのは橋本だと断言。橋本の駅と16号線周辺の土地を上昇する前に買おうと話し合った。

 そして、あの周辺で売ってくれそうな人たちを調査してこいと指令。すると橋本の16号線沿いで商売が上手く行っていない商店が3軒と橋本駅の裏側、つまり北側が、特に安いことを突き止めた。

 そして北側に広大な土地を買い込んだ方が良いとか、いろんな意見が出た。どっちにしろ橋本駅から周辺500m以内に限定し捜す事に決定。茂田グループは、ほとんど地元出身者で、その縁故関係で運送会社の駐車場と資材置き場300坪を3000万円で購入。

 もう一つ駅の線路脇で以前、養蚕農家の桑畑が300坪あり、それも3000万円で購入。その他、以前、算盤塾と剣道の道場を経営していた大貫賢一さんが脳溢血で倒れて子供達が東京や関西に出た情報を入手。

 娘3人と大貫賢一さんの奥さんと、おばあさん2人の女性ばかり6人が大きな敷地に2軒の農家と剣道と算盤塾の建物の1軒で500坪強の土地を持っていた。甘太は小さい頃、そこの算盤塾と剣道場に通っていて、おばあさんに可愛がられたと証言。

 そこで茂田に頼まれて売る気があるかどうか探ってきて欲しいと言われた。1983年1月30日、10年ぶりに甘太が菓子折を持って訪問すると懐かしいお客さんが来たと言った。昔のはなしになり息子達は田舎に飽きて高校を出た後、都会に出て行った

 そして東京や関西の大学に入り、そちらで就職、結婚。娘達も、この土地を売って都会のマンションに移りたいと言いだし困っていると話した。おばあさん達はどうなのと聞くと橋本の冬は寒いから橫浜の港の近くにマンションに住みたいと語った。

 できたら暖かい橫浜に引越たいと考えているが不動産屋の知り合いもいなくて困っていると告げた。甘太に誰か知っている人はいないと聞かれ、いるよと答え、一度、話でも聞いて見るかと聞くと、是非、お願いしたいと言われた。
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